13/01/31(3) 毘沙門宅:僕はこまっちがだぁいすき。痩せたら誰にも渡さないんですからね
美鈴の部屋。
テレビはCNNが流れっぱなし。
初日のフランス語版「キャプ○ン翼」も本当に理解できるらしい。
毎回思うが、こんなヤツに家庭教師なんて必要なのか。
思うんだ。
高校生ならCNNなどよりアニメや歌番組を観るべきだろう。
国際情勢などより二次元ヒロインやアイドル見てハアハア。
それこそがあるべき若者の姿ではないのか。
「なあ美鈴」
かわいげさの欠片もない教え子に尋ねる。
「What's?」
「日本語で答えろ」
美鈴は下を向いて問題集を解き続ける。
こちらを見ようともしない。
「|Please speak in English,thou《小町さんこそ英語で話してもらえません?》」
イラっとする。
「俺が日本語で聞いてるんだから日本語で返事しろや!」
「|受験まへなれば英語に慣れはべるなりたけれど──」
「現代語で話せ! K大文の入試は、古文どころか国語すら出題されないだろうが!」
美鈴がカリカリとノートに何やら書き、差し出してきた。
【|?ウセデルヰテツ喋デ語本日《日本語で喋っているでしょう?》】
「おちょくってるのか?」
「すみません、さっきまで戦前史をやっていたも──痛い、痛い。頭ぐりぐりしないで」
「最初からそうしてまともに返せばいいんだよ」
「小町さんが手作業で退屈だろうから、わざわざ流してあげてるんでしょうが」
「それを気遣うくらいなら、もう少しましな仕事をさせてもらえないか?」
俺が何をやらされているかというと、辞書を揉みほぐす作業。
新品の和英辞書の背と腹を両手で持って、かれこれ三時間ぐにぐに揉みしだいてる。
昨日は英英辞書だった。
K大文の入試は二冊まで辞書を持ち込み可。
なので新しく買ってきたのだが、新品だとページがくっついてめくりづらい。
こうしておけば、本番で時間の節約ができるから。
「自分でやるのは面倒ですからね。本当に助かってますよ」
「でもさ、仮にも俺は家庭教師。他にやるべきことがあるだろう」
特にここ一週間は受験直前ということで毎日呼ばれてるのに。
まったく仕事した気がしなくて罪悪感がある。
せめてその問題集の答え合わせくらいさせてくれ。
「どうせ全部正解だから」とか言って、解答も見ずに先々進めやがって。
「辞書の揉みしだきだって立派な仕事です。それで御不満なら僕の勉強を監視してると割り切ってください。受験生は他人の目がないと怠けるものでしょう?」
それは教え子の言う台詞じゃないだろう。
「そうじゃな──」
美鈴がシャープペンシルをバシッとコタツに叩きつけた。
やだ、なんか怖い。
「うるさいですね、勉強の邪魔!」
「邪魔って……」
俺、先生なのに。
一応は先生なのに。
美鈴が睨んでくる。
「ここのところ観音さんって帰り遅いんでしょ?」
「それがどうした?」
「小町さんを家で独りにすれば、どれだけ暴飲暴食するかわからないじゃないですか。だから毎日呼んであげてるのに文句言わないでください!」
「監視してるのはお前の方じゃないか!」
美鈴がきっ、と睨み付けてきた。
お、俺は先生なんだからな。
そ、そんな目で睨んできたって負けないんだからな。
「だったら何だと言うんですか? ダイエットの監視してあげて、二四〇〇〇円支払ってあげて、ここまで至れり尽くせりで協力してあげてる教え子が日本全国のどこにいるというんですか?」
いないと思う。
その代わり、先生に対してそこまで上から目線の教え子もいないと思う。
「はあ……」
「何を溜息ついてるんですか」
「溜息つきたくもなるだろ。普通は俺みたいなデブでしかもオタクがダイエットする時って、美少女がジョギングに毎日付き合ってくれながら『べ、別にこまっちの事なんか何とも思ってないんだからね。私も少し食べ過ぎたから一緒に走ってるだけなんだからね』とか言いつつ、見事痩せたら『ずっとこまっちの事好きだったの、御褒美に私の大切な物あげる』って言ってくれるのがお約束だろう。なのにどうして、俺の側にいるのはドS姉に美少女もどきなんだよ」
「それ、どこからどうツッコんで欲しいんですか? 何年前のテンプレ? そんなに毎日その女は食べ過ぎてるんですか? リアルで『こまっち』ってとこですか? 大切な物って何ですか? 美少女もどきって誰の事ですか? ああ、そうですね。きっと何から何まで全部キモイところにツッコんでほしいんですよね?」
一気に捲し立てたら、そのまま投げ返してきやがった。
「胸をぐさぐさ刺すツッコミはやめてくれ……」
「じゃあ最初から言わなければいいじゃないですか。普通は誰もデブを咎めない代わりに応援もしないんですから贅沢言わないで下さい」
