12/05/04(1) 自宅:姉貴には、俺がデブったおかげでどれだけ幸せになれたかわかんないだろうが!
我がアパート「宮島荘」。
東急田園都市線二子玉川という一等地。
六畳の和室が二間に四畳半のDKという広さながら家賃は六万という好条件。
姉弟二人で住むには十分な広さだ。
俺達の母さんより、さらに年上なアパートだからだけど。
それでも陽当たりよくて住み心地は最高だ。
……もう夜の七時だけどね。
なので俺は溜めたアニメを消化しながら台所で包丁を振っている。
流れているのは大勢の友達に囲まれてるくせして「ぼっち」とか嘆いてる話。
「肉」と呼ばれるヒロインは好きだけど、メインヒロインはゲロまで吐くし。
俺達姉妹と同系統の顔にそんなことされると複雑になる。
いや、今は姉貴だけだな。
俺はデブったから。
でも幸せだ。
大学に入ってからは、どことなく危険な視線を友達から感じることもなくなった。
もちろんラブレターなんてもらってない。
それに……デブを好きになってくれる子は心がキレイに違いない。
ラノベやマンガやアニメでは、むしろデブな方がヒロインに恵まれるくらい。
「加速する」って主人公なんかまさにそうだ。
一方、男の娘主人公でヒロインに恵まれたフィクションなんて思い浮かばない。
だから俺の中では「男の娘<デブ」という方程式ができあがっている。
きっといつかはデブな……いやデブだからこそだ。
俺にもヒロインが現れるはず。
今年こそゴールデンウィーク真っ盛りなのに夕食の支度をしている。
しかし来年はきっと違う。
ここで包丁を振り下ろしているのは姉貴のはずだ。
俺のデートの帰りを待ちながら。
やっぱり独り身な姉貴は出勤中。
公安庁では宿日直というのがあって、当番にあたると出勤しないといけないらしい。
それでも姉貴は嬉しそうにスキップしながら出て行った。
「私は仕事だからゴールデンウィークにデートできなくてもしかたない」
とかなんとか。
我が姉ながら悲しくなる。
ただ作れないのもあるみたいだけど、作らないというのが本音みたいだ。
結局、俺はK大に通うことができ、東京に住んでいる。
ただそれは母さんが心底許してくれたわけじゃない。
姉貴が大見得を切ったからだ。
あの時の姉貴と母さんのやりとりを思い出す……
※※※
「母さん、せっかく本人が行きたい学校に合格したんだから行かせてやれよ」
「小町の東京での生活費はどうするの?」
「私が東京にいるんだから問題ない。私が小町の面倒を見る。扶養手当や住居手当も役所から出るし。小遣い銭は小町もバイトするだろうし」
「小町まで東京行っちゃったら、あたしの老後はどうするのよ。父さんにも先立たれて、この年齢で独りで東京なんて行きたくない」
「それが母さんの本音かよ! でも安心しろ。そのうち私が広島に帰って面倒みてやるから。キャリア資格さえ放棄すれば一生広島に勤めることだってできるぞ」
「あんたはそんな心配しなくていいから早く結婚しなさい!」
「男なぞ有象無象の類にしか見えん! これまで好きになれた男すらいないのに結婚なんてできるか! 私は一生独りで構わん!」
「なんてことを……そこまで言うなら行かせてやる。その代わり、K大と国立の学費の差額を観音が出せ!」
「おう、出してやろうじゃないか! 差額なんてみみっちい事言ってられるか。学費も全額、私が出してやる! そのくらいの稼ぎも蓄えもあるわ!」
※※※
実際には結局母さんもこっそり俺の通帳に仕送ってくれているのだが。
「機会があったら観音に渡して」と。
なんだかんだ言って、やっぱり親だ。
ただ姉貴は……「有象無象」とは。
厨二じみた言い回しだけど、リアルで持ち出されると深刻だ。
だって好きになるどころか目に映る男すらいないことを意味するんだから。
しかも「なれた」という言い回し。
姉貴も恋愛に憧れはしてるのだ。
俺ですら好きになった相手くらいはいる。
振られたけど、好きでいる間は色々妄想して楽しかった。
