理由(ワケ)
香鈴は正座して姫に向き合っていた。
姫の両脇には小春とお初が座っている。
「姫様っ! 心配したじゃないですか」
「・・・・・・ごめんね」
姫は片目を閉じ、ぺろりと舌を出した。
「姫様ったらホントにもう・・・・・・」
北条家に生まれ、少女の頃から馬を乗り廻して関東平野を駆け巡って来た女性である。
奥様然としてひっそり閉じこもっているのが、実は苦痛でならなかったのだ。
後年、早川殿と呼ばれ肖像画が残されるが、残念なことに本名は伝わらなかった。
「あーもうホントに面倒。姫なんかに生まれて来るんじゃなかったわ」
「奥方様、またそのようなお戯れを・・・・・・」
お初も小春も姫を諭した。
(やっぱりわがまま姫なのかな)
そう思った香鈴の気持ちが次の瞬間消え去った。
「わたくしたち夫婦の為に、沢山の人が死んだのです。この重圧。香鈴に分かりますか?」
姫の両目に涙が浮かんでいた。
そして、スっと二筋流れ落ちた。
「ひ、姫様っ!」
なぜか香鈴の両目にも涙が溢れた。
そして止めどもなく流れ落ちた。
(なんであたし泣くんだろう?)
自分でも分からなかった。
「御屋形様は心配していましたか」
姫は優しく尋ねた。
「ええ、それはもう。すごーく心配されていましたよ」
「でしょうね。わたくしが一人でここを離れられないもう一つの理由、香鈴には分かったかしら?」
「え、あの(下膨れ)が!?」
香鈴は何とか途中の言葉を抑えた。
三ノ丸に置き去りにされた徳川兵の一団がいた。
東門の前は逆川の水が流れ込み、堀の幅が以前とは比べ物にならない位、広くなっていた。
外とつながる道も水没してしまっている。
「俺たちの食い物を返せ!」
二ノ丸から朝比奈兵たちが次々と矢を射込んでいた。
徳川兵は次々堀に飛び込んでいくが、溺れる者も少なくない。
三ノ丸は再び、朝比奈の手に戻った。
「ワシらは、奥方様の為に戦うのじゃ」
「いかにも左様。あのお方の為なら死んでも悔いはない」
下々の兵卒にとって、『今川家』と言うのは、格別深い意味を持たない。
自分たちが生きる為に止むを得ず朝比奈に従っているだけなのだ。
今川家が滅ぼうがどうなろうが全く関心がない。
「どっちでもいいから早く勝敗が決まって、ここから解放されたい」
これが偽らざる兵卒の本音であろう。
だがあの日の一件以来彼らの心根はガラリと変わった。
「奥方様はオレらのような者まで労わってくださる」
「拙者の兄弟の手を握って死を看取ってくれた」
「ワシに死ぬなと言って励ましてくれた」
「今川の奥方様」
その言葉は兵卒たちに戦う目的と勇気を与えるものになっていた。
「奥方様」
その名を呼ぶとき、兵卒たちはその目に涙を浮かべた。
「死ぬときは、奥方様の為に、死のう」
それが朝比奈兵たちの合言葉になっていた。




