霧隠れ
掛川城は海から遠い。
高天神城のそばを通って行くのが近道だが、避けることにした。
城の支配者、小笠原一族が今川を裏切って徳川に付きそうだと言う情報を手にしていたからだ。
「高天神城を避けて、小笠山の中を通って行こう。夜明けには着くだろう。ところで舎利奈、掛川城の周辺は確か霧が出ると思ったんだが、覚えてないか」
「ああ天竜川の水気が霧になるらしい。あの辺りはしょっちゅう霧が出るぞ」
「ならばあの術をやろうと思う。舎利奈、綿布を使っていいか」
「全部使ってくれて構わん。お前のおかげで新しい船が手に入りそうだからな」
「いや、香鈴のおかげさ。それと、なにか武器はないか。使わずに済ませるつもりだが」
「弓の他に鉄砲を二つ積んであるぞ。持って行ってくれ。慌てて出港したから他には大したものは無いが」
「鉄砲か、助かる。弓はかさばるから遠慮しておこう。舎利奈、あれは?」
「壷か、油だ。五つしかないが、あれも全部使っていいぞ」
「すまんな。皆っ、油玉の準備をしろ」
油玉は火術の道具である。いざという時に火を着けて、敵から逃げる等して使う。
「笹助と八弥は鉄砲係だ。玉込めしておけ。香鈴」
「火矢だね」
「そうだ。真っすぐ入城するつもりだから多分使うことは無いとは思うが」
皆すぐに作業に掛り始めた。香鈴は船底に転がっていた竹束をを吟味した。半弓を作る為だ。弦は綿の繊維を撚り合わせて作る。
「才可は船で待機しろ」
「いや、働けます。連れて行ってください」
ぐったりした様子で言った。
「駄目だ、足手まといだ」
「そんな……」
才可は昨日受けた矢傷がまだ塞がっていない。一人置いて行かれることになった。
九人の風魔は、それぞれの作業が終わると、当時はまだ高級素材だった綿布を細長く裂き始めた。次にそれを体に巻き付けていき、足から胴、腕から顔までを覆いつくした。
黒装束ならぬ白装束である。霧の中では極めて目立たない。準備した武器や道具を使うことなく城にたどり着けるだろう。
風魔ではこれを霧隠れの術、あるいは霞隠れの術と呼んでいる。
「三日たって戻らなければ引き上げてくれ、舎利奈。その時は才可も連れていってくれ」
船が砂浜に乗り上げると同時に白い者たちが次々に飛び降りた。九つの白い影は静かに走り抜け、山に入った。深夜の山中を不気味な白い者たちが音を立てずに通り過ぎていく。知らない者が見たら、物の怪だと思って恐れ慄くに違いない。
小笠山は小さな山だ。薄明るくなり始めた頃、北端の斜面にたどり着いた。濃い霧が視界を遮っている。霧の合間から小高い丘に立つ建物が見えた。掛川城だ。
周囲には徳川兵が充満しているはずだが静まり返っている。霧が晴れるまで待機しているのだろう。
主水は松明を掲げ慎重に移動した。しばらく進むと、ふと松明を下ろした。皆一斉に止まる。
徳川兵達の話し声が聞こえる。
夕べの放火で住む家を燃やされ、寒さに震えながら城下町を逃げ惑った一般住民たちを、奴らは嘲笑しているらしい。
香鈴は怒りが沸いてきた。どうやら他の八人も同じらしい。
(まっすぐ入城するつもりだったが……)
主水は気が変わった。
(少しお仕置きしてやろう)
松明を掲げ、頭上で何度か回した。
戦いの合図だ。




