怒り
「待たせたな」
言うなり小倉はどかりと胡坐をかいた。
「氏真様に大事な報告をしてきてな」
小倉は得意げな顔をみせた。
「して、なにが望みじゃ。地位か。ワシに仕えれば引き立ててやるぞ」
他人も全て自分と同じ価値観を持っていると思っているようだ。
「いえ、違いまする。北条家の事で、ちと」
「奥方様は、返さんぞ」
小倉は今度は挑むような顔をした。北条家から人質を取っているつもりなのだろう。
「いえ、逆でございます。人を呼ぶべきではござらんかと」
「人、どこから。何の為にじゃ」
「また、徳川が攻めてまいります」
「それなら昨年、朝比奈衆が追い返したであろう。何度来ても同じ事じゃ」
主水は予想問答をいくつか用意していたが、どれも予想を外れている。
「で、人とは何のことじゃ」
主水は軽い疲れを覚えながら続けた。
「北条へ申し入れ下されば、きっと援軍を寄こして下さいまする」
「はぁ?」
小倉は呆れた顔をして、主水の顔をまじまじと見つめた。
「おぬしのう、我らは今川家なるぞ」
「は・・・・・・」
「は、ではないわっ。おぬし知っておるのか。あ奴は元々、松平なのじゃぞ」
「徳川の事ですね。知っております」
「松平と言えば、三河の成り上がり。卑しい土豪集団じゃ!」
「左様でござりましょうか」
「左様じゃ。それに比べて我が主君、今川家は代々駿河守護職じゃ」
「いかにも」
「甲斐の武田も守護家だが、徳川は違う。ワシらに比べてずっと身分が下じゃ」
話しが噛み合わない。家格と強さは比例すると勘違いしているらしい。
「徳川なんぞの為に、援軍が頼めると思うか? 今川の権威に関わるわ」
主水は段々面倒になって来た。
「ただし、北条のほうから兵を出したい、と言うなら受け入れてやっても良いと思うておる」
(こいつ、本気で言ってるのか)
「北条も元々は成り上がり者の家だからの。まさかワシらと対等にとは考えてはおるまいの」
主水は北条家に対して、忠義心のかけらも持ち合わせていない。
だが今の言葉で、(北条家の為にこいつを叩き斬ってやりたい)という衝動に襲われた。
「そのような事、言える訳ござらんであろう」
主水は押し殺した声で言った。
全身から殺気が激しく噴き出している。
小倉は何か感じ取ったようだ。本能で身の危険を感じている。
膝を立て、主水はスッと立ち上がった。
「ひっ!」という声を上げ、小倉は身をよじった。
「失礼仕った」怒りを抑え、主水は部屋を出た。
香鈴とエンマが玄関に迎えに来ていた。




