13/02/13 新しいバイト先:小町くんって男の子だねえ……
包み紙を広げてと。
……箱の位置はこれでいいかな? 四辺の角の内の三つを紙に入れる様にして。
……手前の紙を折って箱の左隅が隠れる様にかぶせて。
ここで紙を上に持ち上げてピンと張るのが肝心。
でも張りすぎると箱の角で紙が破れちゃうから加減が難しい。
……ごろっごろっと箱を転がして紙を巻いていく。
……最後のサイドの紙を包み、端を折り曲げ形を整える。
……テープを貼る。
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うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
たわみも歪みもない見事な「回転包み」。
バイト五日目にして遂に会得できたああああああああああああ!
回転包みは贈り物のラッピングには欠かせない包装技術。
ここまで来るのに包装紙を何枚無駄にしたか。
俺の新しいバイト先は「イヴェール銀座」地下のリカー。
イヴェール銀座は略してイヴ銀。
有楽町にある女性を主要ターゲットにしたデパートである。
それゆえバレンタインはかき入れ時。
【スタッフ大量募集】とあったので申し込んでみたところ、春休みいっぱい雇ってもらえることになった。
一ヶ月後にはホワイトデーもあるしな。
デパートだと時給一〇〇〇円でほぼ毎日の一日八〇〇〇円。
家庭教師だと相場は時給二五〇〇円。
掛ける二時間で一日五〇〇〇円。
しかも週二~三がいいところ。
トータルでみればデパートの方がお金稼げるしありがたい。
何より、俺にバレンタインなぞ縁がない。
それなら働いていた方がマシというものだ。
俺の人生でチョコレートなんて、姉貴と母親と男からしかもらったことがない。
バレンタインに本命チョコもらう男なぞ地獄に堕ちればいい。
いけない、いけない。
こんな負の感情に囚われてしまってはいけない。
リカーの隣の特設チョコ売場で働く女の子達を眺めつつ思う。
売場は別だけど距離的に離れているわけではない。
このバイトできっと出会いがあると信じるんだ。
俺にも春が来ると信じるんだ!
──あれ? 見覚えのある二人が。
背の高い冷酷顔と三つ編みメガネの癒し系。
つまり姉貴と都さん。
「よう」
「ちゃお」
「いったいどうしたんですか?」
都さんが普段通りの愛想で答える。
「明日のバレンタイン用の義理チョコ買いに来たの」
「有楽町に?」
「だって法務省は日比谷公園渡ってすぐだもの」
霞ヶ関って有楽町とそんなに近いんだ。
官庁街の地理なんてピンと来ないだけに、ちょっとびっくり。
「じゃあそれはいいとして……まだ勤務中じゃないんです?」
時計は午後三時。
明らかに、まだ勤務時間。
「これも仕事の内だからねえ」
姉貴が続いた。
「義理チョコなんてバカげた風習やめればいいんだ」
「そこまで不機嫌な顔見せなくてもいいだろうが」
「不機嫌にもなるわ。バレンタインとは死を賭す覚悟でチョコを捧げるもの。義理チョコなんて愛に殉じたウァレンティヌス司祭に対する侮辱だ」
「そんな解釈してるのは姉貴くらいだ」
都さんが口を挟んできた。
「でも小町君、グチりたくもなるよ。年賀状や中元・歳暮すら禁じられてるのに、バレンタインだけどうして?って感じだもの。男の子ってそんなにチョコ欲しいの?」
「欲しいです」
「明らかに義理でも?」
「チョコを受け取るとき、女の子の手に触れるじゃないですか。言葉だって交わせますし」
さらに「校舎裏に来て」と言われ「あたし、実はこまっちのことを……」とかなんとか。
ああ、妄想のタネは尽きない。
「小町くんって男の子だねえ……」
都さん、そのいかにも呆れきった口調はなんですか。
姉貴が鼻を鳴らす。
「はん。手に触れる以前に、小町は私と母さん以外からチョコもらったことないよ」
「うるさい!」
「小町くんってかわいそうだねえ……」
都さん、そのいかにも哀れんだ目はなんですか。
姉貴が口を開く。
「ま、そういうわけでさ。お前のバイト先ならオトクに買えるかなあって」
「そういうのって経費で落ちないの?」
「落ちたら私でも『税金返せ!』って叫ぶよ。本当の仕事ならともかくさ」
つまりスパイ仕事なら落ちるってことね。
自腹切らされて義理チョコじゃ不機嫌にもなるよなあ。
ホワイトデーにホワイトチョコのお返しもらったところで、どうせ姉貴はカロリー気にして食べないし。
「しかしオトクと言われてもなあ、所詮俺はバイトだし──」
「小町、大丈夫だよ──」
リカーのチーフが口を挟んできた。
バイト先でも面白がられて、やっぱり小町呼ばわり。
「──うちはバイトでも社販効くから。チョコ売場に案内してきな」
「じゃ、すみません。御言葉に甘えます。二人とも来て」
チョコ売場へ。
同じくバイトの女の子に事情を話してから、職務に復帰。
──買い終わったのか、二人が戻ってきた。
「小町ありがとな」
姉貴はほくほく顔。
まあ今回は特にオトク度合いが大きそうだし。
「小町君ありがと──」
あれ? 都さんが屈む。
そして俺のエプロンのポケットに小箱を入れた。
「──一日早いけど、私からのバレンタイン。バイト頑張ってね」
おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
初めて姉貴と母さん以外からの義理チョコが!
