13/05/26(1) 自宅:昔ずっとゲームをやり続けていたサンドウィッチ公というのがいてだな──
ただいま姉貴のくれた鏡の前で、髪のセットに奮闘中。
いつもは洗いざらしのまま。
だけど、今日はさすがに気合いを入れないと。
ワックスを手にぐちゃっと伸ばして掴んで散らす。
ワックスってねとつくからキライだ。
でもムースタイプだとキープ力弱いし。
服は普段着のまま。
あとは特に気を使わなくていいかな?
指定されたのは渋谷とかじゃなく溝の口。
お世辞にもデートスポットとは呼べない、ゴミゴミした住宅街のターミナル。
つまり今日は本当にお茶だけなのだ。
「気楽に考えてくださいね~」と言われている様にもなんとなく思えるし。
用意ができた。
時間はかなり早いけど先に現地へ向かおう。
遅刻だけは絶対したくない。
そうだ、姉貴に外出する事を伝えておかないと。
──姉貴の部屋へ。
姉貴はいつも通りマッシュをやっていた。
背中へ向けて話しかける。
「俺、出かけるから。夜には戻ると思う」
「小町」
「ん」
「飯持ってこい。何でもいいから」
「それくらい自分で持ってこいよ。冷蔵庫に何でもあるだろうが」
「部屋から出たくない」
お前はどこのヒキニートだ。
早めに声を掛けて正解だった。
まだ時間はある。
パンを焼き、ベーコンエッグを作って、牛乳を入れる。
トレイに全部載せて姉貴に差し出す。
「ほらよ」
「小町」
「ん」
「昔ずっとゲームをやり続けていたサンドウィッチ公というのがいてだな──」
「そんなの俺でも知ってるから! 文句あるなら食うな!」
姉貴がマウスから手を放し、ようやくこちらを向いた。
ベーコンエッグをトーストに乗せ、二つ折りにする。
大きな口を開け、思い切りかじりつく。
姉貴の追っかけ達も、この姿を見れば百年の恋も冷めると思う。
食べ終えた姉貴は体の向きを戻し、マッシュを再開した。
「小町」
「ん」
今度は何だよ。
「デートか?」
何故わかる!
デートとまでは言わないけどさ。
言いたいけどさ。
「ううん、渋谷行ってくるだけ」
ということにしておこう。
「ふーん。珍しく髪をいじってるから、てっきりそうだと思ったんだけどな」
よく見てやがる。
性格大ざっぱなくせに、やたらと注意力だけは働きやがる。
「渋谷出る時くらいは、さすがにセットするって」
「銀座に行くのすらセットしない男がか?」
うぜえ。
俺がみつきさんなら、絶対こんな女とつきあいたくねえ。
ダンジョンでの戦闘が終わった。
姉貴がマウスから手を放し、振り向いてくる。
「それに表情が浮かれてる。自分じゃ気づかないだろうけど、ひどくニヤついてるぞ」
「えっ?」
姉貴のドレッサーに目を向け、チェック。
……別に普通じゃん。
姉貴が「はぁ」と溜息つきつつ、首を振った。
「お前は本当に素直で可愛い弟だよな。カマかけただけだよ」
「どうしてそんなことを!」
「弟の様子がおかしければチェックするのがお約束だ」
「そんな約束はねえ!」
姉貴が微笑む。
「別に『渋谷にしかない店でお土産買ってこい』とか『どこの誰と行くのか』までは詮索しない。ゆっくり楽しんでこい、気をつけてな」
「うん」
この珍しく澄んだ笑顔はなんなんだ。
まるで優しく見守るような視線よこしやがって。
不気味でしかたない。
本当は全部わかってるんじゃないのか。
我が姉ながら……この女、怖い。
姉貴が立ち上がりドレッサーへ向かう。
「小町、せっかくだからこれも使え」
手渡してきたのは香水だった。
姉貴がいつもつけているライトブルー。
「俺、香水つけないよ?」
