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シカ大映研オクラホマミキサー  作者: 眞魚エナ
1/3

前編

 暗闇に炎が煌々と映えた。


 足元に燃えさかる光が、女と男のくろい輪郭をコンクリートの地に投影する。

 奇妙にかさなる二人の影は、踊りと呼ぶには不格好に蠢き、転げ回る。

 歯を食いしばるような怒声は男女のもので。オーディエンスの声は、笑い、あるいは戸惑っていた。


 レンズに焼き付くように、まばゆく燃焼する魂。


 確かにそれは、輝いていた。



  ◆



「こちら幽霊だらけのシカ大映研。部室でーす。ただいま脚本担当の一文字くんが修羅場中でございます」


 デジタルビデオカメラの液晶には不機嫌そうに机に向かう男――一文字が映っている。経年劣化で傷だらけの机と同様、机上に縦に開かれた大学ノートはだいぶボロボロだ。


 吹き込まれたナレーションの声に反応して、一文字は怪訝そうにカメラに目線をくれた。


「何撮ってる?」

「日常」


 カメラマンは毒気のないのんびりとした声色で答える。一文字はわかりやすく眉を寄せたが、それ以上は文句も漏らさず視線をノートに戻した。


 執筆の進みは牛歩の言葉が相応しい。決して止まっているわけではないが、ところどころで頭をかきむしり消しゴムを走らせている。せわしなく働く一文字の手を映し、カメラマンの男――風見は満足げに頬をほころばせた。


 やがて被写体は一文字ではなく部室内に移る。決して広いとは言えないサークル棟の一室。隣のサークルが騒ぎだせば全部漏れ聞こえるくらいの過密さである。とりわけ映研の活動上どうしても電子機器類が多くなるため、やや割りを食っていると言わざるを得ない。


 戸棚や鉄製のラックには過去の在校生たちが撮った映画のDVDやら、掘り出せば八ミリフィルムまで出てくることもある。さすがに古いものから処分していかなくては収納スペースもなくなってしまうのだが。おかげで天井際の壁付け棚にはパンドラめいたダンボール箱がひしめいている。


 風見がぐるりと部室を映した果てに部室の扉まで行き着いた時、ちょうどドアノブが回った。


 入ってきたのは小柄な女子学生だった。明るい茶髪をショートカットにしている。


「お疲れ様で……パイセンなんか撮ってんスか?」


 猫っぽい目をまるく開いて、彼女は尋ねた。


「お疲れ様、結城ちゃん。いつおもしろ映像が撮れてもいいようにスタンバってるんだよ」

「おもしろ映像の空気じゃないッスよ部室」


 そう言いつつもカメラを向けられると、結城は当然のように腰に手を当て自信たっぷりにポーズを取る。


「今日の私は昨日より可愛いスよ。褒めてください」

「可愛い可愛い」

「パイセンの褒め言葉は心がこもってない」


 肩に提げていた鞄を壁際のベンチに下ろして、結城はペットボトルの桃ジュースを軽く口に含んだ。ノートに埋没している一文字に目をくれると、彼女はわざとらしく身を乗り出して声をあげる。


「イッチせんぱーーい」

「……ん?」


 ようやく気づいた一文字が顔を上げると、結城は気さくに手を振った。


「おつです」

「うん、お疲れ」


 それだけ返して、彼は文字の世界に帰った。


「今日も今日とてですねぇ」


 苦笑して、結城はジュースをもう一口飲む。

 蓋をくるくると締め直しながら、彼女は唐突に切り出した。


「あ、田辺くんと三木ちゃんに授業で会ったんですけど」


 風見はカメラの画面から目を離し、結城に視線を返した。


「どうだった?」

「曖昧にかわされました。あれはまだまつろわぬ魂ですねぇ」

「あちゃー」


 風見はややオーバーに額を覆ってみせた。


 田辺と三木は結城と同じ二年生だった。結城は大学一年目の年末ごろに入部したため、二人の映研歴は結城よりもやや長いが、今や部室に顔を出さなくなって久しい。


「おれも学生課行ったときに芝山先輩と喋ったけど、就活と卒論がてんやわんやで部室行くのしんどいんだって」

「ご無体ですねぇ」


 四年生もまた、もともと数が少ないのに今はほとんどが就職活動に追われており、部室で遭遇することも少なくなっていた。


 今年から入った一年生の部員も数人いるにはいるが、現在彼らは自分たちの映画を作るので忙しく、たまに現れても機材の使い方や編集などについて尋ねるくらい。


 よって、現在部室に足繁く通う部員は、三年の一文字、風見、本郷。そして二年の結城。この四人である。一年組がなかなか部室に集まらないのは、この四人組の醸し出す「身内感」も理由の一端かもしれなかった。


