13/07/13(1)自宅:まあ……えっと……そんなとこ、なの……かも?
先日の約束通り、有楽町で焼肉。
やっぱみんなで食べる焼肉は美味しいなあ。
ほくほく顔で退店して二次会のカラオケまで堪能。
音痴だから普段は行くのが嫌だけど、楽しい時は何をやっても楽しい。
我ながら姉貴並みの単純さだ。
終電までとことん遊びつくしてお開き。
そして只今、我が愛するアパートが見えてきた。
ああ、宮島荘よ!
小町は帰ってきたぞ!
階段を上ると、DKから明かりが漏れていた。
姉貴がDKにいるのか。
いつもなら自室でマッシュ三昧の時間のはずだが……。
そういえば今晩は役所の若手同士で飲み会って言ってたっけ。
姉貴の方も帰り遅かったのかな?
玄関を開けて忍び足。
DKに入ると、姉貴が座卓でタバコを吸っていた。
「ただいま」
夜も遅いので声を潜める。
「おかえり」
返事はするものの、顔をこちらに向けてこない。
あれ……スーツのまま?
正確にはシャツとパンツ。
上着は脱いでカバンと一緒に側に放ってある。
いつもなら帰宅すればすぐに着替えるのに。
座卓の上は、更に普段見慣れない光景。
氷の入ったロックグラスとアイスペール。
横にはワイルドターキー一二年。
いわゆるバーボンウィスキーのボトルだ。
どうも帰宅してから、ずっと物思いに耽ってるっぽい。
それを示す様に灰皿は山盛り。
吸い殻が座卓の上に溢れてしまっている。
テレビは点けっぱなし。
でも恐らく見てはいないだろう。
端から見れば、ただの自分に酔った厨二野郎。
しかしこういう時の姉貴こそ大真面目。
決して茶化してはいけない。
上着を拾ってハンガーに掛ける。
吸い殻も片付けよう。
座卓の上に散らばった吸い殻を拾い、水を掛けてからゴミ箱へ。
洗った灰皿を座卓に差し出す。
「ありがと」
気のない返事。
職場で何かあったのは間違いないだろう。
だけど、到底聞けそうな雰囲気ではない。
うん、そっとしておこう。
俺は部屋に戻ろう。
「小町」
足を踏み出しかけた瞬間、姉貴に呼び止められた。
「どうした?」
姉貴がぼそっと呟く
「役所やめても構わないか?」
何を考えていたのかと思えば。
そんなの姉貴の決める事だろ。
「好きにすればいいんじゃね?」
「お前がいいと言うならそうさせてもらうが」
「うん、いいんじゃ──」
──ない、じゃないいいいいいい!
おい!
今なんて言った?
役所をやめる?
「ええええええええええええ、どうした! 何があった!」
「ようやく私が言ってる事に気づいたか」
こくこくと頷く。
あまりの発言に脳がびっくりして内容をスルーしてしまったっぽい。
姉貴が俺の分のロックを作り、差し出してきた。
ターキーはストレートとよく言うが、俺達姉弟は冷たい方がまろやかで飲みやすくなるからロック派なのだ。
「まずこれを飲んで落ち着け。飲んだら話を進めるぞ」
姉貴が目を見据えてきた。
「もしかして俺のせい?」
話の前に、これは一応確認させてもらっておこう。
しかし姉貴は首を傾げる。
「何故?」
「姉貴の仕事邪魔したし、きつく言っちゃったし」
「ああ、関係ないよ。だけど一方でお前が『うん』と言おうと言うまいと私の心は決まっている。その上で話だけは聞いて欲しい」
「わかった」
覚悟を決めるため、ターキーに口をつける。
姉貴は一旦決めたら引かない。
それに伊達や酔狂でこんな事を言うわけがない。
姉貴なりに考えた上での決断なのだろう。
それなら俺は聞くしかできない。
姉貴が訥々と話し始める。
「正確には役所を辞める事になるかもしれないというのが正しい。私は月曜日、辞表を持って本庁に行く。アメリカ大使館と本庁復帰の内示を覆し、このまま横浜に残るために」
「ええええええええええええええええええええええええええ んがんぐ」
役所を辞めるってより、その方が驚いた。
「夜中だしやかましいから黙れ」
姉貴が俺の口を抑える。
しかし役所の事なぞ知らない俺でも、姉貴が無茶な事をしようとしてるのはわかる。
漫画だと辞令断った人が窓際で新聞読んでるストーリーはざらだし、特に霞ヶ関って人事には絶対服従って聞いた気がする。
姉貴が手を外してくれた。
今度はこちらから問う番だ。
「どうしてだ? まず、そこから聞かせてもらおうじゃないか」
「みつきさん──」
姉貴が言いかけて止まる。
金魚みたいに口をぱくぱくさせてる。