「都さん、ありがとうございます。それと……」
「ん?」
都さんが首を傾げる。
「できれば手渡しで、もう一度……」
「小町君も男の子だねえ……」
※※※
バイトを終えて帰宅すると、コタツには先客がいた。
姉貴が頬杖つきつつ卓上を見つめている。
視線の先には立派な包装のついた小箱。
「おかえり、小町」
いけない。
でも、なんか声を掛けるのが躊躇われる雰囲気だった。
「ただいま。それは……みつきさんに?」
「買ってはみたんだけどな。渡しようがないんだけど」
ふう、と姉貴が溜息をつく。
包装を見るに、イヴ銀で買った物。
それも一番の人気店の一番高いやつ。
また随分と張り込んだものだ。
「都さんは?」
「話してる。二人は面識あるから、口裏合わせてほしい部分あるし」
そうじゃなければ一緒の時には買わないよな。
「何か口実つけて渡せないものなの?」
「それ以前に、こんないかにも本チョコとわかる代物渡したらドン引きされるだろ」
「じゃあ買うなよ……」
「ちゃんと義理っぽいのも買ってあるよ。どうせ小町行きだけど」
例え義理でも、もう少しありがたみがほしい。
ピピピと電子音。
姉貴がスマホを手にする。
シンプルな呼び出し音が実に姉貴らしい。
「もしもし?……えっ、本当ですか? ……はい、マルタイのデータは……わかりました……いえ、ありがとうございます」
姉貴が電話を切る。
「ちっ」
そして舌を鳴らす。
あまりいい話ではないらしい。
だからと言って「どうしたの?」とは聞けないし、姉貴も話さないだろう。
……と思ったら、姉貴がこちらを向いた。
「敵が動いた」
「へ?」
「いよいよみつきさんを本格的に潰しにきた」
ああ……ん?
ということはもしかして……。
「姉貴、明日みつきさんと会うの?」
「そうなるだろうな。警告しないといけないから」
「チョコ渡せるじゃん」
「バカ! 会う前にみつきさんが何かヘマしたら一巻の終わりなんだぞ!」
一喝された。
しまった、これは遊びじゃないんだ。
しかし姉貴がハッと気づいたように口を開け、頭を下げてくる。
「すまん、お前に言うことじゃなかった」
「ごめん、俺こそ軽率だった」
頭を下げ返す。
が、姉貴は見ていない。
スマホ片手に思考の彼方へ飛び去っていた。
小声で何やら呟いている。
(よりによって朝一番か。と言って、前もって警告したところで、かえって動揺させかねなかったし……この駅なら出入口は一つか……それなら……)
姉貴が立ち上がる。
「小町、私はこれから少し出かけてくる。先に寝ててくれ──」
頷くと、さらに続けてきた。
「──あと、すまないが頼みがある」
「何?」
「みつきさんと今晩マイタケダンジョン行く約束してたんだが、恐らく断りのメッセを入れてくるはず。私の代わりに適当に返事しておいてくれ。その後はクライアント落として構わない」
この緊迫感ある状況とまったくそぐわない台詞はなんなんだ。
だけどもちろん、茶化している場合ではない。
「わかった」
姉貴がジャージのまま上着をはおり、出て行く。
車でひとっ走りといったところか。
──あれ? 戻ってきた。
姉貴はいそいそと、チョコをバッグにしまう。
「どうしたの?」
「いや……ま……その……もしかしたら万が一とか……明日会ったら一目でねぎと見抜かれちゃったりとか……だったらチョコ渡せたりとかなんとかかんとか……」
姉貴の顔は真っ赤。
あるわけないだろ、とは口が裂けても言えない。
代わりにこう言っておこう。
「明日、渡せるといいな」
「おう。それじゃ行ってくる」
今度こそ本当に出て行った。
せめて義理の方くらい、本当に渡せるといいんだけどな。
さて、姉貴のパソコンに張りつくか。
──ほどなく、みつきさんからメッセが入った。
〈みつき:おはおは〉
ねぎはわざとらしい敬語。
そしてみつきさんは、いつもならINしてる時間のはず。
〈ねぎまぐろ:おはおは、今日は遅かったですね〉
〈みつき:説明時間ない。明日仕事。朝一出勤。早く寝る。だから今日だめ。ごめん〉
確かに姉貴の読み通りだけど……このわけわからないメッセは何なんだ。
ま、こちらとしてはありがたい。
〈ねぎまぐろ:そうなんですか。それは残念ですけど仕方ないですね〉
〈みつき:また埋め合わせはする。おやすみ〉
おやすみなさい。
さあ、お風呂入って寝ますかね。
……ねぎの口調が伝染ってしまったじゃないか。
「キノコ煮込みに秘密のスパイスを」13/02/13(3)自宅
とリンクしてます。
興味なければ特に読む必要ありません。