第二話 虹の螺旋を駆ける
天へと上る巨大な螺旋。凍りきった虹が七色の文様を浮かび上がらせネアビス達を見下ろす、その足元へと彼らは辿り着く。未だ天界軍は来ない。
「ここからが本番だ。気を抜くな」
剣を翳し、従者を鼓舞し、指示を出す。
「ナイジュフ、ガンクァは俺と先行して前方の敵に備えろ」
「はいよ」
「やれやれ、老体に堪えるな……」
「シーカ、ナリィは俺達の援護を」
「わかりました」
「仕方ないね」
「エリサとイハスは後方の敵を防げ」
「こいつとか……。まぁ、任せておけ」
「大船に乗ったつもりで……って、おい! オイテイクナよ!」
彼らは虹の螺旋を駆ける。永遠にすら思える空への渦巻は、道幅が広く落ちることはない。数周したところで天界からの軍勢が現れる。無数の白翼の天使達が光剣を携え、空を翔け、ネアビス達に襲い掛かる。その形相は鬼のように、可憐だなどと抜かしてはいられない。瞬く間に七人は柱を背にして包囲される。天使達は数のみでものを言わせるつもりか、隊列も何もなく襲い掛かって来る。七人はそれに迎え討つ。
「まさか、こんなに怖い顔なんてな……」
ナイジュフはため息をついて自らよりも一回り高い戦斧を振り回し、天使達を薙ぎ払う。チラッとナリィの方を見た。
「なに? 私も天使と同じように怖い顔してるって言いたいの?」
ナリィは弦を引き、ナイジュフに向かって一矢放つ。ナイジュフは何とか体勢を逸らして不可視の矢をかわす。かわされた矢はナイジュフに切りかかろうとしていた天使の頭を貫いた。
「お、危なかった」
ナイジュフは礼を言って再び天使を薙ぎ払っていく。ガンクァはその斬撃に当たらないように目にも止まらない拳で天使を討ち取り、ナリィは数本の矢を同時に込めて斉射する。天使達は運よくその矢をかわしたとしても、ネアビスの剣閃の前に真二つになって散ってしまう。前方ではこの通りで、後方ではエリサの風剣とイハスの奇術が敵軍を次々撃破していく。
斬撃、射殺、術死、爆破、天使の悲鳴。
「進むぞ」
ネアビス達は戦闘の中でも前進を再開した。前から来る敵をネアビス、ナイジュフ、ガンクァが蹴散らし、側面はシーカとナリィが討ち取り、後方はエリサとイハスが固める。天使達は死を恐れずに攻撃してくる。彼女等を切り捨てても血は出ず、光になって消えていくだけである。それであっても、ネアビス達はなんの躊躇いもなく、天からの使いを消していった。夜空の無数の星の数ほど居た天使達も、今ではまばらにしかいない。彼女等が必死に戦おうとも、ネアビス達の一方的な虐殺になってしまう。また一つ、また一つと消えていく天使達。その時、天が光りネアビスに向けて稲光が走る。ネアビスはそれを剣で弾き、弾いた先で天使を灰に変えた。神の怒りの落雷もネアビスの前には無意味に等しい。そして神は決断する。もはや猶予はなかった。
ネアビス主従はすでに天界まで半分を過ぎていた。彼らを邪魔する天使はすでに滅び、螺旋を上り続ける。丁度そのあたりでイハスが音をあげだす。
「もう疲れたよぉ……。ちょっと休もうってばぁ……」
ネアビスは、駄目だ、とだけ言ったが、イハスは駄々をこねて、杖を投げ出し、その場に座り込んだ。これにはさすがのネアビスも頭を抱えた。エリサはそんなイハスの頭をはたいて怒鳴った。
「お前は本当にいつもいつもそうやって全く! 恥を知れ!」
「わ、わかったよ! 行けばいいんでしょ、行けば!」
イハスは痛そうに頭を抱えて立ち上がった。そして何もない後方に振り返ってこう言った。
「闇の気配を感じる。これは多分、魔女だな」
「魔女か。なるほど通りでお主が嫌がる訳だ」
ガンクァは肯いてイハスと同じ方向を向く。虹の下り坂が右に逸れて曲がっていく。二人は自らの歩いて来た道のりを思い返していた。そこにナリィが水を差す。
