道化
二ノ丸の食糧庫から火の手が上がっている。
攻城兵はますます意気を上げ、攻撃の手を強め始めた。
その時、徳川の陣から、けたたましい鐘の音が響いた。
すると、なぜか敵の軍勢が一斉に退却し始めた。
「一体何があった!?」
主水は櫓の上の城兵に尋ねた。
「味方だっ! 援軍が来たんだ!」
「佐太郎、お前も来い」
主水は矢倉丸に登った。
本来ここは朝比奈の、決められた者しか登れない。
だが先日の刺客の一件以来、主水も登る事を許されるようになっていた。
ここは掛川城で最も高い場所にある。
木目もあらわな二層の櫓に、見張りの兵が詰めていた。
主水は霧吹き井戸へ辿り着いて大声で尋ねた。
「敵の様子が変だっ。何があり申した!?」
「味方でござる、雨宮殿。各和城の者たちが、徳川の背後を襲ってござる!!」
主水が遠目に見ると、激高した徳川の軍団が、各和の兵に激迫していた。
(なるべく死者が少なく済むよう)主水は祈った。
これを機会に味方の将兵が続々と戻って来た。
誰もが疲れ切った顔をしている。
小倉且久も今川居館に戻って来た。
疲れているが、ニヤニヤと浮ついた顔をしている。
(既に武田の腕利きが仕事を終えているだろう。ついにワシも大名の仲間入りか)
居館の周囲は普段と何ら変わった様子がない。
(変事が有った割には、落ち着いておるの)
年老いた使用人が勝手口から出てきた。
「おい」
「あ、これは小倉様。お帰りなさいませ」
「なんぞ、変わった事は無かったか?」
「あ、それが大変な事がございまして・・・・・・」
(よしっ、我が事なれり!)
小倉の心は達成感に包まれた。
(苦節八年、落ち目の今川家を支え続け、ようやく報われる日が来たか)
しかし次の言葉で、小倉の甘い夢想は一気に吹き飛ばされた。
「昨日またエンマに噛みつかれまして。今度は左のお尻でございます」
「噛みつかれただと。誰が?」
「え? 御屋形様でございますよ」
他に誰がいるのか、と言わんばかりに使用人は言った。
「他には、他にはなんぞ無かったか」
「そういえば、曲者が入り込んだらしゅうございまして」
(それだっ!)
「で、どうなったのだ!」
小倉は身を乗り出した。
「それはもう恐ろしい事に、御屋形様の部屋が血の海でございまして」
「で、で、御屋形様はどうなったのじゃ!」
「ですから、エンマに噛みつかれて、今ご養生中でございます」
いつの間にか、小倉のすぐ後ろで主水が二人のやりとりを聞いていた。
気配を消しているのだろう。
小倉は気が付かない。




