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未樹との遭遇 (8)

「ぬ……ぬおおおおおおお――――っ!」


 四壁(しへき)を刺し貫かんばかりに(とどろ)く、悲鳴にも似た雄叫び。


「え? ええ?」


 状況が呑み込めていないのだろうか。少女は大きな両目を丸め、これでもかと瞠目(どうもく)している。


 視界の先の少女、三國未樹だけにピントを合わせながら、慧は自身の振り切った感情をどうにも抑え切れずにいた。


「どうかされました?」


 喫驚と疑念が()い交ぜになったかのような声が未樹の口から紡がれ、そして慧の耳奥へと直に注がれる。


「あ、いや……君、うちの生徒だったの?」


「はい、そうですけど」


 まさか、まさかであった。「まさか」という名の坂を時速二千キロメートルで駆け上がり、そのままインド洋までぶっ飛んでしまうかのような、そんな超展開であった。


 ほどなくして空間を満たし始めた重々しい静寂の中、慧は錯乱気味の思考で、それはまるで異世界人でも観察するかのように、ただただ黙然と眼前の少女を眺め入るばかりである。


「…………」


 黒曜石(こくようせき)を彷彿とさせる色素のしっかりとした癖のない黒髪と、透けるような白肌のコントラストは、もはや神々しささえ感じられた。目鼻立ちのはっきりとした、それでいてまだ少女のあどけなさを残した面立ちに、細見の身体から仄かに香り立つ、気品漂うフルーティーフローラルの匂い。


 いや、さすがに匂いを嗅ぎとれるような距離間ではないので、こればかりは慧の勝手な願望かもしれないが、とにもかくにも容姿の面においては何一つとして非の打ちどころが見当たらなかった。三百六十度、どのアングルから見ようとも麗しき美少女だった。その姿たるや、まさに今をときめく人気アイドル、ミキモトモモコそのものである。


 二人の違いを敢えて挙げるとするならば、それこそバストサイズとヘアスタイル、ほくろの位置くらいのものだろうか。Gカップの金髪ショートヘア、そして口元にほくろがある方がモモコであり、片や目測CカップからDカップの――とここで、慧は自身の下衆(げす)極まりない目つきを自覚し、はたと視線を宙空に泳がせた。その動揺は、もはや誰の目にも明らかなレベルであった。


「あの……」


 長き静寂を掻き消したのは未樹だった。


 いささか遠慮がちな声である。突然のこの発言は、おそらく気まずい沈黙に耐えかねてのものなのだろう。


「せっかくなので、お名前……伺ってもいいですか?」


 もちろん、断る理由など見つからない。


 早鐘を打つ鼓動を必死に整えながら、右手中指で意味もなく眼鏡のブリッジを押し上げながら、慧は答える。


「い、乾慧。二年B組出席番号三番牡羊座О型。ちなみに、天文部の部長」


 だからどうした、と思わず突っ込みを入れたくなるような個人情報を交え、オタク特有の早口でフルネームを名乗った後、


「君は確か、みきゅ……三國未樹さん、だったかな?」


 などと盛大に声を裏返しながら、自らも発言してみせた。ここにきて美少女とお近づきになりたいという思いが、僅かではあるが萌芽(ほうが)し始めていたのだ。


 返事は間髪入れずに返ってきた。


「正解ですっ」


「あ、正解?」


「はい、大正解。名前、覚えていて下さったんですね」


「いや、まあ……うろ覚えだったんだけどな」


 すかした表情で呟くも、言わずもがな、うろ覚えなどではない。断じて。


 それにしても、それにしても、である。俺って奴は情けない。本当に情けない。慧は心で嘆く。液晶越しのモモコに対してならば、いとも容易く言葉を投げ掛けることが出来るというのに、何ならキスだって出来るというのに、いざ現実の美少女を目の前にした途端、この散々たる有様なのだから。


 何か言わなくては、普通に接しなくては、と頭の内側で強く思えば思うほど、動揺は波打つように増していく。


 またしても生まれた沈黙の中、未樹は黙ってこちらを見つめている。瞬き一つさえしていない。それは、モモコがファースト写真集「ピーチ・タイム」のラストカットで見せたアンニュイな表情と酷似していた。


「そういえば、何か用があったんじゃないの?」


 ようやく言葉を捻り出した直後、一変して未樹の表情が(ほころ)んだ瞬間を、慧は見逃さなかった。


「実は、ちょっと熱っぽくて」


「熱っぽい?」


「はい、今朝からずっとなんです。何だかふらふらしちゃって……」


 えへへ、と悪戯っぽく、おそらく前世でさえ出会わなかったであろうレベルの美少女が、肩を竦めながら微笑んだ。その仕草の人知を超えた破壊力に、慧は危うく昇天し掛けた。しかし、何とかすんでのところ、残りヒットポイント1で持ち堪える。ここで醜態を(さら)すわけにはいかない。数日前のライブハウスの二の舞を演ずるわけにはいかないのだ。


「だったら、そんな所に座ってないで……ほら、そこ寝たら?」


 慧はすぐ隣のベッドに目配せすると共に、随分と俊敏な動作で立ち上がり、


「じゃあ、お大事に」


 現在、午前十一時五十分。慧がここに現れて、時はまだ十分と経ってはいない。しかしながら、先ほどから脳内カラータイマーが、このシチュエーションの限界を主に警告し続けていた。


 未樹をこのまま独り占めしていたいという気持ちももちろんあったが、いかんせんタイムリミットが近づいている。墓穴を掘ってしまう前に、薄っぺらい自分自身を見透かされてしまう前に、この場を離れてしまおう。そう決断してからは早かった。


「具合はもう大丈夫なんですか?」


「あ、いや」


 まつ毛の長い、黒目がちな双眸に捉えられながら、


「俺、ここに仮眠取りに来ただけだから……」


 へらへらとそれだけを言い残すと、慧はほとんど飛び退くように保健室を去った。


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