言えないというよりどう話したらいいか言いよどんでるって感じだ。
ようやく考えがまとまったのか。
姉貴はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「みつきさんに私がねぎって明かした」
「うん」
「私は横浜に行ってから腐ったみつきさんを立ち直らせるため、左遷されたみつきさんを本庁に戻してあげるため、ただそれだけを考えてきた」
「うん」
「もし、みつきさんが自らの愚かさに気づくなら、その時は動ける様に種を蒔いて。もし気づけなくても……そんな考えたくない場合でも……私がみつきさんに本庁への手土産を渡せる様、別途動いて」
「うん」
「幸い、みつきさんは自ら立ち直ってくれた。私の蒔いた種を足掛かりに、本庁に戻るための足掛かりを作ってくれた」
「うん」
「そしてみつきさんからは……『お前からもらった手柄なんかいらない』って言われた。『俺の道は全部俺が切り開く』って……」
「それってひどくないか! んがむぐ」
手の平で口を塞がれる。
そして姉貴は目を伏せ、ふるふると首を振った。
「それでこそ私のみつきさんなんだ。『自分の力で勝ち取った結果こそが自慢に値する』、それが私達二人の矜恃なんだから──」
姉貴がゆっくり手の平を話す。
「──それはネトゲであろうと仕事であろうと同じ。ようやく私はみつきさんとリアルで会えたと思えた。横浜に来た甲斐があったって心から思ったよ」
姉貴の目は潤んでいる。
その時の事を思い出したのか。
「なら良かったじゃないか」
何にせよ、横浜へ行った目的は達成したってことだし。
しかし、一息置くと姉貴は更に言葉を続けた。
「その後、『お前には絶対負けない』って言われた」
「へ?」
ついすっとんきょうな声をあげてしまった。
話の腰を折りたくないので変な相槌を打ちたくはない。
だけど話が全く見えないのだからしかたない。
「『ねぎだろうと観音だろうと絶対に俺が勝ってやる』って言ってくれた」
言って……「くれた」?
「すまん。腰を折って悪いが、それは『好き』って言ってもらったのと同じなんかな?」
姉貴が顎を指で触れ、目線を上にやる。
「まあ……えっと……そんなとこ、なの……かも?」
マジですか?
「よかったじゃんか。じゃ、付き合うってことになったの?」
「そんな一足飛びにいくか。ただ……まあ……その……」
「よくわかんないけどわかった」
まずはアメリカ行きを何とかしなければだよな。
さすがにこんな状況になれば、姉貴だって傍にいたいのは当然だろうし。
姉貴はこくりと頷いて続ける。
「それに上司としても部下を放り投げて行きたくない。もし私が本庁に戻ったら──」
言葉を溜める。
同時に顔も素に戻る。
恐らく口にしたくない台詞なのだろう。
「──みつきさんの仕事は絶対に失敗する」
えっ?
「だって成功したって、さっき言ったじゃん」
「本庁に戻りたければ戻れる程度にはな。でも本当の意味で成功したわけじゃない。仕事を完遂させるにはまだ先があるし、残念ながらここから先はみつきさん一人じゃ無理」
「なんで?」
姉貴が吐き捨てる様に言い放つ。
「周囲が潰す。それを押さえ込むにも、みつきさんは甘ちゃんすぎる」
言葉とともに、一瞬だけ姉貴の目から感情が消えた気がした。
まるで心の無い瞳。
しかし瞬きすると、そこにはいつもの姉貴がいた。
笑いながら酒を勧めてくる。
「具体的に話す前に酒を空けてしまおう。何と言ってもただ酒は美味い」
「どっからもらってきたの?」
姉貴がマドラーを掻き混ぜながら答える。
「ターキーなんだからどこぞの味覚音痴の国に決まってるだろ。酒だけは美味しいの作れるんだから、お土産は全部酒にしてくれればいいんだ」
「どこぞの国が全員味覚音痴ってわけじゃないだろう」
「全員だよ」
きっぱり言い切りやがった。
「どこぞの国にだって美味しい御馳走くらいあるだろう」
「どこぞの国の御馳走というのは、ばさばさで味のしないステーキか? やたらもそもそするポタージュスープか? 甘ったるすぎて歯が痛くなる様なアイスクリームか? パーティーで供されるコース料理だと、まさに出てくる物の全てが地獄への直行便だぞ?」
「うげ……」
「しかも私は、笑顔で全て平らげなければならないんだ!」
「うげえ……」
姉貴が拳を握りしめる。
「ああ、NOと言える日本人になりたい……」