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13/04/13(4) アンジュ:高貴高尚な求道者たる腐った人達と違い、私は愛情の形にリアリティを求めない

 鏡丘さんが戻ってきた。

 手にしているのはサラダ油とオリーブオイル。


「これは腐った人向けの作品で潤滑剤として用いられるアイテムです。小町君、この二つの違いがわかりますか?」


「どっちだって、つるつる滑るから同じでしょう?」


「はあ……やっぱり」


 鏡丘さんが溜息をつく。

 えっ? どうして?


 しかし思わぬ方向から解答が聞こえてきた。


「サラダ油を現実に用いると確実に腹を下すという医学的所見が得られたから、以後オリーブオイルに変更したって話じゃなかったっけ?」


「どうして姉貴がそんなこと知ってるんだ!」


「都から聞いた。小町と美鈴の振袖姿を見た日から、何かに目覚めてしまったらしい」


 ああ、俺の癒しのオアシスが……。

 チョコレート塗れになって汚れゆく様が目に浮かんだ。


 鏡丘さんが姉貴に向かって頷く。


「その通りです。腐った人達というのは世間には知られていないものの、妄想の中でも愛とリアリティを追求すべく日々進化しているんです。具体的に説明しましょう」


 鏡丘さんはフォークとスプーンを取り出した。


「最近、『フォークとスプーンだけでも私は妄想できる』と自慢する輩がいます。でもそれは果たして正しいのでしょうか。否、違う。材質もわからない、フォークとスプーンが置かれている環境もわからない、それなのに単なるフォークとスプーンというだけで無条件に愛の形を妄想をする事は許されません。例えば一口にフォークと言ってもステン仕上げかもしれませんし銀仕上げかもしれません。ステンなら乱暴に扱っても大丈夫ですけど、銀だったら乱暴に扱われれば傷ついちゃいますよね。ステン同士なら激しく絡み合っても問題なさそうですけど、ステンのスプーンが銀のフォークを乱暴に攻めたてたらどうでしょう。フォークはただ傷つくだけです。そこで屈強なスプーンが柔らかくフォークを扱うところに愛が生まれるんです。もしスプーンが乱暴にフォークを攻めるなら、フォークは実は人間に仕える執事で、傷ついても銀磨き布で優しく撫でてくれる御主人様の存在という設定が欲しい。そこまで設定を組んでこそ、初めてスプーンがフォークを無理矢理やっちゃうという状況が許されるんです。そんなリアリティも追求しないで単なるフォークとスプーンというだけで愛の形を妄想できる? はん、笑わせるんじゃないですよ」


 鏡丘さんはまるでオーケストラの指揮者がごとく、身振り手振りで演説する。


 姉貴を見る、卒倒しかけている。

 他の客を見る、卒倒しかけている。


 ……仕方ない、俺が聞こう。


 これ以上聞いてはいけない。

 それは予感ではない、確信だ。

 しかしそこに地雷があるなら踏まねばなるまい。

 やっぱり俺と姉貴は姉弟なのだ。


「で? その話と鏡丘さんの嗜好に何の関係が?」


「高貴高尚な求道者たる腐った人達と違い、私は愛情の形にリアリティを求めない」


「だから今の話のどこにどうリアリティが?」


 しかし鏡丘さんは、自己に陶酔したがごとく両手を広げる。


「実際に小町君のリコーダーを観音さんにくっつけようとしても無理。きっと使い物にならないし腐って落ちるのかもしれない。それはあくまで妄想の中でしかありえない事象であってリアリティが存在しない。だけどそれでも妄想できてしまう怠惰な私を、真摯に妄想の功夫を積む腐った人達と並べるのは失礼というもの。しかも私は曲がってさえいれば、男同士でも女同士でも男女でも何でもいける。その点でも腐った人達とはちがうよ」


 あんた、自分が腐りきってるの自覚してないだけじゃないか。

 違うのは普通の腐女子を超越してるからだろうが。


 姉貴が目をうつろにしながら問うてくる。


「小町、このモンブランとダージリンはお前が奢ってくれ。今度何か御馳走するから」


「仕方ないなあ。倍返しだぞ」


「だから、観音さん。私の愛を受け取っ──」


 鏡丘さんが姉貴に抱きつこうとしたその瞬間、背後からマスターが現れる。

 そしてトレイの角で、鏡丘さんの頭をガコッとえぐった。


「いたた、何するんですかマスター」


「御客様の前で変態じみた大演説ぶちかましておいて、何するもあったものじゃないでしょ。さっさと仕事に戻りなさい」


 鏡丘さんが頭をさすりながら退場、というか仕事に戻った。


 マスターが姉貴に頭を下げる。


「申し訳ございません。鏡丘は本当によく働く真面目ないい子なんですけど、一度スイッチが入ってしまうと暴走してしまいまして。御迷惑おかけしました」


 いや、あなた達は絶対にいいコンビだよ。


「いえいえ、気にしてませんので。小町をよろしくお願い致します」


「それではごゆっくり」


 マスターは再び頭を下げてから去っていった。


「マスターはまともそうだな」


「いや、鏡丘さんと類友だよ」


「そうか……まあ頑張れ」


 ──閉店時間。


 本当に今日は色々あった。

 でもそのおかげで、初日のプレッシャーをそれ程感じずにすんだ。

 気づいたら終わっていた、そんな感じだ。


 俺はダッシュでリカーへ。

 さらにダッシュで着替えてダッシュで退店。

 こんな店、早く帰らないと何されるかわからない。

 俺の貞操どころか性別は、今後果たして無事に守れるのだろうか。


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