決壊
深夜である。
クワなどの農具を持った兵たちが、城の南東部の斜面の上に集まっていた。
冷たい雨が、いつまでも止まない。
「それがしから参ろう」
主水は濡れた斜面を滑り降りて行った。
急斜面である。
同じ場所を上がっていくのは風魔の男でも難しいだろう。
草木が覆い茂っていて敵から見えない。
新野甚五郎がそれに続き、更に兵たちが次々滑り降りて行った。
そのまま東へ進み、敵陣の脇をすり抜け、城から少し離れたところで止まった。
水門がある。これを破壊すれば城下が水浸しになるのだと言う。
歴代の城主たちが先頭に立って、何十年も苦心して作り上げた堤防である。
会議では当然、皆渋った。
逆川は古くは欠川と呼ばれる。
度々氾濫して堤防が欠ける事からこう呼ばれたらしい。
しっかりした堤防が完成し、氾濫の恐れが無くなった時、人々は欠川の名を捨て、逆川と呼ぶようになった。
ここ掛川が繁栄し始めたのはその頃からだ。
それを壊すと言う事は掛川で生まれ育った者たちにとって不本意極まりない事である。
最後は城主、朝比奈泰朝の決断だった。
「堤防は元に戻せる。今川家が滅べばもう戻らぬ。」
激しい雨の中、男たちはクワを叩きつけた。
建設に多大な歳月を要した堤防である。
破壊には思った以上の時間が掛った。
一人の兵が足を滑らせ、濁流に落ちた。
こんなことも有ろうかと用意していた竹束を誰かが投げ込んだ。
主水は濁流に飛び込み、右手に竹束を抱え、左手に落ちた兵を掴んだ。
竹束は綱で川岸の木に結び付けられている。
濁流に耐える主水の耳に誰かの叫びが入った。
「水門を壊したぞ!」
(そうか、それは良かった。早く助けてくれ・・・・・・)
新野達が二人を引っ張り上げてくれた。
濁った水が雪崩のように城下に流れ始めている。
左右の土を飲み込みながら、更に水量が増えて行った。
「成功だ、撤退するぞ」
東の空が、ほんの少し明るい。
主水たちは農具を捨て、大きく迂回して城の北側に出た。
天王山の将兵に気付かれたかもしれない。
雨の中、砦を降りてきた。
「見つかったな。皆、急がれよ!」
城の北側は絶壁になっている。
城兵が主水たちに気付いた様だ。
上から縄ハシゴが三本降ろされた。
応援で参加した主水から先に登るよう、城兵たちに促された。
徳川の一軍が迫って来ている。
「では、それがしから」
軽々と登り切った時、矢が飛んできた。
味方が次々と縄ハシゴを上がってくる。
主水は一人ひとりに手を貸した。
最後に新野甚五郎が上がった時、徳川兵が崖下を取り巻いた。
徳川兵たちも次々縄ハシゴを登って来た。
もう少しで登りきる。その直前で朝比奈兵が、次々綱を切った。
糸の切れた数珠の様に、敵の兵が落下していく。
鈍い音が崖の底で響いた。
その時だった。崖の斜面がフッと滑り落ち、目の前から消えた。
「がけ崩れだ!!」
大量の土砂が崩れ落ち、徳川の兵達を飲み込んだ。
雨脚が少し弱くなった。