姉貴は恋に憧れながらも、その楽しみすら知らないってことなのだから。
ただなあ……そこはいいんだ……。
──ギイっとドアの開く音が聞こえてきた。
どすどすと足音を立てながら、姉貴がリビングに入ってくる。
「あー、もう! 右も左もカップルばっかり。みんな死ねばいい。爆発すればいい。どこぞの国は今すぐ東京にミサイルを打ち込めばいいんだ!」
自分がカレシ作らないのと、世間のカップルがうざいのは別問題らしい。
「おかえり、姉貴。少しは落ち着けよ」
冷蔵庫を開けて、発泡酒を手渡す。
姉貴は栓を開けるや、一気に飲み干した。
「ぷはーっ。ただいま」
「ったく、そんなにぶつくさ言うならカレシ作ればいいだろうが」
色々とわかってはいても言いたくなる。
「それとこれとは話が別だ。カップルは傍若無人、見ているだけで腹が立つ。何より他人が幸せなの見ていると、私が本来得るはずの幸せを奪い取られた気になってくる」
「小さいなあ……」
聞いてる方が悲しくなってくる。
俺ですら、そこまでは思わないのに。
「何とでも言え、世界で幸せになるのは私と私の王子様だけでいい。もちろんお前にも幸せになる権利はない」
カレシ自体は、やっぱり欲しがってるんだよなあ……。
言ってることは矛盾しまくってるけど。
でもなあ、それが弟に言う台詞かよ。
「自分さえよければいいのか、この自己中なオレサマ女。訳のわかんないことぐだぐだ言ってるんじゃねえよ」
──ぶっ!
この姉貴、腹殴ってきやがった!
「何しやがる!」
「ふん。デブに打撃は効かないだろ? 私の弟を名乗るなら痩せてからにしてくれ」
「効くわ! そんな乱暴だからカレシできないんだ! 東京来てからいつもいつもいつも殴りやがって!」
「私はデブが嫌いだ。世の中には病気で仕方ない人もいるけど、基本的には怠惰の証。その醜い姿を私の前に晒すな」
ぐ……確かに俺のデブは怠惰の証。
それは認めよう。
だがな。
「姉貴には、俺がデブったおかげでどれだけ幸せになれたかわかんないだろうが! ──あいたた、髪の毛引っ張るな!」
「キモイ長髪伸ばして、小町こそぐだぐだ言ってるんじゃないよ。自分に彼女ができないのを顔のせいにするな、みっともない」
「できないものは仕方ないだろうが!」
「彼女ができないなら彼氏を作ればいいだろうが」
「その台詞だけは姉貴でも許さん。どこぞの王女様みたいな事言ってる様で全然違うわ! ──あ、そこらめえ、そこくすぐるな! この抉れ胸!」
「貧乳を褒めてくれるのは構わんが、いつまでもぐだぐだ言い続けてると昔みたいに私のお古着せるぞ……ああ、その体型じゃ私のお古は着る事できないな」
姉貴が手を放してニヤリと笑う。
このクソ姉貴、なんて意地悪そうな表情しやがる。
「ふん」
姉貴は鼻で笑い捨ててから、自分の部屋へ入っていった。
ったく……。
俺の知っていた優しい姉貴の姿は偽りだった。
こっちが姉貴の素だったのだ。
デブだから、姉貴はそう言っている。
それはそれで本当だろうけど、それだけじゃない。
この短気で乱暴なのが姉貴の本来の素なのだ。
もちろん殴ると言っても、さほど痛くはない。
所詮は姉弟同士のじゃれあい程度。
だけど、とにかくすぐに手が出る。
そこはやっぱり間違いない。
母さんとの口論で薄々は気づいていた。
姉貴は俺の前であんな激しい物言いなんてしなかったから。
あんな姿は初めて見た。
きっとこれまでは遠距離だったし、たまに会うだけだったから猫をかぶっていたのだ。
「良き理想の姉」として。
はあ……毎日こんな調子だけにホント疲れる。
これまで姉貴はどんな生活を送ってきたんだ?
──ん?
ぐつぐつと鍋の煮立つ音。
まずい! カレイの煮付けが!
姉貴はスーパーの半額品じゃないとうるさいから、頑張って確保してきたのに!
考え事は後にしてと。
とりあえず夕食を作りおえてしまおう。
三年前の設定なのでネタが古いのはお許し下さい