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未樹との遭遇 (2)

「……うげっ!」


 見覚えのある地味顔に、慧は思わず声を上げていた。


 とっさに口元を覆うも時既に遅し。


「乾? 乾だよな?」


 胸元に「NASA」とプリントされた白Tシャツを着た少年が、その眠たげな印象の垂れ目でベランダを、つまりは慧を見上げている。片や隣の少女は、一体全体何が起こっているのか判然としない面持ちで、言葉もなく少年と慧の顔を交互に見やっている。


 厄介な事態になってしまった。内心で自身の大失態を猛烈に悔やみつつ、けれどもタイムリープなどというSFチックな特殊能力の保持者でもない凡人乾慧は、否応なく目の前の現実と対峙(たいじ)せざるを得ない状況にあった。


「お前、そんなところで何してんだ?」


「何って……」


 ここで怖気づいたら負けである。慧はスマートフォンを素早くズボンのポケットにしまい込み、一旦呼吸を整えると、至って堂々たる態度で答えた。


「こ、ここは俺の家だぞ。何をしようが俺の勝手だろ。大体にして……お前の方こそ、こんな時間に何して――」


「まあいいや。乾、ちょっとこっち来い」


「はあ?」


「いいから来いって」


 月面のクレーターを彷彿とさせるニキビ跡だらけの顔には、薄気味悪いアルカイックスマイルが浮かんでいる。


 現在、深夜十一時。片田舎の夜更けは早い。おそらく、この町の半数以上もの世帯が、もう既に灯りを消している頃だろう。それゆえ、声を張り上げながらの会話もさすがに近所迷惑な気がして、慧は少年の――幼稚園からの幼馴染である桑野進(くわのすすむ)の言葉に不本意ながら従った。


 上下ノーブランドのスウェットに足元は母親の健康サンダルといった格好のまま玄関を出て右方数メートル、改めて顔を合わせた幼馴染は開口一番、


「このTシャツ、従兄(いとこ)のよっちゃんからのアメリカ土産なんだ」


 などと脈絡のないことを自慢げに説き始めた。そして、それが終わったかと思うと唐突に従兄のよっちゃんのプロフィールを事細かに語り出し、なぜか昨今の異常気象にまで話題は飛躍すると、


「紹介するぜ。俺の彼女の明日菜(あすな)っち」


 と気が済んだのか、ようやく話題を本題に転じた。


 この様子からわかるように桑野進、なかなかのお喋りなのである。その性質を買われ、地元ローカルテレビ局の視聴者参加型討論番組に十代代表の一人として出演したこともある。


 十代代表は桑野を含め三人が出演していたのだが、弁舌を振るっていたのはもっぱら彼一人。それは何も他の二人が控え目だったから、というわけではない。単純にこの男のお喋りっぷりが度を越えていたのだ。ここまできたら、もはや才能と呼んでも差し支えないだろう。


「初めまして。桑野くんとおつき合いさせて頂いています、本郷明日菜(ほんごうあすな)です」


 桑野の目配せを受け、隣で気まずそうに黙していた少女が、ようやく口を開いた。


 律儀にもペコリと頭を下げた少女に、慧も慌てて会釈を返す。


「あ、ども……こいつの幼馴染の乾です」


 桑野に恋人がいるという衝撃的な事実を知ったのは、今から遡ること二ヶ月前。新緑が芽吹く、とある春の日のことだった。


 放課後、町内にある小さな広場に突然呼び出された慧は「おい、乾。盛大に喜べ。実は昨日、俺はアカシックレコードで定められた運命の女性(ひと)と見事結ばれた」という桑野の浮かれた発言をにわかには信じられずにいた。


 何せ桑野は顔立ちが整っているわけでもなければ、さして高身長なわけでもなく、偏差値が高いわけでもなければ、とりわけて気が利くわけでもない、そんなしょうもない、すこぶるしょうもない男なのだ。


 もっとも、この年にもなれば恋の一つや二つ誰もが皆当たり前のように経験しているようで、例えばティーン向けの某軟派雑誌の記事によると、同世代のおよそ三分の一が既に貞操を喪失済みとのことらしい。


 百歩、いや千歩譲ってその運命の女性とやらは、桑野の強引な押しに根負けした哀れな少女なのだろう。そうだ、きっとそうに違いない。


 自分自身に言い聞かせるように何度も心で呟くも、しかし話を聞くうちに、慧は酷く打ちひしがれることになる。何と交際のきっかけを作ったのは桑野ではなかったのだ。アルバイトの帰り道、同じ職場で働く女性が頬を朱に染め上げながら愛の告白をしてきたらしいのだが、そのコこそが今の恋人、つまり本郷明日菜だということだった。


 幼馴染の口から一通りの説明が終わり、得も言われぬ敗北感のようなものを覚える慧。その胸中を知ってか知らずか、桑野はまるで容赦なく更に追い打ちを掛けた。


 桑野が(おもむろ)に差し出したスマートフォンを凝視したまま、慧はしばしの前後不覚に陥った。


「どうだ、可愛いだろ? プリティ、いやプリチィだろ? この美貌、まさに人間国宝ってか! ファ――ッ!」


 何も答えられなかった。言葉が出てこなかった。


 手垢だらけの液晶に映し出された少年少女の大胆極まりない接吻画像を、慧はどうにも現実のものとして受け入れることが出来なかったのだ。


「俺の明日菜っちへの愛は、(たと)えるならフォッサマグナよりも深いわけであってだな――」


 あの日、桑野を一発か二発、思いっきりぶん殴っておけばよかった。六月の気怠い空気の中、慧は改めてそんなことを思い始めている。


 実物の本郷明日菜は画像で見るよりも数段可愛く、言うまでもなく桑野には釣り合っていなかった。誰もが思わず振り返ってしまうような美人とまではいかずとも、ちょっとした地下アイドルグループにいてもおかしくないくらいの容姿は備えていた。化粧が上手く、清潔感があり、また口調も穏やかだった。


 こんな上玉が、一体全体どうして桑野なんぞに好意を抱いてしまったのだろう。慧は頭上三十センチに疑問符を浮かべ、黙考し、けれども答えを導き出すまでには至らない。


「おっと……もうこんな時間か。AV鑑賞中のところ、わざわざすまんかったな」


「お、おま! ふざけ――」


 慧が言い切るよりも早く、浮かれ切った俗物はごく自然に恋人の腰に手を回し、あばよ、と一言。瞬く間に深い闇へと紛れていった。


 おそらく、あと五分もすれば奴の自宅に着くはずだ。二人は今夜、きっと一つになるのだろう。明日は土曜日。朝までコース必至である。思いながら、慧は嫉妬や羨望、焦燥といった感情をはっきりと自覚した。


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