西へ
「主水、掛川って遠いんだろ」
街道を急行しながら香鈴は尋ねた。
雲水の装束を身にまとっている。
「ああ、急ぎに急いで丸二日だな」
長い十本の影が夕日にゆらめく。
「あたし、昨日から寝てないんだけど」
「風魔の人間なんだから、三日くらい寝なくても平気だろ」
「平気だけど、寝た方が絶対いい」
「まあ安心しろ、沼津で舎利奈が船を用意してくれる手筈になっている」
「なら、船で寝れそうだね。でも風向きによっては、時間がかかるよ」
「やむを得ん、駿河は危険なんでな。甲斐の素波が相当入り込んでいるらしい」
普段雲水の修行などしていないので、どことなく不自然である。見る人が見ればすぐ見破られるだろう。万一に備えて、複数の武器を隠し持っている。十人のニセ雲水は山間部の街道を滑るように歩いた。辺りには硫黄の匂いが立ち込めている。
尾根に差し掛かったとき、自分たちと同じように編み笠を被った雲水が一人、正面から歩いてきた。同じように滑るように歩いている。何となく不自然な雲水である。
(あいつ、同業者だな)
主水は大きく咳払いをした。風魔の人間なら、それに合わせて耳を触るはずである。更に近づいてきた。もう一度咳払いをしたが耳を触らない。どうする。十対一ならまず負けないだろう。武田の忍びなら始末しておきたい。だが大仕事の前である。何事もなかったように素通りした方が賢明かもしれない。
(結局相手の出方次第だ)
皆、懐に手を入れた。手裏剣を握りしめているはずだ。主水の合図ひとつで十の手裏剣が獲物を襲う。
すれ違った。雲水は会釈をした。笠を被っているから顔は見えないが、あごから頬にかけて香鈴の目に映った。こけた頬。
「あ!」
香鈴は短く叫んだ。
雲水は大きく後ろへ跳ねた。
主水と部下たちは条件反射的に散開し、雲水に対して扇型に対した。
十と一つの影が、赤い地面に長く細く交錯する。
「あんたは助作!」
香鈴は雲水を指さした。
「違う、助作ではないっ」
「なら田吾作!」
「人の名前を勝手に変えるなっ。前にも言っただろう」
「どうした香鈴、顔見知りか」
「そうなんだ主水。インチキ催眠術師なんだよ」
「なんだ、敵かと思ったじゃないか」
(そうだ。俺はお前らの敵だ)
そう叫びたかったが、次の瞬間には命が無くなっているだろう。
「お騒がせして申し訳ございませんでした。皆血の気が多いものでして」
「いえいえ、こちらこそ。皆様方、是非安全に旅をお続けくださいませ」
「では」
「失礼いたします」
(主水さん、あれ絶対怪しいっすよ。いいんすか)
(いいんだ。行くぞ)
香鈴が振り返ったとき、もうそこに人影はなかった。
眼下に湖が広がっている。




