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遺書

作者: 白狐

正直、小説書くのが苦手です。だけど僕なりに正解を模索しながら書いてみました。読んでもらえればうれしいです。よかったらコメントをください。

                     


もうすぐ私は死にます。

私がしたことを考えると、死んでも文句は言えません。

むしろやっと死ねると思うと気が楽になります。

私は罪深い人間です。

これから私は真実を語ります。それがせめて少しでも罪滅ぼしになるなら光栄です。



私は普通な暮らしを望んでいました。そこそこの職業について、25歳くらいで結婚して、子供を産んで、育てて、そしていつかは孫の顔を見て…。

本当に普通の暮らしでよかったんです。

私が求める理想の暮らしは、私の思い通りに始まりました。

23歳のとき、わたしは地元の中堅企業の会社に就職しました。

給料はそこまで高くありませんが、地元では定評があり、職場も健全でした。

職場には地元でも指折りの美人が務めていました。彼女は仕事がよくできて上司にもとても好かれていました。

彼女と結婚出来たら幸せだろうなと、おもっていましたが彼女に告白しても無駄だと思い、告白する気力は出てきません。しかしある日それは変わりました。

彼女が私に告白したのです。今思い出せばあの日が懐かしい。

私としては断る理由は全くありません。むしろ私が待ち望んだ展開です。

私は彼女と交際するようになりました。あの時私が彼女と交際していなければ、私は今、死ぬ必用はなかったのかもしれません。



彼女と交際し始めて1年半。私達は結婚することになりました。

これを機に彼女は仕事をやめ、専業主婦として僕をアシストしてくれました。

それほど余裕のある生活ではありませんでしたが、とても楽しかった。

彼女の作ってくれるピーマンの肉詰めはビールとよく合った。

そして結婚して3年後。我が家の第一子が生まれました。

色々費用が掛かりましたが、わが子のためだと思うと、喜んで働けました。

わが子はとてもかわいかった。私の想像を絶するかわいさです。

わが子が生まれたあの日私は自分自身に誓いました。

家族を絶対に守ると。どんなトラブルがあっても、どれだけ苦しくても。ぜったいに家族を支えると。

しかし私は、自分の誓いを破ってしまいまいした。それもこれ以上にないほど最悪な形で。



かわいいわが子が育っていき、我が家もこれからという時に、人生が変わる出来事が起きました。

私が勤める会社が倒産したのです。社長が取引先ともめあって、社長が取引先の社長を殺害したのです。

取引先の会社は、世間に名を馳せる大企業で、一大ニュースになりました。

社長の殺害動機もどうしようもないもので、裁判では私が勤める会社が明らかに悪くなり損害賠償もとんでもない金額になりました。

しかし社長は払うことを拒み、裁判所からは強制執行を命じられ、社長の自費や会社の経費から払われました。

社長が殺害され、会社の経費が失ったことが原因で倒産しました。

倒産した日、お金がいつもより多めの茶色い袋と、これからの不安を抱えながら、アルコールに酔いつつ家に帰りました。



生活する不安を抱えながら、酒の力を借りつつ酔いながら帰ったことを今でも覚えています。

駅を歩いている人間がすべて敵に見えました。

運命の歯車が狂い始めました。


私が家に着くと、早朝の4時くらいでした。

この時間まで自分は何をしていたのかは全く記憶にありません。

ただ深い深い絶望が僕の心を蝕んでいたのを覚えています。

すすりなきながら玄関のドアを開くと妻が私のそばに駆け寄ってきました。

きっと私の帰りをずっと待っていたのでしょう。

彼女は無言で私を抱きしめてくれました。

職は失った、だけど家族はまだ腕の中にいる。

私はまだ正常でした。


いい大学を出ているわけではなく、何か特殊な資格やスキルを持っているわけでもない私を雇ってくれる会社はありませんでした。

ましてや私が勤めていた会社の社長が人殺しをしたことを知っている企業としては、私は忌避される存在でした。

