13/03/25 自宅:赤信号も二人で渡れば怖くないだろう
今日から姉貴は横浜。
果たしてどうなることやら。
日中、姉貴から電話があった。
「タイ米とナンと買っといてくれ」。
つまり夕食はカレー。
姉貴はわざわざ電話してくるほどカレーが食べたいということなのだろう。
果たして何があったのか。
さらに先程電話があったので、タイ米はちゃんと「茹で」てある。
炊飯器で炊くのではないところがポイント。
「ただいま~」
姉貴が帰ってきた。
「おかえり」
「今日の夕食はこれだから温めて」
姉貴はコタツにゴトリと何やら置いて自分の部屋へ。
缶詰?
ビニール袋から中身をとりだしてみる。
英語でカレーと書いてある。
外装のチープさが、いかにも輸入品。
マトンカレーとグリーンカレーと豆カレーの三種類。
「姉貴、これは?」
襖の向こうから声が聞こえてくる。
「職場の後輩の手土産。本場パキスタンのカレーの缶詰だそうだ」
「ふーん」
こんな手土産持ってくるって、いったいどんな仕事?
ま、本場というからには、きっと「いい品」なのだろう。
缶切りで開けてみる。
──うっ!?
な、なんだ! この邪悪な匂いは。
複数のスパイスが絡み合った匂い。
それはわかる。
しかし決して食欲をそそる匂いではない。
これは何の匂いだろう?
そうだ! 温泉だ!
まるで卵の腐ったような刺激臭。
着替えた姉貴が戻ってきた。
「うあっ! この匂いはなんだ!」
既にリビング中に充満してるからな。
「これ、本当に食べても大丈夫なわけ?」
「みつきさんは『本場のパキスタン人すら口にできないカレーです』と言ってた」
「そんなに貴重なんだ」
「と言うか、パキスタンが貧しいんだろ。民宿のトイレだって、汚れが便器にこびりついたままなくらいだし」
ジョ○ョかよ。
こいつ、また俺の部屋から漫画持っていきやがった。
缶詰の中身は妙に毒々しい。
「匂いや見た目の限りにおいては、むしろ金もらっても食べたくないんだが」
「大丈夫だろ。別の部下も『まさに夢見心地で天にも昇る味ですよ』って言ってたし」
なら本当に美味しいのかな?
ソースがみつきさんだけだと姉貴は美化しかねない。
だけど他の人も言ってるのならきっと大丈夫だろう。
缶詰を皿にとりわけ、ナンとタイ米を並べる。
まずはグリーンカレー。
タイ米にかけて食べてみる。
──うっ!
うげえええええ!
ト、トイレ!
しかし姉貴は既にいなかった。
恐らく行き先は同じ。
しかたない、風呂場へ!
口に含んだカレーのような何かを吐き出し、水を大量に飲む。
な、な、なんだ。
この破壊的な不味さはなんだ!
どろどろに溶けた野菜のにちゃにちゃした食感が、まだ歯に残っている。
例えて言うなら青汁をペースト状にしてから水で割った感じ。
だから味が薄い、その一方で舌には刺激が突き刺してくる。
もう、こんなの食べ物じゃない!