だから俺はこれまで自ら痩せようと思わなかった。それは認めよう。
世間のデブがデブのままでいるのは、きっと誰も咎めてくれないからなんだろう。
ダイエット始めても挫折するのは、きっと誰も応援してくれないからなんだろう。
それを咎めて応援してくれる事には感謝もしてるけどさ。
「ちゃんとダイエット頑張ってる自分への御褒美に妄想するくらい許されるだろう」
「妄想?」
「だってデブでいれば『太ってても私はこまっちがだぁいすき、誰にも渡さないんだからね』と言ってくれる美少女が現れるのを夢見ることができるんだぞ。なのにダイエットしてしまうと、その楽しみがなくなってしまうんだから」
恋人候補じゃなくてもいい。せめて叱咤激励してくれてる女友達が欲しかった。
現状じゃ痩せたって、何のドラマも生まれないじゃないか。
「はあ、仕方ないなあ……」
美鈴が両手で俺の手を包む様に握りしめてきた。
そして上目遣いで見つめてくる。
「え? な、何?」
「僕はこまっちがだぁいすき。痩せたら誰にも渡さないんですからね」
美鈴の手を叩きつける様に、思い切り振り解く。
「お前こそキモイわ!」
「『言ってくれ』って言うから恥ずかしいのを我慢して言ってあげたんでしょうが!」
「美鈴に頼んだ覚えはない、少しは身の程を知れ!」
しかも「痩せたら」って言ってる時点で全部台無しじゃないか。
「太ってても」というところがデブでオタクのツボをつくのがわからないのか。
一番大事な所を削るんじゃない。
デブというハードルを越えて好きになってくれるからこそ、甘々できゅんきゅんするんじゃないか。
「十分過ぎるくらいに身の程を弁えてますどね。普通はこれでみんな転びますから」
「それはそいつらがバカなだけだ。男の娘に男の娘攻撃は効かないと何度言えばわかる」
──コンコンとノックの音。
「小町さんお待ちかねの夕食が届いた様ですよ?」
イヤミたらしい言い方しやがって。
確かに楽しみだけど、そうあからさまに言われるとな。
おばさんが入ってくる。
コタツに箸と漬け物皿を並べ、「どうぞ」と椀を差し出してくれる。
でも……。
「おばさん。夕飯を出していただく身でこんな事言いたくないのですが」
「どうしたの?」
「今日も白い御飯は食べさせていただけないのでしょうか?」
俺の目の前にあるのは汁椀と口直しの沢庵のみ。他には何もない。
「私は出してあげたいんですけど、美鈴ちゃんが『夜遅くに炭水化物摂らせたらだめ』とうるさくて……」
おばさんが申し訳なさそうな顔をしながら、美鈴に目線を投げる。
美鈴は咎める様におばさんを睨み付ける。
「当たり前です。夜遅くに炭水化物摂取するなどダイエットのタブーです。しかもその中には少量とはいえ高GIのジャガイモや人参が入ってるんですから」
GIとはグリセミック指数。
これが高い程インシュリンの分泌が促されるので肥満につながると姉貴から聞いた。
痩せるためにはできるだけ低GIの食品に置き換えるのがいいらしい。
元々は糖尿病の食事療法だったとか。
「だからって汁物だけってのはあまりにも味気ないだろう」
昨日まではそれでも雑穀の入った雑炊やらリゾットやらだった。
今日は遂に雑穀すら抜かれた。
「どうしても食べたいってなら白飯を出してあげてもいいですよ。その代わりここから小町さん宅まで時速七キロをキープした速歩で帰っていただきますからね?」
冬真っ直中の凍える夜道でそれは嫌すぎる。
しかも妙に具体的な数字まで。
この時間だとバスの運行も終わってるから、普段は車で送ってもらっている。
「……わかったよ、我慢するよ」
美鈴が「いただきます」と告げてから椀を手にする。
「そうそう。僕も母も小町さんに付き合って夜は白飯抜いてるんですから」
おばさんも同じく「いただきます」と告げてから椀を手にする。
「少ない御飯でも三人で食べればお腹いっぱいになろうというものじゃないですか」
確かになあ。
会話しながらの食事は美味しく感じられるし、その分お腹が満たされた気になる。
また理屈的にも、会話分だけ食事時間が必然的に増える。
つまりゆっくり食べる事につながるから、少量でも満腹感を得やすくなる。
結論としてダイエットに効果があるのは間違いない。
でも二人まで俺の粗食に付き合う必要はないと思う。
むしろこの親子二人の方が痩せて綺麗になってきてる様に見えるのは気のせいだろうか。
そこは穿ちすぎで、恐らく目の前で範を示すというやつなのだろうが。
美味しいのは美味しいんだけどなあ。
体も温まるし。
──ん? 温まる?
「おばさん、一つお願いがあるのですが」