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夕凪ハートブレイク (3)

 というわけで、午後六時過ぎ。


「こりゃ渋谷のハロウィン並だな……」


 アーケードに足を踏み入れて早々、慧の血色の悪い唇から期せずして心の声が漏れた。


 辺り一面、どこを見ても人、人、人。おびただしいほどの人の数である。


 色とりどりの光源が優しく、表情豊かに揺らぐ非日常の中、イベントは例年通りの、片田舎にしてはまずまずな盛況ぶりを見せていた。


「お前ら、くれぐれもはぐれないように頼むぞ」


「わかってまーす」


 四人は小さく一塊になり、慧と祐二を先頭にして混沌を歩き進んで行く。


 たこ焼き、かき氷、射的と目に留まった出店を順に回り、そしてアーケードの中ほどに辿り着いた時、智美の提案により部員全員で金魚すくいに興じることとなった。


 もっとも、上級生コンビは金魚を一匹も捕獲することのないまま早々とリタイア。片や残された下級生コンビはというと、近所の鼻垂れ小僧たちに混ざり、熱心に水槽と睨み合いを続けている。


 十分ほどが経過した頃だろうか。


「わあ! 見て見て!」


 突然、智美がその場から勢いよく立ち上がったかと思うと、次の瞬間にはくるりと後方を振り返り、


「捕れた! 捕れたよ――!」


 と歓喜の雄叫びを上げた。


 智美の握ったプラスチック製の底深な器の中には、ぴちぴちと躍る朱色の金魚が一匹。どうやら、お目当ての獲物を捕獲することに成功したらしい。


「トモちゃん、おめでとう」


 既に三匹捕獲済みの誠が、例のフレッシュスマイルと共に智美を祝福したのとほぼ同時、


「お嬢ちゃん、よくやった! ぶはは!」


 と続いたのは、ロマンスグレーの角刈りにねじり鉢巻きがトレードマークの、初老の歯抜け店主である。これでもかと大口を開け、下劣な胴間声(どうまごえ)でワイルドに笑う様は、さながら悪代官といったところだろうか。そのあまりの迫力を前に、智美が危うく器を落としそうになった。


「可愛い……」


 陽気な悪代官に見送られながら、出店を後にした一行。そんな中、ポリ袋の中で窮屈(きゅうくつ)そうに泳ぐ一匹の金魚を、智美がきらきらと輝く猫目でうっとりと眺め入っている。全国高校サッカー選手権大会決勝の試合終了間際、三十メートル越えの逆転ロングシュートを決めた憧れの先輩を目の当たりにした生娘でさえ、こんなとろけ切った表情は浮かべないであろう。


「今日から橘家の一員だね、ギョギョちゃん……」


「ギョギョちゃんって、その間抜け面の下等生物のことか?」


「ブチョー! 何てこと言うんですかー!」


「冗談だよ、冗談」


 ギョギョちゃんと名づけられた哀れ小魚に心ばかりの同情心を抱きつつ、それでいて智美もまだまだ子供だな、と慧は後輩の存在を何だか微笑ましく思い始めていた。


 それにしても、


「この歌声、素人にしてはクオリティ高過ぎると思わないか?」


 先程から遠方で、どこぞの誰かが絶唱している。随分と透き通った、若い女性の声だ。今回の祭りの為にと運営が気を利かせて招いたプロのミュージシャンか何かだろうか。


 大気を、そして心の芯を震わせるロングトーンに、慧が次第に興味を惹かれ始めていると、


「きっと有名人ですよ! 観に行ってみましょうよ!」


 と絶妙なタイミングで、後方の智美が声を弾ませた。


 三秒と掛からず部員全員が賛同の意を示すと、一行はアーケードの混沌をそのまま直進。会場が近づくにつれ徐々に音量を増す美声に胸を躍らせつつ、気づけば誰ともなしに歩調が速まっていた。


「あれじゃないかな?」


 辺りに漂う焦げた醤油やソースの芳しい香りを鼻先で感じながら数十メートルほど歩いた頃、アーケードの一角にいち早く黒山の人だかりを発見したのは祐二だった。こぢんまりと組み上げられた高さ一メートル弱の特設ステージの周囲を、数にして七、八十人以上もの観客が鮨詰(すしづ)め状態で囲っている。


 老若男女の間隙(かんげき)を上手くすり抜けながら、ようやく中央列付近に身をねじ込んだ時、慧は視線の先の光景に思わず目を疑った。


 明々(あかあか)とライトアップされた、紅白を基調とした簡素なステージ上には、淡い水色の、アサガオ柄の浴衣を着こなした少女が一人。オベーション社の真っ青なセレブリティ・エリートを抱え、マイク越しにf分の1ゆらぎを響かせているその少女に、慧は確かに見覚えがあった。


 眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、両目を何度か瞬かせてから、慧は再度その少女に視線を据えた。


「……あ」


 そして、気づいてしまう。


 たった一人で、その得も言われぬ圧倒的な存在感を見せつけていたのは、


「未樹……さん?」


 そう、三國未樹その人だったのだ。


 予想の斜め上を行く人物を前に、慧はしばし瞠目し、そして刹那の白日夢を疑った。


 思えば、この辺りは先日、未樹と誠の美男美女カップルを見掛け、心底からの絶望を味わった場所ではないか。


 忌まわしき記憶を呼び覚ました直後から、慧の四肢は無意識のうちにがくがくと震え始めていた。


 乾留液(かんりゅうえき)に浸したかのような黒々とした感情が急速に全身を湛えていく様を自覚しながら、来るんじゃなかった、と慧が自分自身を責め立てていると、


「……姉さん、今日ここでライブだったんだ」


 真横数十センチの距離でサラサラヘアの中性的美少年が、ぼそりと囁くように呟いた。


「え?」


「あ、すみません。独り言です」


「いや……ちょっと待ってくれ」


 誠が発した「姉さん」という言葉の意味するところを必死に捉えようとするが、いやしかし思考が全く追いつかない。


 惑乱の最中、慧は思い切って尋ねた。


「誠。お前……今、姉さんって言ったか?」


 すると、その問いに誠が即答する。


「はい。三國未樹、僕の従姉(いとこ)です」


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