知られざる男
「徳川本陣は浜松を気にしている」
新野甚五郎の指差した方向には、徳川本陣が有った。
「左様でござろうか」
いかにも興味ありげに、主水は指さす方向を見た。
「浜松で大規模な普請工事が続いてござってな。あそこを拠点にするつもりらしい」
「ほぉ、なるほど」
相手が話したくなるよう、わざと大げさに相槌を打った。
「したがって、しっかり守りを固めて日にちを稼げば、城を包囲したまま本陣は一旦引き揚げる。そうなれば敵の士気が一時下がるであろう。その間に打つ手がいくつかござろかと」
「ふむ・・・・・・」
「この城が容易に落ちぬと分かると、今川へ味方したい者も徐々に集まってくるでござろう。徳川の勢いに押されて一旦降った者も戻って来るに違いない」
「すると、新野殿はこの城はた易く落ちんと申されるのだな。それがしも全くそう思うが」
「この城は天然の要害。まず、すぐ南に川が流れてござるが」
「逆川でござるな」
「左様、水量が多く渡るのは容易ではござらん」
「なるほど」
主水たちは容易に渡河したが、武装した兵が渡るのは確かに骨が折れるだろう。
「北は断崖になってござる。武器を持った兵が上るのは不可能」
「いかにも」
主水はわざと目を輝かせ、いかにも感心したかの様に相槌を打った。
と言うより、実際に感心し始めている。
「それゆえ、西か東のみしか攻口がござらぬが、それぞれ二重、三重に堀があるので、いかに大軍であっても攻め手は少数ずつしか掛れぬ」
「確かに」
その通りだと主水も思う。
「その上、城にはおびただしい兵糧が蓄えられておるので、一年は籠城できる」
「籠城、でござるか」
「左様、膠着状態に持ち込むのでござる。その上で北の上杉へ働きかけ、武田をけん制する」
「ほお、それは大規模な軍略でござるな」
主水は細かな戦術には詳しいが、このように大掛かりな戦略はほとんど考えた事がない。
「更に北条家へ援軍要請を行う。そうすれば遠江制覇を急ぐ徳川は、激しく焦るでござろう。さすれば、今川家が勢力を取り戻す道が、大きく開けてくる」
正直なところ、主水の関心は姫を無事に相模へ送り届ける事しかない。
今川家がどうなろうと知った事では無いのだ。
姫の身を守るために北条の援軍が必要だと考えている。
ただ、目的は違うが援軍要請の意見は一致している。
「北条への援軍はそれがしも打診したのでござるが、小倉様が激しく拒絶なさいましてな」
「貴殿もそうか。困ったものだ」
「新野殿、貴殿から氏真様へ直接話してみることはできませぬか」
新野は首を振った。
「死んだ三浦正俊と同じで、全てあ奴を通さねば話しが伝わらんのだ」
新野は小倉且久を、あ奴と呼んだ。
「今川家を衰退させた張本人の一人だ。その内、三浦と同じような道を辿るであろう」
忌々し気に言った。
「いや雨宮殿、上杉へ働きかける等とつまらぬ戯言で大変失礼いたした。居候らしくおとなしくしておるのが一番でござるな」
新野は寂しげに笑った。




