北の使者
各和城は落ちた。
朝比奈俊永が部隊を率いて救援に向かったが、敵の大軍に阻まれ、なす術が無かった。
「無念じゃ」
俊永は唇を噛みしめた。
「三日三晩、よく持ち堪えたものだ。彼らの働きに報いねばならん」
朝比奈泰朝が言った。
この度の籠城戦が、城主であるこの男の、何かを変えつつあった。
かつて『氏真様のご命令』と言うだけで、何の考えもなく遠江の有力武将を誅殺した頃のような、無分別な勇猛さは微塵も感じさせない。
本丸大広間である。
上座には誰もおらず、その脇に泰朝と俊永、反対側に小倉且久、左右の下座に家臣と味方の武将がずらりと居並び、部屋の中心には丸い敷物が置かれていた。
「そろそろお呼びしましょうか」
「もうしばし待て。食糧の貯えは?」
「今の人数ですと、あと二か月と少々でございます」
兵糧奉行が震える声で言った。
「ほお、まだまだ戦えますな」
三浦監物が言った。
「左様、二か月あれば徳川を叩き潰すのに充分だわい」
日根野備中が続けた。
戦中は威勢のいい論調に支配されがちだ。
(しかし、あと二か月しか持たん。とも言える)
主水は冷静に分析していた。
(舎利奈の奴、小太郎のおやじに伝えてくれただろうか)
あの日敵の軍使、服部半蔵に告げた提案を、舎利奈に託していたのだ。
「では、そろそろ呼んでまいれ」
「はっ」
案内されて入って来たのは、上杉の使者であった。
「それがし上杉から使いで参った、河田重親と申しまする」
交渉術の達人であり、その道の専門家として上杉謙信の信頼が厚い人物である。
「今川氏真公のお姿が見えませぬが」
「御屋形様はお怪我をなされて、ご養生中でござる。我らが代わりに承ろうと思うが」
「重大な協議でござる。直接お話しせねば越後へ戻れませぬ」
「小倉殿、何とかなりませぬか」
泰朝が言った。
小倉は頷くと、使者に言った。
「使者殿、我らは氏真様と一心同体、何を話されても、いささか問題ござらん」
使者は顔色一つ変えずに黙っている。
小倉は続けた。
「それとも、何ぞ我ら漏れてはまずい謀り事を、氏真様にこっそり持ち掛けられるのではござりますまいな?」
(よく言うぜ)
主水は下座でそう思った。
「謀り事、ですと?」
「左様、本来駿河守護職、今川氏真様へは、全てこの小倉且久に話しを通す事になっておるのだ」
「ふむ、では・・・・・・」
主水が服部半蔵へ持ちかけ、そして舎利奈へ託した提案。
それが実現に向けて動き始めていた。
上杉がその仲介をしていたのだ。
しかし、城内にそれを知る者はひとりもいない。
今、北条の力で、駿河から武田を駆逐しつつある。
北条の援護の元、駿河に今川氏真を戻し、その代り、遠江は徳川が領有する事を認める。
そして、上杉を加えた四家で武田を包囲する。
氏真一人がそれに了承すれば、合意がなされ、掛川城の包囲戦は即、終わる。
使者はそれを氏真に打診しに来ていたのが・・・・・・。
「今川家からの同盟につき、上杉家よりいくつかの追加事項をお加え申したい」
ついでの話しを主要議題にして、使者は話し始めた。
籠城はまだ続く。
「主水、お疲れ。迎えに来たよ」
香鈴が犬のエンマを連れて迎えに来ていた。
最近入城してきた者は、エンマは香鈴の飼い犬だと思っている。
「香鈴、もういいのか」
「うん、もう大丈夫。会議はどうだった?」
「ああ、眠かったよ」




