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12/05/05(2) 毘沙門宅:愛し合う二人が大人の都合で引き裂かれる。これを笑わずしてどこを笑うんですか

 おね……いや、おばさんがドアをノックする。


「美鈴ちゃん、入るわよ」


「はーい」


 ドアが開く。

 そこにいたのは──。


 赤く輝く瞳が一際目立つ猫目。

 色白ですっとした輪郭の細面。

 お約束の高い鼻に、艶やかな桃色の少し厚めな唇。

 大人っぽい派手な容姿におばさん譲りらしき幼さが加わり、まるで小悪魔の様に見せる。

 陽光が明るいブラウン色の髪を照らし出す。

 その光の流れはゆるゆると、そしてふんわりと、まるで背中を覆うかのよう。

 頭が小さく華奢な体つきだから余計にそう思える。

 

 ──そんな華やかな「オトコ」だった。


 きっと普通の人なら「息子」と予め聞いていても驚くんだろうなあ。

 声までもが、いかにも女の子っぽいハイトーンの甘え声。

 この現実をありのまま受け容れられる身の自分を呪う。


 いや、俺の方がまだマシだ。

 俺は「男の娘」と言っても、あくまでボーイッシュな女の子に見えるだけ。

 声だって、どっちにも聞こえる程度のボーイズソプラノ。

 しかも今はデブだから女に見られることもない。


 こいつはもはや、全身全てが女の子。

 ただ一点、姉貴並の真っ平らな胸を除いて。

 いや、もう一点。

 きっと下半身についているであろう、俺と同じモノを除いて。


「美鈴ちゃん、新しい先生の小町さん」


「美鈴です、よろしくお願いします」 


 ペコリと頭を下げてくる。

 いつもなら名前に対するツッコミが大抵入るのだが。

 驚いた表情すら見せないのは、美鈴自身がまたツッコミを入れられる身だからだろう。


「では小町さん、後はお願いいたします」


 おばさんが初めて見せる不安げな目つき。

 試練はこれからということだろう。

 気を引き締めないとな。


                  ※※※


「じゃ毘沙門君」


「美鈴、でいいですよ。下の名前で呼び捨てにしてください」


 折り目正しい子だなあ。

 言葉遣い、甘い声にそぐわない滑舌の良さ、早過ぎも遅すぎもしないテンポ。

 一言会話しただけで育ちいいのがわかる。


「じゃ美鈴、英語の問題集出して」


「問題集?」


 なぜ、ここで聞き返される?


「家庭教師するんだから当然だろ。英語教えろって言われたから英語の問題集」


「ふーん──」


 美鈴が本棚から問題集を一冊取りだし、手渡してくる。

 さり気ない仕草なのに、どうしてこんな柔らかく感じるんだか。

 問題集は英作文。

 真新しく、全然使い込んでいる様子がない。 


「──その中から適当に出題してもらえます?」


 パラパラとめくる……。

 げっ、何この難しい問題集。

 ま、いいや。

 とにかく出してみよう。


「現在,全世界で約3000から8000の言語が話されていると言われている──」


「If there were only one language──」


「待てや! まだ問題読んでる途中だろうが!」


「先読みしたんです」


「先読みも何も、どこからIfとかonlyとかでてきた!」


 しかも「もし」とか「だけ」とか全然出てくる気配ないだろうが!

 どっから類推すんだよ!


「ふう……小町さん、いいですか? 人間って一生の内に二〇年間は寝てるんですよ?」


「それがどうした」


「だったら少しでもムダな時間は減らして人生を過ごすのが賢明というものでしょう」


 何、このクソガキ。

 能書ばかり並べやがって、かわいくない。


「じゃあ小町さん、次の問題を──」


「もう結構。どうせ同じ展開が続くんだろ? ムダな時間を減らしたいのは俺も同じだ」


「ふーん。小町さんって見かけによらず賢いんですね」


 い・ら・つ・く。


「見かけによらずってどういう意味だよ」


「いえ、頭の中も脂肪がたっぷり詰まってると思ったものですから」


 この美鈴とかってヤツ、もう毒舌とかそんな次元じゃないぞ。

 あのおばさんは一体どんな育て方をした!


 ……まあ、いいさ。


 大方こいつは、俺を怒らせて叩き出そうとしているのだろう。

 しかし生憎だったな。

 俺は自らがデブであることに誇りを持っている。

 世の中のデブがみんなデブであることを恥じてると思うなよ。


 それにだ。

 なんとしても時給八〇〇〇円を獲得しないといけない。

 こんな美味しいバイトは早々ない。

 採用されれば、きゅあきゅあなフィギュアまとめ買いだってできる。

 なんだって今年は五人もいるんだよ。


 ま、時給八〇〇〇円な理由はわかった。

 こんなヤツ相手じゃ、普通の人ならまず逃げる。

 しかし俺は異能の持ち主。

 あのオレサマ姉貴のおかげでスルースキルは鍛えられている。


「美鈴が英語を勉強する気がないのはないのはよくわかった。じゃあ何がしたいんだ?」


「何がしたいって、イヤだなあ。男二人、密室にいるなら決まってるじゃないですか」


「決まってる?」


 美鈴がテレビをつける。


「小町さん、こういうアニメは嫌いですか?」


 流れてきたのは、何十年も昔のオーバーヘッドキックやら何やら跳んだり跳ねたりの曲芸サッカーアニメ。

 しかし……。


〔merci,merci beaucoup……〕


「なぜフランス語!」


「小町さんが履修してる第二外国語ってフランス語でしょ? だったらわかるかなって」


「わかるか! それにどうしてフランス語ってわかる!」


 確かにそうだけどさ!


