開城
徳川の軍使、服部半蔵が追い返された二日後である。
今度は更に大物、徳川軍の最高幹部、石川家成が自ら乗り込んできた。
「その男、知っておる」
小倉且久だった。
「松平の子倅の腰巾着だった男よ」
すこし怯えた様子で言った。
「で、どう致す、小倉殿。氏真様に同席願うのか、どうなのだ」
泰朝は尋ねたが返事がない。
そうこうしている内に、「徳川の使いが来ました!」と切迫した声が掛った。
抜刀した朝比奈の兵たちに取り囲まれながら入ってきた。
中央に用意されている敷物に着座し、小倉と目が合うと、ぎらりと睨みつけた。
小倉は震える声で言った。
「よくぞのこのこやって来たの、貴様を人質にしてやろうか。」
「やれるものならやって見るが良い! 三河衆の全てが貴様を吊し上げ、八つ裂きにするであろう!」
(すごい迫力だ。徳川勢が強い理由が分かったような気がする)
主水はそう思った。
一貫に先導され、氏真がドタドタと入って来た。
小倉且久が驚いた顔をした。
そして、長い溜息を吐き、うなだれた。
その後をその奥方が静かに続いた。
侍女として香鈴が付いている。万一の為の護衛だ。
「おおっ、そなたか、懐かしい!」
氏真は感慨深そうに言いながら上座に着座した。
石川家成は深々と頭を下げ、言った。
「我が主君家康は、今川家から受けた御恩をいささかも忘れてはおりませぬ」
(え・・・・・・?)
またもや意外な言葉に、全員耳を疑った。
「この掛川城は武田を叩くために必要なのでござる」
皆黙って聞いている。
氏真はウンウン頷きながら聞いている。
「決して氏真様を粗略には扱いませぬ」
家成は続けた。
「武田を駿河から追い払い、その後は、氏真様を駿河の太守としてお迎え申し上げたい」
「・・・・・・」
「それまでどうか相模の地へご避難願いたい」
誰もが疑いに満ちた目をしている。
「以上、これが我が主君、家康の意向にござります」
そう言うと、深々と頭を下げた。
沈黙が流れた。
(よくそんな大嘘が言えるわね)
香鈴はそう思いながら、そっと氏真の表情を盗み見た。
その両目には大粒の涙が溢れていた。
(ええっ!)
香鈴は驚いて声を上げそうになった。
「ま、まことか。まこと、余を駿河の太守に戻してくれると申すか!」
「まことにござりまする!」
家成はきっぱりと言い切った。
「家康どのは、今川への忠誠を忘れていなかったのじゃな!」
そう言い、身を震わせた。
(なんでそうなるの!?)
香鈴はあきれて周囲を見廻した。
居並んだ味方の武将が一斉に脱力していた。
「わが主君からは、氏真様ご夫婦にいささかなりとも粗略があってはならぬとの厳しいお達し」
(今までさんざん攻撃して来たくせに、よく言うわねぇ)
「粗末ではござりますが、輿を用意してございます」
(輿って輿入れの輿・・・・・・)
香鈴は姫に視線を移した。
目が合った。
繰り返しうなずいている。
目元が真っ赤になっていた。
この日掛川城は、開城する事が決まった。
その夜、お初は今川の血を受け継ぐ者を産んだ。
女の子であった。




