13/05/10(1) 自宅:ごめんね、今度観音に焼肉屋を案内させるからさ
姉貴が帰ってきたので出迎える。
「おか──」
ぶっ! いきなり腹を殴られた。
「何すんだよ!」
「今日の私に近づくな、苛立ってるから」
「それって何!」
「納得できなければ生理とでも思っとけ」
無茶苦茶言いやがる。
何かあった事だけは確かっぽいが。
そういえば……今日っていつもより帰宅が早いな。
ここ最近の姉貴はずっと遅い。
みつきさんの方もスポーツクラブ行かされてるせいでマッシュへのINが遅い。
その分、以前みたいな誤魔化しは必要ないんだけど。
姉貴が襖をバシッと乱暴に閉め、部屋に入っていく。
姉貴は確かに理不尽。
しかしプライベートが原因である限りは最初に愚痴ってから殴る。
それがきっと姉貴なりの礼儀。
それをしないということは仕事が原因。
話してくれない以上は俺からも聞けない。
結論として、今日の姉貴には近寄らない方が無難だ。
俺もマッシュやりつつほとぼりをさますことにしよう。
※※※
INすると郵便が届いていた。
開けてみるとレアアイテムの水着。
送り主は「ねぎまぐろ」、つまりは姉貴。
【さっきはすまん】
そう一言だけ、メッセージが添えられていた。
一見すると冷静な行動に見える。
しかし俺がマッシュにINしなかったらどうするつもりだったのか?
いきなり殴られたのはむかつくけど、それ以上に姉貴の精神状態が心配になる。
本当に大丈夫か?
……うーん。
どうも積極的にプレイを楽しもうという気になれない。
姉貴の様子が気に掛かるのが半分、突然の拉致や妨害に備えてが半分。
少なくともダンジョンで戦えそうな状況ではない。
仕方ない、露店を開いて不要なアイテムを売りに出すか。
その後は漫画でも電子書籍化《自炊》しよう。
露店の準備をしていると、画面の片隅にメッセの呼びかけを示すポップ。
主は「まちるだ」さん。つまり都さん。
〈まちるだ:ちゃお〉
〈こまっち:こんばんは~、姉貴なら隣の部屋でINしてますけど?〉
でも、姉貴とは現在連絡絶ってなかったっけか?
〈まちるだ:ううん。観音とも昼間話したけど、用事があるのはこまちくん〉
〈こまっち:俺にですか?〉
〈まちるだ:うん。マッシュにいてくれてよかった。他の連絡方法知らないからさ〉
〈まちるだ:ここでは少し話しにくいんだ。スカイプのID教えてもらえる?〉
確かにゲーム内チャットでプライベートなことを話すのは抵抗ある。
〈こまっち:了解です、今ミニメで送りました〉
〈まちるだ:ヘッドセットはつながないでいいから。チャットでね〉
都さんからの承諾確認が届く。
「OK」をクリック。
【都@白い詐欺師の来訪お待ちしてます】
そこまでですか。
そんなに魔法少女になりたいんですか。
なぜだろう、目から涙が。
せっかくだ、俺もプロフィール書き換えよう。
【小町@天応八段になりました】
準備おっけー。窓を立ち上げてチャットを打ち込む。
〈では改めて何でしょう?〉
〈家帰ってから観音の様子ってどう?〉
〈帰ってくるなり殴られました〉
〈謝ってはくれましたけど、明らかに不安定です〉
〈やっぱりそうか〉
〈もし差し出がましかったら申し訳ない〉
〈そして理不尽で申し訳ない〉
〈今日の所は理由も聞かずに我慢して〉
〈はい〉
都さんの返事の間が空く。
どうした?
