逃走
沼津で夜明けを迎えた。
海に突き出した小さな半島、牛臥山が待ち合わせのはずだが、着いた時は誰もいなかった。
「まずいな、早く舎利奈の船と合流しないと」
この辺りはまだ、武田の手が及んでいない。だが油断はできない。一人哨戒に出して、後りの九人は林の中に身を潜めていた。
雲水が速足で近づいてくる。配下の一人、才可に違いない。少し焦っている様子だ。
「どうだった才可、変わった様子はなかったか」
「大変です、武田の斥候隊を見ました」
「焦るな、まだ気付かれた訳ではないだろう。どこにいた」
「狩野川の対岸です」
「河口だから見つかっても、すぐには追って来れんだろう。おい、もう一度海をよく見ろ」
「それらしい船が見えます。たぶん間違いないです」
一艘の船が近づいていた。部下の一人に手を振らせた。向こうも気付いたようだ。
「主水さん、武田の斥候隊が川を渡ってこちらに来ようとしています」
「面倒になったな。何人だ」
「五人です。全員騎馬武者です」
白昼の戦いでは、武装した侍には分が悪い。
「才可、炸裂玉は」
「あります」
馬を驚かせて足止めする位ならできるだろう。
「おーい、主水ぉ」
海から呼ぶ声が聞こえた。舎利奈だ。日焼けして精悍な男だ。
「遅いぞ、早くしろ」
主水は声を張り上げた。
「斥候隊が川を渡りました」
「舎利奈ぁ、武田の手の者がいる。こっちへ着けてくれ」
主水は半島の南側を指さした。
皆、雲水の装束を脱ぎ捨て海岸に飛び降りた。海に向かって走る。
背後に馬のヒズメが響いてきた。
「急げ。おい才可は」
振り向くと、才可は一人海に背を向け、砂浜で炸裂玉を構えていた。
「馬鹿、そんなことしなくても、充分逃げられるぞ」
主水は海から叫んだ。もうすぐ船に手が届きそうだ。水深は胸くらいの高さだ。みんな泳ぎ始めている。香鈴も懸命に泳いでいる。水は冷たく指先が痺れる。
「お前ら先に行ってくれ。おい、才可!」
「主水さん、どうか香鈴さんを守ってください」
(はあ?)
主水は馬鹿馬鹿しくなった。
「お前が死んだら、例の恥ずかしい話を香鈴に全部ばらす」
「えっ……」
「生きてたら黙っててやる」
「……」
「だから早く来いっ」
騎馬武者が迫ってきた。才可は炸裂玉を投げつけ、海に飛び込んだ。陸から矢が飛んできた。船からも応酬する。才可は必死に泳いだ。ふいに海面が赤く染まった。主水は渾身の力で船に引き上げた。船は急速に沖合に向かう。
「馬鹿ものが!」
主水が拳を上げると同時に、香鈴が才可に抱き付いた。
「馬鹿!、死んだかと思ったじゃないか!」
幸い矢は急所を外している。
才可の鼻から赤いものが流れ出た。
命に別状はなさそうだ。




