乱世のビジネス
城内は緊張感に包まれている。
武田と小競り合いするようになってから、ずっとである。
三人が案内されたのは、北条一族の居館であった。
「おやじどの、俺はここに来るのは初めてだ」
「ワシは何度かきておる。どうという事はない。そうだ、二人とも場内ではワシを出羽守と呼ぶように」
「父御、出羽守ってなに」
「官位の一つだ。侍社会では肩書きが大事でな」
「ふうん。父御、いや出羽守さまも侍になったんだ」
「どうやらそのようだ」
居館の玄関に着くと、水の入ったタライと手ぬぐいを用意された。どうやら上がれということらしい。
居館に上がれるのは北条一族の他、ほんの一部の者だけである。
刀を預け、広間に通された。そしてここで待つよう案内の侍に言われた。主水は控えの間に通された為、ここにはいない。
しばらくすると、ダッダッという足音が聞こえた。
(子供の足音は小姓だな。それから若い男、護衛だな。中年の男性、これが隠居の殿様だな。あともう一人は老人。誰だろう。)
ふすまが開いて、四人が入ってきた。当然香鈴たちは背中を丸めて、額を床に着けなくてはならない。
「よう来た、出羽守!」
香鈴はそっと声の主を覗き見た。
(上品そうなおじさん)
「氏康様には、いつも尊顔うるわしう・・・・・・」
(え、父御ったらこんな事言えるんだ)
「堅い挨拶は抜きじゃ。面を上げよ」
「ははっ」
「で、例のおなごは、その方の娘はいかがした」
「は、こちらに控えておりますのが、それがしの娘、香鈴にござります」
「おおそうか、そちがそうか」
北条氏康は身を乗り出し香鈴の手を取った。この当時は身分のけじめにうるさい。
「御本城様っ」
小姓と護衛の侍があわてて膝を立てた。
氏康の手汗が香鈴の手の甲一面にべっとり乗り移った。
(うっ、)声が出そうになるのを香鈴は何とか抑えた。
「なに、かまわん。しかしその方、男物の着物であったから分からんかったぞ。そうか男にも負けない覚悟で掛川へ行こうというのじゃな。さすがは出羽守の娘じゃ」
(いや、そういうわけではないんですが)
「して恐縮でござるが、当座の旅費を」
小太郎は抜け目なく言った。
「うむ、分かっておる。金子を持て」
氏康が手を打つと、金子が三方に載って運ばれてきた。
香鈴には価値がよく分からないが、相当な金額であることは間違いない。
(それで父御が慌てていたんだ。根っからの風魔党だね)
「して、この殊勝な娘に何か褒美を取らせたい。なんぞ与えるものはないか」
(やった、ほうびだって)
「では、後はこの幻庵が、良しなに取り計らおうと存ずるが、いかがかな」
しばらくの間、香鈴はうわの空だった。褒美の事で頭が一杯だったからである。
音がする、雨がぱらつき始めたようだ。