四囲
「これを持って相模に戻るとしよう」
湧谷右近は呟いた。
手には援軍要請を求める今川氏真の書状があった。
もっとも書いたのは小倉且久である。
見事な文面である。
優れた教養人なのだろうが器が小さく、欲が深い。
「遅い。徳川が来る前にこれが欲しかった」
主水は悔しげに言った。
「右近、大事な通信だ、よろしく頼む」
「ああ、任せとけ。だがな主水、北条軍はもう進発しているかも知れんぞ」
「なぜ?
「暮れに俺は越後へ旅してきた。わずかな間に三度もだ。何しに行ったか分かるか」
「もしかして、上杉と和睦か」
「そうだ。俺はただの護衛だがな。だが使者の顔を見れば何を話したか察しは付く」
「それで」
「関東公方を受け入れたようだ」
「まさか。そのことで長い間張り合ってきた来たんじゃないか」
「そうなんだ、俺も信じられん。それだけ武田に腹を立てているのだろう。幻庵様も折れたらしい」
「すると敵が減るから、こちらへ兵を回せるわけだな」
「そういう事だ。すでに三島には兵が相当集まっていた。武田を西へ追いやってな。小田原から命令が来次第、氏政様が率いて出撃する手筈になっているとの事だ」
「そうなのか。後で本営に報せて来よう。で、どれ程の軍勢なんだ」
「聞いた話では四万を予定しているらしい」
「そ、それはすごいな」
「ところで今川からも、上杉に同盟交渉の使者が出掛けたらしいな」
今朝、朝比奈家臣が数名越後へ向かった。
上杉へ同盟を求める書面を手にしている。
書面はやはり小倉且久が書いた様だ。
「遅い!」
新野甚五郎と先刻話し合ったばかりだった。
香鈴は横に居て耳を傾けていた。
要するにみんな、上杉と仲良くしたいと言う事らしい。
「で、主水よ。姫はなぜ戻らんのだ」
「それが分からんのだ」
「分からん? それでは仕事にならんだろう」
「それもそうだが、俺は姫を守護し続ける。いずれにせよ、時間が掛っても相模にお連れするつもりだ」
「姫に惚れたのか」
右近はニヤリとして言った。
「まあ、そんなところだ。」
主水は生真面目な顔でそれに答えた。
その夜、湧谷右近は配下を引き連れ城を離れた。
敵は、新たに三か所の砦を、驚くほど短期間で完成させていた。
土木建築に長けた技術者を抱えているらしい。
機が熟すと同時に一気に攻めかかって来るのだろう。
毎晩鉄砲を射かけ、太鼓の音を鳴らしてくる。
「嫌がらせのつもりなのだろうが、そのような事をしては自分たちも眠れないだろうに」
主水はそう思いながら、眠りに付いた。