 当然のことながら人員不足。本来ならば部長や会計などのサークル幹部は二年生が行うのが通例だったが、二年が結城しかいない現状、風見が現部長、結城がその補佐としての副部長、兼会計担当を受け持っている。


 四人で映画を撮るとなると、一人一人が複数の役割を兼任することにもなる。結果として一文字は脚本、照明。風見はカメラと音声、ときどき役者。結城は役者。本郷が監督・編集・役者を兼任。となれば、撮る映画も題材が限られてくる。


 風見はカメラのレンズを軽く拭いながら、天気の話でもするように尋ねた。


「ノブは今日来るのかな?」

「来るんじゃないですか。ヒマしてそうだし」


 と、噂をすれば見計らったように鉄製の重いドアが音を立てる。


 入ってきたのは今の一文字と並ぶほどの仏頂面をした女だった。腰まで伸びた黒髪と黄色のキャップが特徴的である。


「お疲れッス、ノブ先輩」

「お疲れ、ノブ」

「うん」


 ノブと呼ばれた学生――本郷は、無愛想にそれだけを返す。彼女がこういう態度なのは特に珍しいことではないので、風見も気にせず笑みを返した。


「脚本はまだか。コンテを切りたい」


 開口一番に、冷たい声色で彼女は言った。未だ原稿に向かう一文字に当てつけるような一言だ。「奥さんに夕飯をねだるダメ親父のようだなあ」などと考えつつ、風見は二人を画角に収めた。


「やってるよ」


 苛立ちに理性を含ませて一文字は答える。ふん、と呆れたように鼻を鳴らし、ノブはパイプ椅子を引いた。


「今どき手書きなんかでちんたらやってるからだ。パソコンが部室の隅で泣いてるぞ」


 机を挟んで一文字の向かいに腰を下ろす。視線の先、部室窓際の隅には確かにパソコンがある。ネットにこそ繋がっていないが、きちんと最新OSの新しい機体だ。一文字が執筆に使いたがらないため、もっぱら出来上がった映像の編集に使用されている。


「手書きとパソコンでは書き味が違うんだよ……うるさいな」

「おー。違うんだ、そういうの」


 フォローを入れるように風見が口を挟む。


「まぁ、手書きはあまり長々と書くと疲れるからな。時間を短縮しようとするぶん、表現も短くわかりやすくなるんだ」

「なるほどー」


 不遜に振る舞うでもなく、淡々と一文字は答えた。


「バックアップもできんだろうに」


 退屈そうに身体を伸ばし、本郷は一文字から視線を外す。嫌味を言い終えたからか、風見が構えているモノが気になったらしい。


「……風見、おまえは何を撮ってるの」

「遊びで回してるだけだよー」

「そう……」


 不思議そうに肩をすくめたと思えば、彼女はすぐにきょろきょろと部室を見回しはじめた。


「私をお探しですか」


 結城が冗談めかして本郷の傍らに立ったが、意に介さず彼女は尋ねた。


「アレはどこやった?」

「アレって?」

「あー、ラックの二段目あたりに入ってなかった?」


 風見が入り口脇の鉄製ラックを指差すと、本郷は言われた通りに上から二段目の棚を漁り始めた。ブックエンドを立てて収納されているのはすべてDVDケース。二段目はこの映研で作られた作品が並び、一段目にはかつて誰かが持ってきてそのまま置いてある映画のDVDがしまわれている。やがて本郷は、ちょうど『羊たちの沈黙』の下段あたりのDVDケースを取り出した。