「魔女でもなんでもいいから、早く行こ」
「だな。ここに居ても何にもならねぇし」
ナイジュフもナリィに同意した。ネアビスも肯いて、そしてイハスに言った。
「仮にそれが本当なら、魔女の相手は任せたぞ、イハス」
イハスはため息をついて、投げた杖を拾った。
「だからちょっと休みたかったんだよぉ……」
そう言いつつも、彼はすぐに後を追った。
中間地点を超えてから、ネアビス達は魔女を警戒し、慎重に進んでいる。やがてイハスは気配を察知する。彼は警告した。
「やつが来る!」
ネアビス達は瞬時に身構えた。何もない虹の螺旋の上。何もない空。そこに陽炎の如き揺らぎが生じる。その瞬間、先程の天使の集団など比べ物にならないほどの威圧感がネアビス達を押し潰そうとしてくる。イハスはそれを振り払い、主従の最前列に向かう。
「頼んだ」
ネアビスが声を掛けると、イハスは無言のままネアビスの目を見て肯いた。そして空間の揺らぎに向き合う。
「僕が相手です。母上」
空間の揺らぎが大きくなり闇が生まれる。今にも引き込まれそうな紫電の煌きを放ち、膨れ上がった時、それが人型であると気付く。そこには闇に包まれた禍々しい女性が立っている。黒い長髪を靡かせ、妖艶な女性は少年に笑いかける。
「お久しぶりですね。イハス」
女性はその笑顔のまま、顔にかかった髪をすくい上げ、耳の後ろへあてがう。その女性の笑みは、別段、不気味ではなかった。しかし、ネアビス達は緊張を解かない。女性の背後には夥しい数の悪魔がいるのだ。イハスは女性に杖を向ける。女性はのどかな声で語り掛ける。
「神に逆らうとは、こういうことですよ。イハス?」
イハスは何も答えず、表情をピクリとも動かさない。凍りついてしまったかのように静かであった。それが、ゆっくりと口を開く。
「悪魔の次は、神の女にでもなったおつもりですか?」
「ふふふ……。言うようになりましたね」
「ふざけないで下さい……! 貴女は、貴女は何の為に!」
感情的になったイハスも、彼女の冷徹な笑顔を見て気が付いた。かつての母の仮面を被った全く別の存在であると。
「力の為ですよ。何もかも」
魔女の表情から笑顔が消える。虹を凍らせた時とは違う。舐め抉られるような悪寒が背筋を覆う。イハスは直感した。決して敵う相手ではないと。そして咄嗟に術を発動する。
ラテゥス
「クッ!!」
イハスの杖から光が放たれ、魔女を包み込んだ。イハスが声を張り上げる。
「長くは持たない、今のうちに逃げるんだ!」
「急げ!」
ネアビス達は魔女の光繭の脇を抜け、悪魔の軍勢に向かう。悪魔たちは一斉に襲い掛かって来るが、ネアビスは剣に光を込めて速度を落とさず撫で切っていく。悪魔の悲鳴に混じって、けたたましい咆哮が虹の螺旋を振動させた。
「魔王軍まで動き出したのか!」
エリサが指差した所には空を悠々と飛び回る炎竜がいた。それはネアビス達を見つけると向きを変え、彼らに火炎を吹きかけたのだ。シーカが魔法壁を発動して炎を防ぎ、ナリィが風矢で射抜いたが、炎竜だけでなく魔王軍がこの螺旋を上って来ていたのだ。ナイジュフは戦斧に炎を纏わせて主従の最後尾に回った。
「もう戻らねえよなぁ!!」
振り上げたそれを勢いよく振り下ろす。氷を砕いた後から、罅割れはやがて下り坂全体に行き渡っていく。ナイジュフは身を翻し、先頭に戻って悪魔を蹴散らす。ある程度方が付くと、ネアビス達は虹の螺旋を駆け上がる。彼らの去って行った後、大海から天井まで伸びていた虹の大氷柱は、天球が砕けていくような轟音とともに、その下半部が崩れ落ち、多くの魔物たちと共に海の中に消えていった。虹の螺旋は天空からぶら下がるように上半部を残し、ネアビス達は何とか上りきるのであった。