13/02/09(1) 毘沙門家の車の中:長い間、本当にありがとう
空いた車道。
バスの最終はとっくに過ぎた時間。
窓の向こうで緩やかに流れる景色をぼーっと眺める。
車内に視線を戻す。
速度計はぴったり法定速度。
車は最新モデルのプリウス、別にボロいわけではない。
単に運転してる人──美鈴のおじさんが慎重なだけ。
姉貴によると、公務員が絶対避けなくてはいけないのが交通事故。
飲酒運転での人身事故は即座に懲戒免職。
飲酒してなくても、ほぼ役人人生が終わるとか。
それゆえか姉貴の運転はうまく、とても安心して乗っていられる。
そしておじさんの運転も、やはり姉貴に通じるものがある。
おじさんが話しかけてくる。
「今日もお姉さんは国会待機?」
「いえ、今日はキャリアの飲み会だそうです」
「そうか。うちも公安庁もキャリアの少ない役所だけに、キャリア同士仲いいからなあ。今頃はきっと羽を伸ばしてる頃だね」
「そうですね……」
羽を伸ばすどころか、帰ってきてたら間違いなく愚痴られる。
それを思うと曖昧な返事しか返せない。
しかしおじさんとは気軽に接しづらい。
とかく年配の男性には話しかけにくいもの。
返事するだけならともかく、自分から話題を振るとなると気後れしてしまう。
「ところで、もしK大に入学する事になったら寄付金はどのくらい払えばいいのかな?」
おじさんもそれを察してくれるのだろう。
話が途切れそうになると、無難な話題を探しては振ってくれる。
この辺り、おじさんがいい人なのを感じさせられる。
こう言ってはなんだけど、とても毘沙門家の人間と思えない。
単に他の二人がおかしいんだろうけど。
「そんなの払わなくていいですよ。僕も周囲の友人達もみんな払ってませんし」
「そうか、それなら安心して通わせる事ができるな」
合格る落ちるの心配は全くしてないのがよくわかる。
でもそれは当然。
学校の成績は知らないけど、美鈴の学力は明らかにK大文合格ラインの遙か上。
ムカつくけど、俺とはケタが違う。
落ちるなんてまずありえないから。
我がアパート到着。
さすがプリウス、静かな停車。
「送っていただいてどうもありがとうございました」
礼を告げて車を降りる。
そしたらおじさんも車から降りてきた。
「小町君」
「はい?」
「長い間、本当にありがとう」
おじさんが深々と頭を下げてきた。
「いえいえ、何もしてませんから」
年配の方に頭を下げられると、こちらが身構えてしまう。
しかも本当に何もしてないのだから、余計に心苦しい。
美鈴が問題解けなくて困ってる姿を見た記憶がないくらいなのに。
「そんな事はない、小町君のおかげで我が家は本当に助かったのだから」
「はあ、そういうものですか──」
これは社交辞令というものだろうな。
なら、こう返すべきか。
「──どういたしまして」
頭を上げたおじさんが再び車に乗り込む。
静かにプリウスが発車。
暗闇に光るテールランプがだんだん小さくなっていく。
今日で家庭教師も終わりなんだな……。
改めて深い感慨を抱いてしまう。
冷たい風に合わせ流れてきた一抹の寂しさと共に。