「あった。ちょっと借りる」

「はいよー」


 そのまま荷物を持って出ていこうとするので、風見は一応声をかける。


「ここで見ないの?」

「とうに書き始めてる脚本家に余計な物語を入れてどうする。なおのこと進まんだろ」

「うるせぇ」


 外界を遮断している一文字も、本郷の嫌味に対する反応だけは早かった。笑いをこらえつつ、風見はその様子をしっかりカメラに収める。


「じゃあ、家で見るん? お疲れ」

「ノブ先輩もう帰っちゃうの?」

「帰るよ。じゃあね」


 三人を置き去りに、何の未練もなく本郷は帰っていった。


 きょとんとした顔でその背を見守ると、結城はなんでもないことのようにぽつりと漏らした。


「仲悪いですよねー。付き合わないんスかね」


 言いつつ、一文字に視線を向けた。言葉の唐突さに風見も思わず吹き出す。


「いやいや、『仲悪いですよねー』からどうしてそうなるの」

「や、萌える展開じゃないスか。普段は犬猿の仲だけど実は……って」


 結城はにやりと不敵に笑った。風見は一文字を横目で窺ったが、いつの間にかイヤホンをつけていてまるで聞こえていないようだった。


「いやあ……実際どうなのかはおれもわかんないよ。お互いに意識しあってるのは確かだ。もちろん、作り手として」

「ふたりとも映画バカですよねぇ。ちょっと頭おかしいですよね」

「きみもハッキリ言うなあ」

「だって例の『伝説』からずっとこんななんでしょ?」

「うん」


 この映画研究サークルに伝わる伝説――といっても、たった二年前の事件だから語り伝わっているというほどでもないのだが――、通称「血の幽霊新入生事件」。……「血の」とは言うが、別に血は流れていない。面白がった上級生が誇張しただけである。


 この映研に受け継がれてきた年間行事として、新しく入ってきた一年生だけで協力して映画を撮ってもらう、というものがある。現三年生である本郷、一文字、風見も、一年生の時分にもちろん参加した。当時は同級の部員も多く、素人の小規模映画撮影としてはそこそこの人員が揃っていると思われた。そんな中、監督志望だった本郷と脚本家志望だった一文字が望む通りの役割に就けたことは幸運だったと言えよう。


 だが、それがこの映画にとっての不幸のはじまりだったのである。


「ふざけるな! 私はこんなシーン撮らん!」

「それを撮るのがお前の仕事だろうが!」


 先にキレたのは本郷で、負けじと逆ギレしたのが一文字だった。


 一文字は手堅く技術で物語を書くタイプの作り手である。一方で本郷もまた、自らの映画経験に裏打ちされた知識を下敷きに撮るタイプだった。彼ら相性は一見すると良いように思われた。


 だが、二人は何よりも互いが見えていなかったのだ。


 一文字は自分の頭の中にイメージする物語構成にこだわりすぎ、本郷は自らのイメージしない画を断じて撮ろうとせず、どちらも譲ろうとしなかった。


 脚本が監督に無茶な撮影を強い、監督は脚本に無個性化を強いる地獄絵図。


 これでただ撮影の雰囲気が悪くなるだけならまだしも、本郷も一文字も断固として引かなかった。

 それゆえ、日々繰り返される大喧嘩。


 ――やがて嫌気が差したのか、撮影はおろか部室にも来なくなる同級生が多発。

 監督と脚本とカメラマンだけを残して、撮影は根本的に困難になったのである。


「で、結局出来上がったのが今ノブが持ってったDVD」

「出来上がってたんスか!? そこまで聞いて普通に頓挫したものだと思ってたんですけど!」


 結城はすっとんきょうな声をあげる。風見は当時を懐かしむように曖昧な笑みを浮かべた。


「いや、いろいろあってね。結局見るに見かねた先輩たちが撮影を手伝ってくれて。もう新入生もなにもなかったね」

「いい人たちかよ!」

「ホントに頭が上がらないんだよねー。もうほとんど卒業しちゃったけどさ」


 不足したキャストの代役、放って置くと喧嘩を始めてしまう監督と脚本をなだめるところまで、本当によくしてくれた。頑固な二人もやっとのことで譲歩しあい、ボロボロになりながら完成にこぎつけたのも彼らの先輩たちのおかげだった。


