第4話
__17時27分。
人気のない体育館裏で、馨と翔馬は静かに佇んでいた。お互いに何か話す訳でもなく、ただ、時が来るのを待っている。
風が吹くたび、馨の肩に届かないほど短い、真っ黒な髪がふわりと舞う。
静寂とはこういうことを言うのだろう。
体育館からは誰の声も聞こえず、周りには虫1匹すら見当たらない。馨達が呼吸をするたび、その音だけが大きく響いているようだった。
_その、静寂を壊すように。
遠くから、微かな足音が聞こえてきた。
「...来た」
制服の襟に付けた無線を確認する。
ここからが、本当の仕事。私情も感傷も必要ない。ただ、与えられた仕事をこなせばいい。
まるでカウントダウンのように馨達に迫る足音が、腕時計の秒針と、少しずつ同調していく。
カチリ。
長針が、17時30分が来たことを告げた。
「来てくれてありがとう」
馨はにこりと来客者に微笑んだ。
来客者が、制服のポケットから1枚のメモを取り出す。
「これを書いたのは...」
「そう、私」
馨は来客者に近付き、メモを奪った。そしてそのまま、小さく破り始める。
小さな紙片と化したメモが、風にさらわれ馨の手からこぼれ落ちていく。
「待ってたよ。__花岡美優さん」
花岡さんは無言のまま、何も喋らない。ただ、こちらを怪しむように見ている。
ふわり、とバラの香りがした。
「...何の用?四ノ宮さん。わざわざこんなところに呼び出すなんて」
「ふふ、この学校に隠れてたSI所有者を狩るため、だよ」
「...は?何それ、私がSI所有者だって言いたいの?」
馨は何も言わず、微笑むだけ。
しかし彼女からすればそれはもう、肯定を表しているのに等しかった。
「なに、そんなふざけたことを言うためだけに呼び出したの?」
「ふざけたこと、ねぇ...。こっちは至って真面目なんだけど」
馨は左頬につけていた絆創膏を剥がす。まだ治りきっていない一筋の赤い線があらわになる。
「この学校にはSI所有者かどうか怪しい人物が花岡さんを入れて3人いた。1人は坂本先生、2人目は小野光輝。そして私は昨日、誰かに狙撃されてこの傷を負った」
「...ねぇ、あんたの妄想に付き合ってる暇はないの。悪いけど帰らせてもらうから」
馬鹿馬鹿しい、とため息をついた後、花岡さんは立ち去ろうとした。
「...悪いが、帰すわけにはいかねーんだ」
「...っ」
背筋が凍るような、冷たい声。
翔馬はいつの間にか花岡さんの背後に回り込み、体育館の壁に気怠げそうにもたれかかっていた。
花岡さんが怯えるように、小さく肩を震わせる。
「まあ、そういうことだからさ。大人しく話を聞いてくれないかな?」
私も、手荒な真似はできるだけしたくないからね、と言うと、花岡さんはうっすらと涙を浮かべ頷いた。
「...屋上から一瞬見えた人影は大体170cmぐらいの背丈だった」
「な、なら...」
「そう。花岡さんはそんなに背が高くないからあの人影を花岡さんだって判断することはできない」
馨の目がす、と細められる。
そう、本来ならばありえないのだ。あの人影を彼女だと判断するのは。
背丈が合わないのはもちろんのこと、彼女は昨日、クラスの女子と共に駅前に遊びに行ったはずなのだから。
_しかし。
「昨日私を狙撃した人は、左手に銃を持ってた。つまり、左手でトリガーを引くってこと。...ねぇ、花岡さん。知ってた?坂本正明、小野光輝、花岡美優_この3人の中で、左利きはあなただけなんだよ」
一瞬。ほんの一瞬であったが、花岡さんが目を見開いた。
「それに、あの時反撃されるかもしれないのに1回もこっちを振り返らなかった。なぜなら、絶対に逃げきれる自信があったから。例え私達が後を追ったとしてもね」
「...」
「全てあなたが『変化系のSIを持つ』と仮定すれば辻褄が合う。女子の誘いを断って、あなたはSIを使って坂本先生に姿を変え、私を狙撃した。...私達『THS』を牽制するために」
花岡さんは下を向いており、今どんな表情をしているのかわからない。
翔馬が追い打ちをかけるように続ける。
「...それに、お前、花岡美優じゃねーだろ。花岡美優は小さい頃から喘息を患ってる。喘息持ってる奴が、そんな匂いのきつい香水なんかつけるかよ」
それは、ファイルに記されていた情報の一つ。
花岡さんの手のひらが固く握られる。
おそらく、薬莢の匂いを完全に消すためにバラの香水をつけ始めたのだろう。
馨達『THS』を、そんな簡単に騙し通せるはずがないのに。
「随分上手な演技だったけど...あなたは誰?本当の花岡美優さんをどこにやったの?」
馨の蒼い双眸が、真っ直ぐに彼女を見つめる。
花岡美優_いや、SI所有者は俯いたままなのに、何故か、笑っているように見えた。