13/05/25(1) アンジュ:小町君にも言うべき時は言わないとね。それを口答えするなんて恥を知りなさい
アンジュでバイト。
リカーで着替えて、二階に上がる。
「おはようございまーす」
「小町君おはよう。これ先週分」
マスターがラッピングされた箱を数個渡してくる。
あと手紙。
「またですか? 断って下さいよ」
これは客からのプレゼント。
ここ最近、俺目当ての客が増えたんだとか。
「まあまあ。人気が出るのはいいことだよ。おかげでうちも繁盛してるんだから」
渡してくるのは男性だけじゃなく、女性も。
それは確かに嬉しいんだけど……。
「繁盛したって、俺の時給が上がるわけじゃなし」
「そんなことないってば。このままだと来月には時給を上げられるかもよ?」
それは嬉しいな。
絶対に何かのオチが待ってると思うけど。
「いくらくらい上げてくれるんですか?」
「一〇円」
やっぱり。
「時給あげてくれなくて結構ですから、代わりに普通の制服で働かせて下さい。ついでにブログへ俺の画像アップするのもやめて下さい」
「画像一枚アップにつき一〇円の特別手当出すから」
「本当に僕のおかげで儲かってるなら、もっと出してくれたっていいじゃないですか!」
マスターが眉間にシワを寄せた。
「君は飲食店でのバイトで一〇円の時給を上げるのにどれだけの経験と時間がかかると思ってるのかね? それをたかが一〇円みたいに言うのは社会を舐めすぎてるよ」
普段ふざけてる人だけに、真面目な面持ちで言われると堪えてしまう。
確かにそうだ。
男性を雇わないアンジュで雇ってくれてるだけで、本来はありがたい話のはず。
「ごめんなさい、僕が間違ってました」
「うむ。じゃあ今日からブログに『小町君の部屋』ってコーナー作るからよろしく」
「マスター! ここで『そんなの嘘々、時給五〇円上げてあげるからさ』とフォローしてくれるのが、いつものパターンじゃないんですか?」
マスターが更に声のトーンを落とした。
「小町君にも言うべき時は言わないとね。それを口答えするなんて恥を知りなさい」
「はい。恥を知ります」
社会というものをなめすぎていた。
がっくりとうな垂れてしまう。
──マスターが肩を軽く叩いてきた。
顔を上げる。
マスターは笑っていた。
「仕方ないね。来月から宣伝料込で時給一〇〇円アップしてあげるから元気出しなさい」
「さすがマスター!」
「ただし本当に『小町君の部屋』は作らせてもらうよ」
「やむをえませんね……でも着替えの盗撮とかしようものなら、売れ残ったモンブランをその顔面に投げつけますよ」
「構わないけど、うちのモンブランが売れ残るとでも?」
マスターは胸を張りつつ自信たっぷり。
「それもそうですね」
実際に美味しいし売れてるからな。
姉貴もあれだけぶつくさ言ってたくせに、結局食べに来てるらしいし。
「じゃ、よろしく」
マスターが妙に軽やかな足取りで立ち去った。
──って!
「お願いです! コーナーは止めて! せめて執事姿だけで許して下さい!」
でも、気づいた時には遅かった。
もう目の前にマスターはいない。
結局、なし崩し的にコーナーを了承させられてしまった。
ああ……俺って、なんてバカ。
仕方ない。
さっきのプレゼントを開く。
この中身がまともなものであったなら、俺も素直に喜べるんだけどなあ……。
やっぱり。
中身は女性用アクセに香水に……化粧品。
ここまではまだいいんだ。
女性用下着はどうしろというんじゃ!
同封のメッセージカードを開ける。
【今夜会いたい。新丸子で待つ】、実にゴツい文字で記されている。
今夜とか新丸子とか言わない。
今すぐ願いを叶えてやるから、前に出てこい。
お前の面をぼこぼこにしてやるから!
ウェイトレス達を呼ぶ。
これも恒例の行事だ。
「欲しい物を持っていって下さい」
「毎度~」
「ごち~」
「私は小町君が欲しい~」
最後の人にはフォークで手を突き刺しても誰も同情しないと思うんだ。
我慢するけどさ。
「一度使った物が欲しい」とか言い出さないだけマシ、そう思っておこう。
「言おうと思ったけど自重した」
「人の心を読まないで下さい、この人外!」
自分に、ともらった物を他人にあげるのは気が引ける。
だけどこの場合はさすがに仕方ない。
姉貴にあげようにも、香水はD&Gの「ライトブルー」しか使わない。
さすがに下着は渡しづらい。
せいぜい化粧品、それも姉貴が使いそうな色のだけ。
残りはこうしてウェイトレス達に配る。
いっそパンストとかなら姉貴も困らないのに。
俺に受け取って欲しいなら姉貴に持っていかれたフィギュア達にしてくれ。
プレゼントというものは、相手が欲しがる物を選ぶのが基本じゃないのか。
反面教師として学んでしまう。
「でもさ、小町君──」
人外が話しかけてくる。
……あれ、間が空いたぞ?
「『人外× 僕の愛するミステリアスなウェイトレス○』に訂正していい?」
「そろそろ始業なんで、さっさと用件を言ってくれますか?」
「小町君、マスターにはめられちゃったね」
「えっ?」
「アンジュは最初の二ヶ月過ぎたら時給一〇〇円上がるの。最初が見習い期間で一〇〇円低いってのが正しいかな。つまり小町君に限らず、誰でもそうだよ」
見渡すと、マスターはもはや店内にすらいない。
鏡丘さんが俺にチクる事を先読みしたのか。
「ますたああああああああ──んがんぐ」
鏡丘さんが手の平で口を塞いできた。
「仕事中に絶叫するのはやめてね」
オッドアイがきらりと光る。
こ、怖い。
さっきのマスターの真剣な表情より更に怖い。
鏡丘さんがもう一方の手で、ちょいちょいと下を指さす。
「地下の配送室。連れ戻してきて」
さすがラプラスの魔。
「マスターの行動を完全に読み切ってますね」
「冗談に答えてる暇はないから」
鏡丘さんは台詞を言い終えると、すぐさま背を向け入口に向かった。
「いらっしゃいませ」
来店した客に声を掛け、にこやかに席へ案内する。
きびきびと働く姿が見ていて気持ちいい。
ずっとこのモードなら、人外呼ばわりしなくてすむのになあ……。