「つーか、私も気になるんですけどその映画。ノブ先輩一緒に見せてくれないかな」


 言うなり、結城はスマホを操作して本郷に連絡を取り始めた。



  ◆



 窓の外は昼の幕を下ろし、軽音サークルから聴こえていたアコースティックギターの音色もとうに止まっている。


 結城は本郷の家に突撃訪問だそうで、部室に残っているのは風見と一文字だけだ。


「おーい、イッチ。もう暗くなってきたぞー」


 未だ物語の海に碇を下ろしたままの一文字に風見が振り返る。彼は顔を上げずに答えた。


「……もう少し。鍵は閉めていくから」

「頑張るねー」


 どこか嬉しそうに風見は笑み、一文字の向かいの椅子に座りなおす。


「じゃ、おれももうちょっと」


 一文字はわかりやすく困った顔をした。


 風見もそれは予想していた。おれは甘えてるな、などと自覚しながらも、わずかでも長く同じ時間を過ごしたかったのだ。


「別に俺に付き合うことないよ。本当にもう少しやっていきたいだけだから」

「邪魔?」

「そういうわけじゃないけど……返事とかできないかもしれないぞ」


 風見は苦笑しつつ、再びカメラの電源をオンにする。液晶に光がもどる。


「いいのいいの。邪魔してるのも甘えてるのもおれだ」


 一文字はまだ何か言いかけたようだったが、諦めたのか執筆に戻った。いい加減腕も疲れているだろうに。風見は感心半分、呆れ半分に息をつく。


 窓枠から薄暗い空を映していると、ふと、独り言のように一文字が口を開いた。


「俺、『トイ・ストーリー』が好きでさ」


 話しかけられるとも思わず、風見はただ一文字に視線を向けるばかりで、返答するのが遅れてしまった。

 気にせず一文字は続ける。


「キャラクターが面白くて、話の作りがしっかりしてて、クライマックスの盛り上がりとか、全部好きなんだけど……なんていうか、いい意味で子供向けでさ。やさしいんだけど、怖いシーンもあって。ああいうふうに書いてみたいって、思ったんだ」


 たどたどしく、まるで初めて話すささやかな秘密のように、一文字は不器用に言葉をつないだ。


「……ほー。お前の原点が『トイ・ストーリー』だとは」

「意外か?」

「うん、今までギャングものとかサスペンスとか書いてたし」

「ま、まぁ、そういうのも嫌いじゃないから……」

「おれも好きだよ、あの映画」


 カメラを切ろうか、とも思ったけれど。できれば、このまま回していたくて、風見は言い訳をするようにカメラを机に置いた。


 一文字は手を止めず、自嘲気味に笑う。


「その結果が『幽霊新入生』だもんな。上っ面だけで全然やさしくともなんともない」

「でもおれ、あの完成した映画も好きだよ。たぶん、ノブも」


 それはお世辞ではなく、風見の本音だった。一文字もまた、ためらいなく頷く。


「なんでだろうな。死ぬほど嫌な気分で、歯を食いしばりながら譲歩しあって。絶対に良いものにならないと思ってたのに――面白い作品になってた。完成度もなにもない、いい加減で無茶なところばかりだったけど、それでも見ていて楽しい作品だった。もしかしたらそれは、作った俺たちにとってだけなのかもしれないけど」


 シャープペンの動きが止まる。椅子の背にもたれかかり、脳に残った映像を繰り返し再生するように、一文字は天井の光に目を細めた。


「たぶん、ノブは、あれ以上のものを作りたいんだ。で、癪だけど、俺もそれに応えたいんだ」


 風見の顔に視線を戻すと、一文字は訝しげに首を傾げた。


「なんか変なこといったか……?」

「うん?」


 言われて初めて、風見は自分がにまにまと顔をほころばせていることに気づいた。ごまかすように両手を振る。


「ごめんごめん、変なことは言ってないよ。なんていうか、おれ、イッチのそういうところが好きなんだよなー」

「何いってんだ。キモいぞ」

「キモくねえもーん。いいじゃん。好きなものを好きだとも言えないやつが、モノづくりなんてできるわけないっしょ」

「む……」


 返す言葉を失ったようで、一文字は口を引き結ぶ。その言葉自体は本郷の受け売りだったわけだが、風見は黙っておくことにした。


「上手く行かないことを他人のせいにしないし、できればみんなに楽しんでほしいと思ってる。苦手なやつでも。だから好きなんだよ、おれ」


 録画しっぱなしだったカメラを拾い上げ、風見は一文字の上体を正面からとらえた。風見という作り手を表現するかのように。


「そうやっておれたちは戦うんだ。自分の好きを振りかざして、えらそーに立ち振る舞って」


 液晶には、笑みとも困惑ともつかぬ曖昧な表情を浮かべる一文字が映し出されていた。



  ◆



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