終わりの始まり
その夜、朝比奈俊永は首から下だけになって帰ってきた。
「遠州一の勇者、朝比奈俊永殿の亡骸、謹んでお返し申す」
使者は以前と同じく服部半蔵だった。
「俊永様っ!」
悲痛な声がいくつも上がった。
本営の大広間である。皆ぼろぼろになっている。
服部半蔵は敵意むき出しの視線に囲まれ、部屋の中央に座った。
戸板に乗せられた俊永の亡骸を挟み、朝比奈泰朝と向かい合った。
泰朝の脇には今川家の重臣、小倉且久が座っている。
「貴様、よくも抜け抜けと! 貴様も首から下だけにして帰してやろうか!」
泰朝は身を震わせて怒声を発した。
「どうぞご随意に」
使者は顔色ひとつ変えずに落ち着き払っている。
「我が主君、家康から伝言がござる」
続けて言った。
主水は末座でじっと聞いている。
(ふつうなら降伏勧告だが)
「・・・・・・言えっ!」
泰朝は刺すように怒鳴った。
重臣たちは険しい顔で見守っている。
「家康様はこう申された。我は今川家に一切の恨みを持ち合わせぬ」
(えっ!?)
主水は意外な言葉に耳を疑った。
同席している全ての者が同じようだ。
「掛川城を攻めたのは、武田と戦うため。駿河から武田を追い払い、氏真様に駿河の地をお返し申し上げたい」
城主、朝比奈泰朝はたちまち疑いに満ちた苦渋の顔に変わった。
更に半蔵は続けた。
「武器を捨て城を明け渡すなら、城中の者全ての身の安全を保証いたす。以上が伝言でござる」
「・・・・・・いらぬ世話じゃ、と申せば?」
泰朝は声を押し殺して言った。
「明日からまた、城を攻め申す」
「なぜ急にそうなった。武田が遠江に狙いを変えて、焦ったか!」
「隠すつもりもござらん、ご明察の通り」
ここまではっきり開き直られると、泰朝は言葉を見つけられなかった。
ようやく言葉を吐いた。
「城から出た後、騙し討ちにしたりはせんのだろうな」
「これはしたり、我らはそのような卑怯な真似は致さぬ。何ならそれがし、退城時に人質になってもようござる」
「ふむ・・・・・・」
しばらく考えた。
(ここは時間稼ぎするしかない)
泰朝は切り出した。
「これは重大事じゃ。今この場で返答できん。氏真様の判断を仰がねばならん」
半蔵はここぞとばかりに身を乗り出した。
「ならば、この場に氏真様をお呼び下され。直ちにご返答承りたい」
泰朝は、ぐっと詰まった。
「氏真様は駿河の国の太守であられるぞ!」
それまで黙って座っていた小倉且久が声をあげた。
「そなたのような身分の低い侍に、氏真様を引き合わせる訳にいかぬわ!」
主水は卒倒しそうになった。
(この男、自分の立場を分かっていないのか!)
しかし半蔵は、ここではじめて言葉が詰まった。
「・・・・・・拙者では役不足と申されるか」
「いかにも左様」
且久は尊大な様子で答えた。
「承った。ではその旨、我が主君家康に復命いたす」
使者は城を出た。
城兵たちは不安そうな顔でその後ろ姿を見ていた。
主水が仲間の元に帰ると、若い風魔たちは目を血走らせていた。
「徳川に夜襲をしかけよう! 俊永殿の敵討ちだ!」
主水は一人ひとり、なだめて廻らなければならなかった。




