13/04/13(2) アンジュ:働いてお金をもらうってのはそういう事だよ。例えバイトと言えどもね
アンジュ店内に戻ると、既に営業開始時間。
入口に立っていたマスターが声をかけてくる。
「やっぱり小町君って執事服似合うなあ」
そう。俺の制服は執事服だった。
リカーで広げた時は放心状態になった。
「似合うなあじゃないですよ」
「絶対そうじゃないかって思ったんだ。わざわざ買ってきた甲斐があったよ」
人の話を聞けよ。
「わざわざってなんですか。ウェイトレスの制服よりは遙かにマシですけど、もっと普通の制服があるでしょう」
「ないよ。本来、アンジュは男性バイトを雇わないんだから──」
うっ……何も言い返せなくなった。
そうなんだよな。
それなのに俺を雇ってくれたんだものな。
マスターには感謝しないといけないところ。
だったらケチつけるのはやめよう。
マスターが続ける。
「──それに執事服に決めたのは女の子達だよ。僕が普通の制服も含めていくつか候補を出して投票してもらったんけど、全員一致で執事服だったよ?」
感謝の思いを台無しにしやがって。
「自分で執事服を候補に入れといて、女の子達のせいにしないで下さい」
「だって写真撮りたかったんだもん」
「いい年して『もん』とか言ってるんじゃないですよ。そのヒゲを全力でむしりますよ!」
「雇主に向かって小町君は何て口の聞き方をするのかね?」
「あ……」
マスターがヒゲをなぞる。
「でも小町君にならヒゲむしられてもいいかな。代わりに別の毛をむしるし」
「どこの毛をむしるんですか!」
「鼻毛。何の毛を想像したの?」
それはそれで嫌だ。
あれ?
マスターの背後から、鏡丘さんが抜き足差し足。
「しーっ」というジェスチャーとともに。
──鏡丘さんがトレイを振り下ろし、マスターの頭をぱこーんとぶっ叩いた。
「何するの! ……って鏡丘君!?」
「お客様いらっしゃるのに『別の毛』だの『鼻毛』だの、なんて事を大声で話してるんですか。店のイメージってものを考えて下さい」
鏡丘さんは真顔。
トーンを低めた小さな声でマスターを叱る。
勤務時間は真面目な顔で真面目な事を言うんだな。
休憩時間中は真面目な事を言っても、気の抜けまくった顔で涎垂らしてた癖に。
少しだけ見直した。
当たり前の事を当たり前に言ってるだけではあるんだけどさ……。
「鏡丘君だって、小町君の毛をむしりたいでしょ?」
ぱこーん!
と、鏡丘さんが再びマスターの頭をぶったたいた。
「そういう話は閉店後にいくらでも付き合います。今は働いて下さい。もう一回言ったらトレイの代わりに水が満タンのポットでぶっ叩きますよ?」
だから本当はどこの毛なんだよ。
「わかったわかった。それじゃ小町君に仕事を教えてあげて」
「まったくもう。小町君こっち来て」
──鏡丘さんが店内を案内しながら、仕事についてざっと教えてくれる。
メモを取ろうとしたら注意された。
「メモはとらないで」
「教えてもらう時は忘れない様にメモを取るのが常識だと思うのですが」
「お客様の前でメモを開けると思ってるの? それにメモなんかしたって覚えたつもりになるだけ。実際の記憶は紙の中。頭でわからなければ体で覚えて」
「そんなすぐ覚えられますか!」
「私の教える事を一語一句覚えようとするから覚えられない。キーワードだけ覚える様に心掛けるといいよ」
はあ……。
何というか、「働いてる人」の言葉だ。
「それでも覚えられなければ?」
「その都度聞いてくれればいい。もちろん私は教える。だけど裏に回って『小町君って使えない』って陰口叩く。それが嫌なら無理矢理にでも覚えてね?」
なんて理不尽。
ある意味では姉貴よりひどい気がする。
「無茶苦茶じゃないですか。しかも『陰口叩く』って本人の前で公約するって!」
「働いてお金をもらうってのはそういう事だよ。例えバイトと言えどもね」
「鏡丘さんだってバイトじゃないですか」
「そうだよ。女子の私ができるんだから『男子』の小町君は当然出来るよねえ?」
こういう時だけ「男」を強調しやがって。
「じゃあ頑張りますよ。やってみせますよ」
鏡岡さんがオッドアイの片目をパチリと閉じて見せた。
「それでよし。どうしてもメモしたいなら最小限の事だけ手の甲に書いてね」
──鏡丘さんの指導が終わった。
「後は失敗する前に、わからない事は前もって聞いてね。見栄は張らないように」
「はい」
返事すると鏡丘さんが耳元に顔を近づけてきた。
うわ、女性特有のいい香り。
鼻をすんすん鳴らしたくなる。
「陰口が嫌なら、質問一回につき小町君の女装写真一枚で許してあげるから」
囁く様に言っても誤魔化されませんから。
「是非陰口を叩く方向でお願いします」
鏡丘さんが顔を戻す。
店内を見渡した上で「ちっ」と舌を鳴らす。
一応、客の視線を確認したらしい。
そこまでして舌打ちするなよ。
「じゃあやってみて。がんば」