「色気持ち始めたなら、香水のつけ方もそろそろ覚えろ。つけすぎは禁物だけど、ちょっとした演出は男をカッコよく見せるぞ」
「カッコイイ!?」
ついその言葉に反応してしまう自分が哀しい。
「一応確認しておくが、相手は香料アレルギーとかじゃないよな?」
旭さん自身が香水つけていたし、そこは大丈夫。
頷いてから姉貴に問う。
「香水って、どうやってつけるの?」
「色々つけ方はあるけど、無難なのはこれだな」
姉貴が宙を指さした。
「香水を空中に一回だけプッシュして、その下をくぐる様に通り抜ければいい。これなら軽く香りを纏える」
「そんなもんでいいの?」
「自分でもつけてるかわからないくらいが、他人からすると丁度いいんだよ」
そういうものなんだ。
確かに香水きつすぎて迷惑というのはあっても、軽すぎて迷惑ということはない。
言われた通りにやってみる。
「うん、それでいい」
「今更だけど、これって女性用の香水じゃないのか?」
「建前はそうだけど、実際はユニセックスだよ。男性用のライトブルーも出てるけど、みんな女性用の方使ってる」
「ふむふむ」
「D&Gの香水って基本そんな感じだから……そうそう、みつきさんの香水もD&Gなんだよなあ。『マスキュリン』っていうんだけど」
「へえ」
全然知らない。
この手の話は全く疎い。
「『マスキュリン』は『フェミニン』と組み合わせて、恋人同士で使うのが通常なんだ。だから過去に誰か一緒につけてた女がいるはず。それを思うとすんごいむかつく」
「本人に聞けばいいだろ」
「聞けるか! リツはカルバンクラインの『ONE』だから違うし」
次から次へ香水の名前がすらすら出てくる。
姉貴もやっぱり女なんだねえ。
今やヒキニート同然なネトゲ廃人にしか見えないのに。
「そこでリツさんがペアの片方として思い浮かぶ姉貴もすげえよ」
あの人外の毒電波を受けてる気がしてならない。
「いっそフェミニンに変えようかなあ……」
「姉貴がフェミニンに変えたら、それこそ彼氏ができたと誤解されるんじゃないか?」
「はっ! それもそうだ」
「ったく……」
「よし。フェミニンに変えるのは、いつかみつきさんと結ばれた時の楽しみにしておこう。その時はライトブルーをお前にやるよ」
「ライトブルーを一緒に使えばいいだろ。ユニセックスなんだろ?」
姉貴が首を振る。
「小町、女心がわかってないなあ」
「はあ?」
「私だって男に自分を染めてもらいたい願望くらいあるわ」
「はあ……」
「それに、二人同じ香水を使っても仕方ない。それじゃ男の残り香や移り香にキュンとできないだろう」
本当に女心の乙女心だった。
これはさすがに冷やかせない。
でも……姉貴は絶対に誰にも染まらない。
その相手が例えみつきさんだろうと。
これは賭けてもいい。
なぜなら姉貴はそういう人。
願望は願望、現実は現実。
きっと姉貴自身もわかってる。
だからこそわざわざ口にするのだろう。
話を変えよう。
「姉貴、ちょっと不思議なんだけど」
「何だ?」
「二九年間彼氏無しの姉貴が、どうしてカップルで使う様な香水を知ってるの?」
「香水屋で片っ端から香水の匂いを嗅いで調べた。あの時ばかりは酔って気分悪くなったな。おかげで大抵の香水の匂いは覚えたぞ」
左様ですか。
まるで犬がごとく鼻をくんくんさせる姉貴の姿が思い浮かぶ。
健気というより滑稽だ。
というかフェミニンつけてる相手は皆実だと思うんだけどな。
あの日は香水つけてなかったけど、何かあればつけるだろうし。
でもそこに触れたら、また話が長くなりそう。
とっとと行こっと。
文中のマスキュリンとフェミニンは現在廃盤です