タイ米だったのがせめてもの救いだ。
もしこれが日本米だったら……恐らくその場で吹き出していた。
──リビングに戻ると姉貴が倒れていた。
コタツの上を見る。
食べたのはどうやら豆カレーとナンの組合せの方らしい。
きっと似たようなものだったんだろうなあ。
「姉貴、大丈夫か?」
「あ、ああ……なんとか」
「姉貴って職場でいじめられてない?」
「バカ言うな! みつきさんはまだしも、もう一人の部下は仲いいぞ。これをくれた後輩も私のナイムネを愛してくれてるし」
最後の言葉はどこか何かがおかしいと思う。
でも今日行ったばかりの職場でいじめられるもないよな。
「みつきさんはまだしも」の辺りに姉貴の自信のなさが窺われて、少し切ない。
「俺達の味覚が間違ってるのかなあ?」
「私、味覚にはかなりの自信があるんだが」
「うん、そこは素直に認めてやる」
いつも安材料から、よくこれだけの味を作り出せると感心するくらいだし。
「きっとマトンカレーは美味しいんじゃないかなあ……」
「姉貴、まだ食べる気なの?」
俺はごめんだぞ。
「赤信号も二人で渡れば怖くないだろう」
「『赤信号』って言ってる時点でアウトじゃねえか!」
「地雷が目の前にあれば踏む、それこそが私の生き方だ」
「俺まで巻き込むな!」
「でも、試しもしない内から批判はできないだろう」
もっともだな。
悪い意味でこんなもの食べることは、人生において今後なさそうな気がするし。
それに残すはマトンカレー。
一応はお肉のカレーだから、他のモノよりはまともに食べられる気がするし。
「じゃあ付き合ってやるよ。ナンとタイ米、どっちで食べてみる?」
「そこなんだが……ここは一つ捻ってみないか?」
「捻る?」
姉貴が冷蔵庫から生卵と醤油をとりだしてきた。
「生卵と醤油で食べられないものは早々ない。これならきっといけると思うんだ」
もう缶詰の価値を完全に否定してるだろ。
でもここは同意しておこう。
少しでも食べられるように工夫したいところだし。
「だとするとタイ米?」
「いや、冷凍している御飯を使おう。生卵と醤油にはやっぱり日本米だから」
もうそれって、玉子かけ御飯にマトンカレーぶっかけただけだよな。
でも、カレーに生卵と醤油は鉄板の組合せ。
それもきっと卵の絡みやすい日本米ならでは。
さすが姉貴、俺とは発想が違う。
ちょっとしびれてしまったかも。
──玉子かけマトンカレーが目の前に置かれる。
「じゃあ小町、食べてみろ」
「食べてみろじゃねえ! 姉貴も食べろよ!」
「ちゃんと二人分並べてるだろう。安心しろ、私も絶対後に続くから」
この心中保険金詐欺みたいな台詞はなんなんだ?
まあいい。
もし不味ければ、今回ばかりは姉貴のアゴを外してでも絶対道連れにしてやる。
さて一口──
「ぶふぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「きっ、汚い! 私の顔があああああああああああ!」
「……小町……おい、小町」
目を開ける。
そこには水差しを持った姉貴がいた。
うげ、まだ味が残っている。
水差しごと煽り、水を一気のみして口の中を洗い流す。
「ふう……」
「で、味はどうだった?」
「まさに天に昇ったよ! 肉は固くてバサバサ。卵と醤油とルーの組合せが最悪で、まるで鉄の上に乗せられた塩をなめたみたい。さらに日本米との相性がもっと最悪で、バケツの腐った水に御飯を溶いて混ぜた様な味」
「そこまでかよ……口にするのが怖いな……」
「食べる気かよ!」
「『後に続く』と約束したからな。スパイに二言はない」
いや、二枚舌こそがスパイだろう。
さすがにこんなもの食べさせられるか。
「そんな約束守らなくていいから」
「ふっ、大丈夫。私には奥の手がある」
「奥の手?」
姉貴が冷蔵庫からとりだしたのは「おこのみソース」。
「これぞ広島人にとっての万能調味料。お好み焼に揚げ物から天ぷらまで。もちろんカレーだっていける。これならきっと……」
地元では刺身にまでかけて食べる人がいたくらいだからな。
さすがにそれはありえないと思ったけど。
姉貴がお好みソースをカレーにぶちまける。
「ふふふふ……お好みソースよ、この地雷カレーを蹂躙するがいい……」
なんか厨二めいた謎の台詞をつぶやいてる。
でも、そう祈りたくなる気持ちは、先に食した俺としてはよくわかる。
「じゃあ小町、いくぞ」
「おう」
姉貴がスプーンにカレーをすくい、口の中へ入れた──。
※※※
翌朝。
姉貴はふらふらしつつも出勤していった。
しかも始発。
「この体調だとラッシュの人混みに耐えられないから」と言い残して。
俺も気持ち悪くて眠れなかった。
スマホを手にする。
「ごめんなさい、体調悪いのでバイト休ませて下さい」
電話を切る,これでよし。
ああ、ようやく眠れそう……。
これで二章終わりです
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
本話は「キノコ煮込みに秘密のスパイスを」の以下の話とリンクしてます。
興味なければ読む必要ありません。
・13/03/25 月 横浜オフィス
・13/03/26 火 横浜オフィス
みつきさんがどうなったかは
・13/02/21(4) 自宅
なお、このカレーは実在します。
作中描写は当方と当時の彼女の経験に基づきます。