結局正社員として雇ってくれる企業はなく、私はバイトでしか働けなくなりました。

バイトで家族を養うのは当然不可能。

妻とともに働くことになりました。

子供には寂しい思いをさせてしまいましたが、ともに働かない限りもっと寂しい思いをさせることになってしまうので少々無理やりですが納得してもらいました。


会社が倒産して4年経ちました。私たちは相変わらずバイトでちんけな金を稼いで暮らしていました。

贅沢なんて全くできませんでした。だけどとても楽しかった。

どんなことしていても時は進むもので、子供は今年で小学一年生を迎えることになりました。

私たちはそれを記念して、今までがんばってためてきたお金を全部使って旅行に出かけました。

旅行といっても大した旅行ではありません。

安宿に泊まってトランプなどで遊んだり、散歩したり話をするだけです。

話は主に小学生になったら人を困らせないで生きていきたいなとか、友達は100人作りたいとかとかそんな他愛もない話をしただけです。

そんな夢幻的な夢はかなうことはありませんでした。

それは違う意味でかなうことがありませんでした。


旅行の帰りに、私たちは横断歩道を渡っていました。

楽しかったねとか、また行きたいねとか、そんな当たり前な会話をしていました。

子供が満面の笑みでありがとうと言いかけた時、子供はそれを言う前に私の視界から消えました。

直後ぽとっと、軽いものが強い衝撃で落ちたのが聞こえました。

鮮血が地面に水たまりを作っていてその中心にいるのは…。

状況が理解できない。いや理解したくなかったのかもしれません。

パシャパシャと他人事のように、写真をとる連中。

不協和音を先頭に段々と増えてくる、野次馬も。

息子がひき逃げされたことも。


ポっ。ポっ。ポっ。ポっ。ポっ。

無機質な機械音が、集中治療室に響きわたるのを、私たちはガラス越しから聞いていたことを覚えています。

子供が生きていることを示す音を聞き逃さないように耳をすすませていました。

私たちができることはただひたすらに治ることを、神様に手あたり次第祈ることだけです。

刑事さんからは、ひき逃げをした犯人はまだ見つかっていないとのことを聞いていましたが、正直どうでもよかった。

もちろん犯人には恨みを持っています。

だけど、このまま目を覚まさずに死ぬかもしれない息子を前にするともう、ちっぽけな問題だったのです。

私と妻は悲愴にくれました。

生きる理由をなくしたような気がしました。

そんな私たちを、見ていた医者はある提案をしてきました。

ここよりもっと大きい海外の医療大学へ行くことです。

そこでなら、息子さんは目覚めて完治するかもしれないと。

私たちはうれしさのあまり泣きました。

子供はもう、だめなのかと思っていたからです。

しかし、もちろんデメリットもありました。

金銭的な問題です。

海外で治療する場合、最低五百万かかるとのことでした。

しかし私たちにとってそれはそれほど問題ではありません。

身を粉にして働いて、それでも足らなければ金を借りればいいのです。

実に簡単な障害です。

その日から、私たちは住んでいたマンションを去り、一人暮らしでも狭いマンションを借りました。

妻は昼の間バイトをして、夜は水商売で赤の他人の家を転々と回りました。

私はバイトの時間を最大限に伸ばし、金を貸してくれそうな友人のところに訪れる日々を過ごしました。


そしてそれから、一年後。

病院からの通達で私たちは、息を荒げて子供の病室に行きました。

全身にチューブを纏う、子供に視線を落とすと、目がうつろになりながらこちらを覗いている息子がいたのです。

あの時は本当にうれしかった。

公共の場だというのに、年甲斐もなくうれし泣きをしたほどです。

医師からは、以前重症で、いつ様態が急変してもおかしくないと聞いていました。

それと話せる程度にはなったとも聞きました。

一年間のブランクを埋めるように、私たちは会話をしました。

はじめの方は、本当に少し頷くことしか息子にはできませんでしたが、最後の方にはかすかに笑えるようになりました。

仕事のためにあまり長居はできませんでした。

だけど久しぶりに心の底から笑えました。

