13/02/15(2) 自宅:失敗したからって、いつまでも落ち込んでられるか
アパートに着くと、外に灯りが漏れている。
つまり姉貴は帰宅済み。
はてさて、どんな様子やら。
「小町、おかえり」
意外にも、いつも通りの挨拶が返ってきた。
「ただいま」
姉貴はいつものどてら姿。
コタツに入り、煙草をくゆらせながらテレビのニュースを見ている。
見た限り、夕べのショックからは立ち直ってる様子。
「小町」
「ん?」
「私、四月から横浜に転勤になったから」
「あ、そう」
よくわからないけど公務員の転勤って別に珍しくないんだろうしな。
「そして、みつきさんの上司になる」
「あ、そう」
よくわかんないけど……え?
「えええええええええええええええええええええ!」
「人事課長にねじこんで了解を取り付けた。四月からみつきさんは私の部下だ」
立ち直ったどころじゃない。
どうして、帰っていきなりこんな話を聞かされる。
しかも何?
みつきさんが部下?
「なんか、ものすごくムチャしてない?」
「そうでもないよ。みつきさんの一件は派閥として何とかしないといけない話。そこで別の人が横浜に行く予定だったのを、私に変えてもらっただけだから」
「はあ」
まあ、そういうことなら。
しかし姉貴は更に続ける。
「ただし七月末までだけどな」
「はあ?」
「その後は外務省の研修所入り、翌年二月には外交官としてワシントンに出向する」
「はあああああああああああああああああ?」
「というわけで、お前はそれ以降独り暮らしな」
「ちょっと!」
「学費も生活費もちゃんと仕送ってやる。そこは心配するな」
「ちょっと待て!」
「これでカレシもカノジョも連れ込み放題、よかったな」
「いいから、ちょっと待て!」
はあはあ。
この女は何を独りで暴走してやがる。
横浜? ワシントン?
「やっぱり無茶してるじゃないか! そんな短期間でとんぼ返りする様な人事があるわけない! そのくらい俺でも解るわ!」
「ここにあるだろう?」
「ワシントンはどこから出てきた!」
「一昨日決まったんだよ。ただ余りにバタバタして話すどころじゃなかったからさ」
ああ……。
一昨日は電話来て、話の途中で出て行ったし。
昨日はそれこそライフゼロ状態だったし。
俺も少し落ち着くか。
「とりあえず、そのワシントン行きってのはいい話なわけ?」
「公安庁では最高の人事ルートと言っていいよ」
「へえ、ならよかったじゃん」
「でもある意味では最悪な人事だ」
「ある意味?」
「アメリカ人には味覚がない。CIAが土産で毎回持ってくるチョコレートは死ぬほどまずいし、米軍に招待されて出てくるステーキはバサバサだし、アイスクリームは甘すぎて歯が痛くなるし、そのくせ量だけは山ほどありやがる」
無茶苦茶言ってやがる。
「味覚がないまでは偏見だろ」
「それで本当に御馳走扱いだから困るんだよ。同じアメリカ人の食べ物なら、まだ三食マックで済ませた方がマシなくらいだ──」
それはひどい。
姉貴が訥々と続ける。
「──しかもヤツらには衛生概念もない。なんせ玉子かけ御飯が食べられない。それどころか生卵を顔にぶつければ死ぬんだぞ」
「ひ、ひいいい」
アメリカ恐るべし。
生卵が爆弾代わりになるなんて。
それでもホントに先進国なのか?
「どうせならハバロフスクがよかった。各種手当てが山ほど出る上、家に引き籠もってるしかないから金は山ほど貯まる。しかも暇だし」
「それってもしかして、マッシュやり放題とか?」
姉貴が溜息をつく。
「はあ……そういう意味でも最悪の人事なんだよ。マッシュは海外プロバイダのアクセスを許可してないじゃんか」
「あっ!」
そうだった。
「生卵で死ぬ可能性は我慢できても、マッシュをやめなくてはならないとなるとなあ。『行け』と言われて頷くのは正直躊躇ったよ」
ネトゲと大使館赴任を天秤にかける人はまずいないと思う。
でも、安心はした。
昨日はあんなに泣き崩れてたのに、今日は相変わらずの減らず口。
接する側としては、やっぱりこっちの方が楽だ。
「姉貴もつくづくタフだなあ」
「失敗したからって、いつまでも落ち込んでられるか。そんな場合じゃないんだし」
現実的なのか、大人なのか。
簡単に言えそうでいて案外言えない台詞に思えるのは気のせいかな。
とりあえず、話題を戻すには丁度いいタイミングだ。
「で、横浜というのは?」
「言うまでもないさ。『ねぎ』としての私はみつきさんに何もしてあげられない。だけど公安庁職員としてなら彼を助けられる立場にいる。だったら何をさしおいてでも飛んでいくよ」
言うまでもない。
そこまで言い切れる姉貴ってちょっとかっこいいと思った。
「ついでにみつきさんとも上手くいけば言うことないな」
「うん……と言いたいところだけどなあ」
なんか奥歯に挟まったような物言い。
「何かあるわけ?」
「女心は複雑、とだけ言っておくよ」
はぐらかしているのか。
それともそうとしか言いようがないのか。
ただ姉貴の表情は、どこか物憂げ。
これ以上話す気にはなれないのだろう。
だったら、これで話は終わりだ。
「そっか」
俺の返事に、姉貴がくすりとだけ笑う。
そして気怠げにテレビへ目線を戻した。
さて部屋に戻ろう。