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未樹との遭遇 (9)


 その日の放課後のことである。


「慧」


 授業から解き放たれた十七歳たちの賑々しい声が、そこらかしこで響く二年B組普通教室の一角。窓際最前列の自席にてマイペースに帰り支度を整えていた慧を、背後から呼ぶ声がした。そのナレーター然としたヒーリングボイスの持ち主を、慧はただの一人しか知らない。


 振り返った先には、案の定の人物が立っていた。


「一緒に帰ろうよ」


 図書室のヤクザこと平澤祐二である。


「お前、委員会は?」


 同じ天文部でありクラスメイトでもある祐二が、学内の図書委員会に所属しているという事実を、慧はもちろん知っていた。ゆえにして尋ねるも、


「いや、それがさ、先生の都合で延期になっちゃたんだよね」


「ほう」


「そういうことだからさ、うん。帰ろうよ」


 三白眼(さんぱくがん)を細め、大男がすこぶる凶悪な笑みと共に言い放つ。


 傍から見るとこの光景、気弱な文化系がヤンキーに絡まれている図にしか見えないよな、などと自嘲気味に思いながら慧は、祐二からの誘いに承諾した。


 校舎を出た途端、燦々(さんさん)と降り注ぐ強い陽射しが、二人を容赦なく襲った。


 気温二十九・五度、快晴。遠くでは早くも蝉の声。


 小糠雨(こぬかあめ)が降りしきっていた午前中とは打って変わった紺碧の空の下を、慧と祐二は取りとめのない話に花を咲かせながら歩いている。明日の世界史の宿題について、最寄り駅前に出来たばかりの家系ラーメン店について、先週土曜日に東京都内上空で確認されたという謎の飛行物体について。話題は次から次へと無尽蔵(むじんぞう)に生み出され続ける。


「そういえば、桑野の奴、ディベートの大会に今年も参加するらしいよ」


 そんな言葉が祐二の口から出たのは、校舎から徒歩四、五分程度の距離にある休耕田の横道を通り過ぎた時だった。


「くっ……桑野……」


 ああ、何て忌々(いまいま)しい響きだろうか。


 改めて俗物の存在を想起した直後、慧は自身の胸中に去来したどす黒い感情を自覚した。どろどろとした粘着質のそれが、全身をひたひたに満たすまで、時は五秒と掛からなかった。


 三國未樹に思いを馳せながら、一方でより一層の嫉妬心を幼馴染に募らせ続けた三日間。


 今頃あいつは、恋人の本郷明日菜と放課後デートにでも繰り出しているのだろうか。手を繋ぎ、歩幅を合わせ、地元の数少ないデートスポットを幸福度二百パーセントで巡り歩いているのだろうか。


 奥歯をぎりぎりと噛み締め、眉間に深いシワを寄せ、握った両の拳には自然と力がこもる。


「あの野郎……」


「慧、どうかした? 指名手配中の連続爆弾魔みたいな顔になってるけど」


「……何でもない」


 本当に何でもないんだ、と慧はほとんど呟くようにつけ足した。


 俗物に嫉妬心を燃やしている自分自身を充分に自覚しつつ、けれども慧は、その事実を素直に受け入れることが出来ずにいた。プライドが許さなかったのだ。もっとも、それはプライドとも呼べぬような、ちっぽけな意地なのだけれど。


 休耕田を両脇に見ながら、僅かに湿気を含んだ生温い風を全身で受けながら、二人は見慣れた通学路をとことこと歩き続ける。


 ほどなくして商店街に差し掛かった。直線距離にして約五百メートルに渡って延びる、全蓋式(ぜんがいしき)アーケード商店街である。軒を連ねる店舗はおおよそ二百にも及び、主婦や高齢者を主として、田舎にしてはまずまずの賑わいを見せている。


 昨年末にオープンしたばかりのクレープ専門店に、女子中高生らがたむろするこじゃれた雑貨屋。常連客で賑わうパン屋に、小太りの店主が暇そうにスポーツ新聞を広げている眼鏡屋――そんな普段と変わり映えのしない風景の中にぽつりと一人だけ、場違いも甚だしいほどの凄絶なオーラを放つ人物がいた。


「あれ、三國さんじゃない?」


 発見者は祐二だった。


 祐二の視線の先には、三階建ての古びた雑居ビルが一軒。その一階、いつ何時も誰かしらが常在しているゲームセンターの店先に、三國未樹が一人で立っていたのだ。


 学校指定の夏服に身を包む未樹は、入り口横に鎮座(ちんざ)したUFOキャッチャーの前で、何やら熱心に中の景品を覗き込んでいた。


「ほら、慧も知ってるだろ? 先週ライブハウスで観た弾き語りの女の子だよ」


「ああ、あのコか」


「何してるんだろう」


「さあ」


 無関心を装い、色のない声で呟く。知ったこっちゃない、とでも言わんばかりに。しかし、その余裕も長くは続かなかった。


「あ、誰か来た」


「え」


 条件反射で目を凝らすと、そこには一人の少年の姿が確認出来た。制服姿のその少年は、遠目からでも美形と判断出来るほどに端正な顔立ちをしていた。


 中性的雰囲気を醸すサラサラヘアの美少年を、未樹が蠱惑的(こわくてき)な笑顔で出迎える。


 やがて二人は至極自然に肩を並べ、真向かいのドラッグストアへと歩き出した。


「何だか、偉く良い感じだね」


「…………」


「あれだけ可愛いと、やっぱり男が放っておかないか」


「…………」


 もし仮に、あれが憧れのアイドル、ミキモトモモコ本人だったとしたならば、それこそ俺は今ここで泡でも吹いて絶命していたんじゃなかろうか、などと慧は無言の中で思う。何せモモコは、人生史上最も傾倒したアイドルなのである。出会いこそ二年前と比較的最近だが、深夜のバラエティ番組で偶然彼女の存在を知ったその翌日には、公式グッズを片っ端から買い揃えたほどの入れ込みようだ。


 容姿も声も、雰囲気も立ち振る舞いも、慧にはその全てがこの上なく魅力的に思えた。そして視界には、そんな憧れのアイドルの生き写しのような少女が一人。隣には長身の、清潔感溢れる美少年を連れている。二人は仲睦まじく寄り添いながら、雑踏を歩き進んで行く。絵になるカップルだ、ときっと周囲の誰もが思っていた。


「慧?」


 祐二が怪訝そうに声を掛けるも、もはやその声は右から左へ筒抜けの状態にあった。


「お似合いだな」


 三國未樹とのドラマチックな月九(げつく)ドラマ的展開を一瞬でも想像してしまった自分が愚かしくて仕方がない。腹の底から思いつつ、


「美男美女の、お似合いカップルだ」


 凍える音吐で独白した慧は、もうそれっきり自ら言葉を口にすることはなかった。


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