その日のバイトでは心なしかいつもより声が大きかった覚えがあります。


山あり谷ありというように、幸福だけでなく不幸も舞い込んできました。

金を借りたアカムという会社が、早く借りた金を返さないと、三か月後に裁判を起こすという内容の手紙がポストに入っていたのです。

このことが起こりうることは、借りたときからもうわかっていました。

もとより、私たちは借りた金を返すつもりはもうとうありません。

仮に裁判を起こされたら、金のない我々には国選弁護人がついて、裁判に負けるだけです。

大した問題ではありません。

これよりもっと大きい問題は、妻が性病を患ったことです。

性病になると、もう水商売ではやっていけません。

我が家の柱が一本崩れました。

崩れた一本は、息子にまで影響を及ぼしかねません。

否、とても重大な被害を及ぼしました。

息子の治療費が払えなくなりました。

正直なところ、海外で手術を受けさせるための貯蓄はほとんどなかったのです。

稼いだお金はほぼ息子の現状維持のために回されたからです。

水商売からの収入がなくなった今、息子の現状維持さえ厳しい状況にあるのです。

それに、性病の妻を放っておくわけにもいきません。

私たちにはもう、手が打てないのです。

詰みです。

深い。深い。深い。絶望が一家を飲み干しました。

泣き面に蜂。不幸はこれだけでは終わりません。

息子の様態が急変しました。

会話ができたはずの息子が、急に眠ってしまったのです。

主治医には起きる見込みはほぼ0に等しいと言われました。

この時の私の心情は、、、。

ここに書くまでにないでしょう。


もう二度と目を開けないかもしれない息子のために、精神と体力を摩耗していく日々。

だんだんと自分が生きる理由を見失い始めました。

なぜ、自分たちはここまでの重荷を背負う必要があるのか。

宗教では、これを試練と呼ぶのでしょうが、私にとっては拷問に他なりませんでした。


そんな拷問も、休憩時間が入りました。

息子が再び目覚めたのです。

目覚めたといっても、目を開けているだけですが。

私たちはやはり泣いてしまいました。

いつもと同様、私たちは壊れた人形に話しかける子供のように、話しかけていました。

しかし、反応はありません。

息子の顔はうつろで、瞳には生気を感じられない。

血色がよかった頬っぺたも、いまは化粧をしているのか疑いたくなるほど真っ白でした。

ボーッとしている、息子を見ていると、息子の口が動いているのが分かりました。

何を話しているのかが気になって耳を彼の口に近づけると、息子はつぶやいていました。

声帯が空気を掻きむしるような声でたよりなく

「殺して」

とつぶやいていました。

私ははっとしました。

今まで息子のために、必死で働ていましたが、本当は自分たちのためにしていたのではないかと思い始めたのです。

息子は早く死にたいのに、それを諦められない私たちが懸命に働いたせいで、かえって余計なおせっかいになってしまったのかもしれない。

私たちがやっていたことは全ては水の泡。

なんともあほらしい話でしょうか。

人を救おうとした結果、人を懲らしめてしまったのです。

私はふらふらとしてしまいました。

精神的な面でも、身体的でも心はぼろぼろです。

壁に寄りかかりながら、ふらふらとした足つきで私は椅子に座りました。

それから一秒を数える前に、久しぶりにまどろみの世界へ突入しました。



はっと起きたとき、部屋には主治医が息子を見るように立っていました。

主治医の背中はどこか悲し気で、感情を殺しているように見えました。

まずい、寝てしまったなと思い挨拶を急ぐと、私ははっとしました。

息子につながっていたはずのチューブやそのたぐいが全部とれていたのです。

そして息子の顔に覆いかぶさるような形で白い布が乗っていたのです。

ガラガラガラガラ。

我が家と心が崩壊して、私たちを生き埋めになりました。


ここ最近の記憶がありません、かろうじて覚えていることは私たちが葬式の帰りに我が家にある全財産を財布に詰め込んだことです。

最近心が閉じっぱなしだったので、風を通そうと旅行に行くことになったのです。

旅行といっても金銭面的な理由で遠出はできません。

