第十六話 さようなら
黄金の空の下で、その大地は煌いていた。すでに言葉を失うような、暖かい色彩で、生命を迎え入れている。何も語る事の無い空は、優しく風を吹かせ、座り込んだ彼女の亜麻色の髪をそっと撫でた。胸を突いた刃は、切先から鮮血を垂らす。一滴、一滴、また一滴と、彼女の命を奪っていく。白い翼は、支柱として、彼女の背中を支えていた。一度風が過ると、羽根がふわりと宙を舞う。飛び立った白い羽根は、黄金色の中に敢然と自らの存在を保っていた。いつ頃より生えたのだろう。だが、それは紛れもなく彼女の一部分であったのだ。開いかれていた翡翠色の瞳は、ゆっくりと閉じられた。
「ネアビス……」
金の天球の中に彼女の声は透き通っていく。
私は、ずっと、覚えていたんだ―――
―――本当の事なんて言える筈も無い。それもそうだ。だって私は、地上に降りた時から、世界の力を感じていたんだ。儚くても美しい、世界っていいなって。そしたら、私は堕天していたんだと思う。使命をすっかり忘れてしまって、君に出逢ったのはその時だ。
あの日、突然倒れてしまった君を、君の家まで運んで、私はどこから来て、何をすればいいのか困っていた時に、君のご家族に助けられた。「ここに住んでいいよ! 貧乏だけど!」って言って貰えて、すごく嬉しかった。その恩に報いろうと、私は、目の前に居た病弱な男の子の面倒を見る事にしたんだ。それが、ネアビスだった。
ネアビスは本当に泣き虫で、泣き虫なくせに喧嘩ばっかりして、意地っ張りで、それなのにすぐに色々投げ出しちゃって、部屋に籠って良く泣いてたよね。私も同じ部屋だったから、夜に君が泣いてたらすごく大変だった。君が扉を開けるまで私寝れなかったんだよ? だから、……くすっ。でも、可愛かったなあ。ネアビスって、よく私の為に花の冠を作ってくれたんだよ? 覚えてるかな……。
お母さまに剣を教わり始めてからは、急に自分が強くなったみたいに威張り始めて、乱暴になるし、村一番に強くなるし、でも、私を傷付ける事は無かった。ネアビスは、本当はすごく優しい。その優しさが、誰かを、君自身をも傷付けてしまう。大切なものを守る時は、気を付けてね。
それから、私は、本当に嬉しかった。あの日、君に、一緒に旅に出ようって言って貰えて、すごく嬉しかった。これからも一緒に居られるんだって思えて、それだけで良かった。時間があるだけ、君の隣に居たかったんだ。泣いても、笑っても、怒っても、喜んでも、君と同じものを見て、同じことを思って、同じように考えて……。一緒に居たい。これからも、ずっと。叶わない願いだけど、もう……。
もう、本当に最後だから、全部言うね……?
ネアビス、私の手を取って。刀なんて引っこ抜いて。そして優しく抱きしめてよ。私は、ずっと君の事が好きだった。哀しくなるくらい、胸が張り裂けそうなくらい、君の事を考えていた。君と出会ったあの日から、君の事を想い続けていた。今は何だっていい、真実を聴かせて、ネアビスは、私の事が好き、だったのかな? ―――
ネアビスは、彼女の胸に突き刺さった刃を、そっと抜き取り、彼女の手を取った。
「シンシア……?」
「こうしてゆっくり話せたのも、あの日以来だね……。ありがとう、ネアビス……」
シンシアはそう囁いた。ネアビスは涙で視界が海中に没するようになりながらも、それを拭い、必死にシンシアを見つめた。彼女の目から雫が、頬を通り、筋を引いていく。雨垂れはしない。雫はもう、それで最後だった。ネアビスは優しく彼女を抱き締めた。シンシアは俄かに笑みを浮かべ、彼を抱き返した。その腕は、すでに明るくなっていた。
「よろしくね……。ネアビス……」
「ありがとう、シンシア……!!」
光は、輝線より出る。二人は朝の光に包まれながら、抱擁していた。黄金の天球を世界が息を吹き返したように、突風が吹き抜ける。その瞬間、白い羽根が幾十も遥かなる空へ飛び立ち、彼女は光の中に戻ったのだ。
ネアビスは両腕を大地に突き付け、嗚咽を吐きながら、ただただ涙に暮れていた。だが、それも次第に薄れていく。黄金の太陽が差し込み、彼の涙を照らし出す。ネアビスは泣きながら立ち上がり、更なる天上に向かって、彼女の名を叫んだ―――。
―――それこそが、大邪神の誕生であった。すなわち長きに渡る大戦、不作、混乱の世の幕開けである。神は祈りを聞かず、天上は糧を授けず、天より降り立つ者は無い。人々は武力に、権力に、財力に頼り、私欲に満ちた世界はやがて一つの答えを求めるであろう。大邪神の討伐を、求めるであろう―――。




