敵影
徳川軍は予想の日を過ぎても来なかった。
誰もがじりじりと待ち構えていたある朝、霧が充分晴れた頃である。
「来たぞ!」
掛川城の見張り櫓の上から兵が叫んだ。声が震えている。
「何人くらいだっ」
「わ、分からん!」
「分からんだと!? 何を寝ぼけたことを言っている!」
隊長風の男が櫓に上った。そして遠くを見て言った。
「何なんだ、この大軍勢はっ!!」
風魔党は本丸にいた。今川居館の護衛が担当だ。
朝比奈家から借りた武具を身に着けている。
主水は甲冑を身に着けていた。良く似合っている。
他の六人は軽装備だ。手槍を持っている。
香鈴は銅丸に鉢巻姿で男たちに混じっている。さらに薙刀を手にしていた。
「香鈴、女にいくさは無理だ。姫のそばにいてくれ。」
「大丈夫、邪魔しないから。いいでしょ主水。」
偶然、新野甚五郎が通りかかった。今川家とは血縁関係があるらしい。
居館に用事があったようだ。
「香鈴殿、いくさが始まれば、混乱極まりない。どうか、奥方様の元へ。」
「はいっ」
香鈴は居館の中へ嬉しそうに入っていった。
主水は不思議そうな顔をしてそれを見ていた。
今川家居館からほど近い、大広間のある建物が本営になっている。
ちなみにこの頃はまだ掛川城に天守閣はない。
城中の最も高い場所に、質素な櫓があるだけだ。
「敵の兵力が予想を超えていただと? 話が違うではないか!」
小倉且久だった。
「誰もそのような話しをした覚えはござらん!」
家臣たちは逆に喰って掛っていた。誰もが殺気立っている。
「いいか、責任を負って追っ払うのだぞ。良いな!」
言い捨て、小倉は去って行った。
おそらく今川家居館の自室に籠っているつもりなのだろう。
本営に主水が顔を出した。
「おお雨宮殿、いかがした」
「ちと状況が気になりましてな」
朝比奈泰朝が苦り切った表情で上座に座っている。
「雨宮殿、徳川は予想を超えた兵数でしてな」
「いかほどで」
「なんでも」
ちらりと朝比奈泰朝を見てから小声で言った。
「一万近いとか」
高天神城の小笠原も徳川の指示で出兵して来ているのだろう。
生き残るため、強者になびくのは止むを得ないことだ。
だが、今は自分たちが生き残ることを考えなければならない。
(八弥、笹助、必ず戻ってこいよ)
人々の争いに関係なく、梅の花が咲き始めている。