行けるのはせいぜい息子といった安宿でしょうか。


あの日と同様トランプをしたり会話をしたりしただけです。

話の内容は主に息子との思い出です。

未来の話は何を思い浮かんでこないのに、過去の話は沸騰したお湯に浮かぶ泡沫のように出てきました。


あの日と同様横断歩道行きました。

今ここに立っている要因が目の前に広がっているのです。

悔しくてたまらない。自己嫌悪が止まらない。

妻はそんな私を見てキスをしました。

白昼堂々、公共の場所でするのは何ともナンセンスではありましたが、どうでもいい。

自己嫌悪がスーッと引いていき、勇気が出てきました。

妻は横断歩道に背中を向ける形で立ちました。

そしてはにかみながら

「ありがとう」

とつぶやきました。

私は何も言わずふっと笑いました。

さようなら。

こころでつぶやく。

直後、今の自分が出せる最高の力で妻を優しく跳ね飛ばす。

無気力に車道へと転んでいく。

その顔に後悔や未練はない。

私がほれた彼女そのものの顔で、本当に美しい。

出会えてよかった。

直後、物理法則に従って無慈悲に彼女は飛んでいく。

思いやりなんて言葉を知らないこの世界がただ法則を遵守する。

そして、やっぱり冷たいアスファルトへと冷たく落ちていく。

ピクリとも動かなくて、ただ赤い水たまりが広がっていく。

あの時のように私は急ぎませんでした。

ただ、次は私の番だなと思いました。

走馬燈が頭の中に駆け巡る。

楽しかった記憶、痛い記憶、悲しい記憶、面白い記憶、愛を感じた記憶、絶望した記憶、理不尽な記憶、感動した記憶、息子が死んだ記憶、妻が死んだ記憶。

車道に向かって飛び出そうと足に力を入れて、飛び出す。

脳はこの行為を認識している、だけど恐怖でこの行動を抑制しようとしない。

きっと脳も限界なのだろう。

もう楽になる。

そして、赤い車が僕の視界に入ったとたん、誰かが私を引っ張りました。

私は飛べませんでした。

この世界の法則に従って、飛びたかった。

世界が中途半端なところで私を助けてしまったのです。

私にはわかりません。

なぜこのような中途半端なところで私を助けてしまうのでしょうか。

死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい

「もう嫌だ。こんな世界!俺を殺してくれよ。俺は死にたいんだよ。なんでこんなところで俺を救うんだよ。俺を殺せよ。妻のように俺を飛ばしてくれよ。」

心の思いが、いつの間にか世界にこだましていました。

死と絶望と悔しさが私を涙と鼻水で化粧しました。

あの時と同様。

シャッター音が空気を読まずに、響きました。

その音は次第に増していき、人と救急車と警察を呼びました。


妻と息子を殺してしまった私は逮捕されました。

息子に関しては殺したのかは定かではありません。

ただ世間は私が殺したことにしたかったようです。

事実私が死刑になった理由のほとんど息子を殺してしまった容疑だからです。

でもそんなことはどうでもいい。

私は死ぬことにしか興味がない。

死ぬことができれば他はどうでもいいのです。


よくヒーローぶった連中が言います。

自殺なんてするな。そんなことしても意味はない。

そんな言葉全部詭弁です。

私たちの何がわかるのですか。

本当に絶望したとき、誰の言葉も響かないのです。

ただ底知れぬ絶望が自分を飲み込むのです。

楽になって何が悪いのでしょうか。







読んでくれてありがとうございます。とてもうれしいです。皆さんは自殺についてどう思いますか?

私は自殺するな、なんていえません。コメントにて皆さんのご意見お待ちしています。

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[良い点] はじめまして歌島と申します。僭越ながらこの作品の感想を送ります。 自殺というものの是非について、私は何も言えません。 本当に苦しんでいる当人に対して、部外者が言えることは何もないからです…
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