〈随分と素直だね〉
〈「何故?」とか「どうして?」とか聞き返されると思ったけど〉
ああ、俺の答えが意外だったのか。
〈姉貴は何かあればすぐ〉
〈俺を殴ったり蹴ったりしますし八つ当たりもしまくります〉
〈ですけど姉貴はああ見えて〉
〈理由の無い暴力は絶対に振るいません〉
〈どんな下らなくて理不尽に見えても〉
〈姉貴なりの理由はきっとありますから〉
〈ごめん〉
〈小町君がそれをわかってるなら〉
〈やっぱり出過ぎた真似しちゃったな〉
〈そんなことないです〉
〈気遣ってくれてありがとうございます〉
いつもは自分の胸にしまい込んでる気持ちだからな。
それを共有してくれる人がいたってだけで嬉しい。
〈でも……姉貴は大丈夫なんですかね?〉
〈仕事の話でしょうから、教えてくれなくて構いませんが〉
何があったかは実際どうでもいい。
どうせ都さんも話せないだろうし。
それよりも姉貴の精神状態の方が心配。
〈直接仕事に関係あるわけじゃないんだけどねえ……〉
〈あたしが観音でもきっとブチきれる、そのくらいの話〉
〈かと言って、聞く方も不快だから耳に入れたくない話〉
〈だから昼間電話あって、めちゃめちゃグチられてさ〉
〈一晩寝れば落ち着くと思うんだけどさ〉
都さんでもブチきれるって……。
この人のそんなところ想像つかないんだが。
また、姉貴がそこまでグチる姿も想像できない。
姉貴はしょっちゅうグチるが、本気でグチることはあまりない。
よっぽど腹に据えかねたのだろう。
都さんのチャットが続く。
〈まあ観音の方はいいんだけど〉
〈帰ったら絶対荒れると思ったから、小町君には前もって伝えた方がいいかって〉
〈遅かったみたいだけど……〉
〈本当は「逃げて」って言ってあげたいけど〉
〈観音も素をぶつけられるのは小町君だけだし〉
〈わかってます〉
〈けど許せるかどうかは〉
〈話が別ですけどね!〉
〈そこは私に免じて許してあげてよ〉
〈今度夕食を御馳走するからさ〉
〈それはそれで遠慮無く御馳走されますけど〉
〈何を食べさせてくれるんですか?〉
〈美味しいカレー屋があるんだけど〉
〈却下!〉
〈何で!〉
〈俺も姉貴もカレーには〉
〈多大なる人生勉強をさせてもらいましたので〉
〈もしかして、あのカレーの缶詰食べたの?〉
〈大丈夫だって〉
〈私は仕事柄カレー屋に詳しいから〉
〈美味しいお店に連れて行ってあげるって〉
〈お姉さんを信用しなさい〉
〈その「仕事柄」ってのが〉
〈一番信用できない理由なんですけどね!〉
だって姉貴すら騙されたんだから。
誰が部下からあんなものプレゼントされるなんて想像つく!
〈観音だって美味しい焼肉屋には詳しいでしょ〉
〈あれと同じだよ〉
つまり都さんは国際テロ担当なんだな。
国際テロ部門にカレー、朝鮮部門に焼肉。
いかにもなとりあわせだ。
だけどさ……。
〈焼肉屋なんか行った事ないから知りません〉
〈姉貴はスーパーの半額肉しか食わせてくれないし〉
〈大学では誰も誘ってくれないし……〉
姉貴どころじゃない。
俺は友達とすら焼肉に行ったことがない。
仲いい友達のいなかったテニスサークル銀狐はまだわかる。
クラスですら、飲み会や他の食事には誘われても何故か焼肉にだけは誘ってもらえない。
飲み会と焼肉の間には、高く険しい壁でもあるのだろうか……。
返事までにしばし時間が空く。
〈ごめんね〉
〈今度観音に焼肉屋を案内させるからさ〉
〈美鈴君も誘っていこ?〉
〈はい……〉
おかしいな。
何だか涙が止まらない。
──隣の襖が開く音がする。
マッシュのFLからは「ねぎまぐろ」の文字が消えている。
つまり姉貴はログアウト。
これは第二の襲撃に備えた方がいい。
〈すみません。姉貴来そうなんでこの辺で〉
〈今日はありがとうございました〉
〈こちらこそ〉
〈焼肉楽しみにしててね〉
チャットが終わる、それと同時に襖が開いた。
やばい!
スカイプを慌てて閉じる。
観音に何があったか知りたい方は、
キノコ煮込みに秘密のスパイスを 13/05/10(1)横浜オフィス
を御参照ください。