「女の子いっぱいいるから。小町さんみたいにふくよかなほっぺした人の考えることなんて、大方そんなところですから」


 さっきより言い方は柔らかいが「デブ」とバカにしてるには変わりない。

 だけど今の俺がどれだけ幸せか。

 美鈴も太ってみればきっとわかるよ。


 じゃ、テレビを見るかな。

 言葉はわからなくても、原作を読んでいるから話はわかる。


 でも違和感はありまくり。

 どうして主人公の声がこんなにおっさんくさい。

 まだ小学校六年だぞ。

 しかも笑い声が……


〔うーふっふっふ、うーふっふっふ〕


 フランス人は全員オカマ。

 俺の中で今そのイメージが固まった。


 美鈴はタンクトップ。

 襟を引っ張り、胸元へ向けて団扇をぱたぱた扇ぐ。

 季節外れな気もするけど、確かに蒸し暑い。

 かといって、エアコンつけるほどでもないしなあ。


 しかし美鈴よ。

 もっと食べた方がいいぞ。

 あばら浮いてる上に乳首まで覗いてるから、まんま姉貴の残念胸にしか見えない。

  

「あはは」


 美鈴が無邪気そうに笑う。

 でも本当に楽しんでるんかね?


「美鈴、これ面白いの?」


「やだなあ。フランス語くらいわかって当たり前じゃないですか」


 いや、そうやって勝ち誇るのは構わんが。


「だってここ、コンビの相棒が転校して離れ離れになる場面だぞ?」


「だからこそじゃないですか」


「は?」


「愛し合う二人が大人の都合で引き裂かれる。これを笑わずしてどこを笑うんですか」


 最悪だ。


「つーか、そんなアニメじゃないだろ!」


「これカップリングしたい放題の、腐った女子向け妄想アニメじゃないんですか?」


「ちげえよ! 確かにそうだけど全開でちげえよ!」


「英語もフランス語も話せないのは結構ですけど、日本語くらいまともに話していただけませんか?」


 う……うぜえ。

 顔はいい、物腰は丁寧、一見穏やかながらも華やか。

 しかし放つ言葉は毒だらけ。

 性格は根っからねじ曲がってる。

 お前、絶対に友達いないよな!


「ふん」


 テレビに向き直る。

 とにかく我慢だ。

 採用されようとされまいと、今日の給料はもらえるだろう。

 テレビ観て時給八〇〇〇円なら、どんなことだって耐えてやる。


「あはは。小町さん、怒っちゃいました?」


「別に?」


 美鈴が腕をとってくる。


「やだなあ、そんな拗ねないでくださいよ」


「別に?」


 美鈴が寄っかかってきた。


「知ってます? フランスって来年には同性婚が許されそうなんですよ」


「だから?」


 つーか暑いから離れてくれないか?

 一分一〇〇円以上と割り切ってるから黙ってるけど。


「もう、鈍感ですね……僕がどうしてさっきから、小町さんを怒らせるようなこと言い続けてきたと思うんですか」


「さあ?」


「僕……実は『恰幅のいい人』が好きなんです」


「はあ?」


「世間の言葉で言えば『デブ専』なんです。だから気をひきたくて、つい……」


「はああ?」


「そのたぷたぷしたアゴに肉で潰れた目、もちっとしたお腹! 僕、小町さんに一目惚れしちゃったんです!」


「あっ、こら! 抱きしめるな!」


「このまま二人でイイコトしませんか? そして来年は二人でフランスへ!」


「やめろってば」


「大丈夫、母ならしばらくあがってきませんから」


 ムリヤリふりほどく。

 はあ……これはさすがに八〇〇〇円諦めるしかあるまい。

 まさかデブになってまで、こんな目に合うとは思わなかった。


「そうじゃない。キモチ悪いんだよ」


「えっ!?」


 美鈴が目を見開ききょとんとする。

 でも「えっ」じゃないだろ。


「オトコ同士なんだからキモチ悪いと思って当たり前だろうが」


 美鈴がガクガク震えだした。


「そ、そんなわけがない。これまでの家庭教師は全員僕に手を出そうとしてきたのに。そして僕は隠し撮っていた動画を突きだしては『ざまあ』して嘲笑ってきたのに」


 一体どこまで歪んでる。

 でも大方そんなとこだろと思った。


「なぜ! なぜ小町さんみたいなデブごときが僕を拒絶する! 絶対、女の子から相手にされそうにないキモオタのくせに!」


 美鈴が叫ぶ。

 ついに化けの皮はがれやがった。


「ふん、残念だったな。確かに俺はデブのキモオタだ。女の子から相手にされないのも認めてやろう」


「だったら!」


「だがな、美鈴。お前に俺を誘惑することは絶対できない」


「はあ?」


 美鈴が睨みつつも首をかしげる。


「なぜなら俺も男の娘。男の娘に男の娘攻撃は通用しないんだよ」


作中の英作文の出典は東京大学の入試問題です

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