13/06/23(3)溝の口某焼肉店:美鈴君は観音さんにはめられてるんです!
「ところでさ。美鈴とシノさんってどうなんだろ」
当然美鈴からは、旭さんに話す許可をもらっている。
可能なら協力を頼みたいし。
一連の流れを話し終える。
その瞬間、旭さんが血相を変えた。
「なんてことを~!」
「協力、ダメなのかな?」
「そこじゃありません! このままだと、とんでもないことになります!」
なんだなんだ?
語尾も伸びてないし。
明らかに動転している。
「まずは落ち着こうよ」
「落ち着いてなんていられません! 美鈴君は観音さんにはめられてるんです!」
へ?
「どういうこと?」
「えーっと、よろしいでしょうか?」
「うん」
旭さんがコホンと咳払いする。
「シノさんはデブ専なんかじゃありません~。観音さんもそれは知ってます~」
ええっ!
知らないし聞いてないぞ、そんなこと!
しかし俺がどこまで知っていることになってるのか、旭さんに対しては曖昧。
ここは丁寧に話を進めなければ。
「一つずつ確認させてもらっていいかな?」
「どうぞ~」
旭さんはいつの間にか、いつもの話し方に戻っていた。
「シノさんは弥生さんを好き。これは間違いないよね?」
「先日コスプレ居酒屋で見たまんまです~。職場でうっかり告白しちゃってからは、全身で好き好きオーラを放ってます~」
「その告白の時に『デブが好き』って言ってたって姉貴から聞いたんだけど」
「その後のことは聞いてないんですか~?」
その後のことがどのことを指してるのかわからない。
首を振って無言でやりすごす。
「実はゴールデンウィークに弥生さんの妹さんが職場に来まして~、それでシノさんと喧嘩になっちゃったんです~」
「うんうん」
そういえば皆実が来たとか言ってたよな。
「妹さん」という表現は、俺が皆実を知らないことになってるからか。
「それでシノさん、妹さんにやりこめられちゃいまして~、実はデブ専でも何でもないことをバラされた挙げ句に泣かされちゃいまして~」
「ぶっ!」
「妹さんのあの様は小姑なんてものじゃありませんでした~。『うちの目が黒い内は、絶対あなたに流川家の敷居を跨がせない!』とまで言い放ちましたから~」
ひ、ひ、ひでえ……。
皆実、お前はなんてことを……。
ん?
「ということは……」
「今話した通りです~。シノさんはデブ専でも何でもありません~。お二人は観音さんに騙されたんです~」
「なんてこった……」
「しかもですね~」
「まだ続くの?」
旭さんがこくりと頷く。
「単に今回ウソをついただけじゃなく、観音さんはあえてお二人にずっと黙ってたフシがあります~」
「どういうこと?」
「シノさんがデブ専という話を話しておいて、それが発覚したのに話さないってことも普通はないでしょう~」
「ああ……」
言われてみれば。
確かに変だ。
「きっと観音さんは、いずれ二人のどちらかをやりこめるネタに使えないかととっておいたんじゃないでしょうか~。まさかこういう形で図に当たるとは思ってなかったかもしれませんが~」
「ひどい! 美鈴はともかく、実の弟相手にそこまでやるか!」
「だってそれが観音さんですから~」
家族以外からそんなこと言われると涙が出てくる。
でもそういえば……正月のときもそうだった。
美鈴と共謀して麻雀で俺をハメてくれたっけか。
やってることはあれと全く変わらない。
「納得した。でも、姉貴はなんだってそんなことを」
さすがの姉貴も皆実ほど趣味は悪くない。
単に「面白い」だけじゃ、こんなことはしない。
「そこなんですけど……美鈴君、何か観音さんの恨みを買う様な事しませんでしたか~?」
「恨み?」
「観音さんの性格からすると報復じゃないかなあと~」
「俺が姉貴を怒らせたことじゃなく?」
「それなら矛先は美鈴君じゃなく、小町さんに向かいます~」
「それもそうか」
「それに観音さんは、締めるべきところは締めます~。そんな洒落にならない事では絶対根に持ちません~。その代わりつまらない事だと、いつまでも根に持ちます~」
「なるほど……」
言われてみれば確かにそうだ。
「シノさんが温泉の件で根に持たれた時もそうですけど、観音さんが根に持つときは何らかの兆候があるはずです~。何か心当たりはありませんか~?」
「うーん、心当たりなあ」
「何でもいいんです~。観音さんと美鈴君が話してて観音さんの態度に変化があった場面ってありませんでしたか~?」
美鈴の会話を思い返してみる。
──あ、もしかしてこれ?
でもまさかなあ。
「あるにはあった。でも、つまらないにも程があると思うんだけど」
「話してください~」
「姉貴がボケようとして美鈴が先にオチを言っちゃった時にムッとした表情見せた」
「それです~。間違いないです~。その報復に、美鈴君をデブらせて笑い者にしようとしてるんです~」
旭さんは自信たっぷり。
でも、ちょっと待て。
「そんな些細な事でそこまで根に持つ?」
「観音さんは仕事が絡まなければ人が変わります~。どこまでも器小さいです~。どこまでも根に持ちます~。どこまでも困ったちゃんです~」
確かにそうなんだけど……。
そんな姉貴を持ってしまった我が身が哀しい。
「でも、それでデブらせるまでするだろうか?」
ふっ、と旭さんが冷ややかに笑う。
「観音さんならやります~。きっと三キロほど太ったところで目論見をばらして『ざまあ』するんです~。美鈴君は自分に絶対の自信を持ってます~。三キロ太らされただけでなく手玉にとられてしまったとなれば、きっと地の底まで落ち込みます~。その一方で、美鈴君なら三キロ程度はすぐに落とせるでしょうから、まだ洒落になる範囲です~」
また具体的な。
これが当たってるなら姉貴は悪魔だ。
そうか。
姉貴が昨晩寝る前に見せた朗らかな笑顔。
あれは俺に向けたものじゃない。
目論見がうまくいったという嗜虐の笑みだったんだ。
そして、それを読める旭さんも正直怖い。
まさかこれも旭チェックの能力ゆえか。
……とにかくだ。
「どうしよう?」
「美鈴君をここに呼べますか~?」
「美鈴を?」
「こうした話はメールや電話より、直接話した方がいいですし~。私が双方のカドを立てない様に言いくるめます~」
「いいの?」
旭さんが頷く。
「実は庁内でも『シノさんはデブ専』という噂だけが先行して広まってまして~。シノさんの追っかけ達全員、我先にデブろうと躍起になってるんです~」
「ぶっ」
「曲がった噂のせいでこれ以上目に優しくない人達が増えるのはゴメンです~。ましてや、美鈴君は旭チェックを通過した美少女。これは私のためでもあるのです~」
「少女」じゃないんだけどな。
腕時計を見る。
二〇時三〇分か。
ちょうどバイト終わって、イブ銀を出た頃だな。
スマホのスピーカーをオンにしてから電話。
美鈴はすぐに出た。
「もしもし、美鈴? 小町だけど」
〔どうしたんですか? 今、小町さんの家へ向かおうとしてたところなんですけど〕
「俺の家?」
〔観音さんが「特製メニューを作って待ってるから」って〕
遅かったか。
俺の寝てる間に姉貴は着々とプランを進めてるらしかった。
「うちには近づくな!」と叫びたいところだが、ここは穏便に事を進めなければ。
俺達が美鈴を止めた事が姉貴にばれたら、今度はこちらに矛先が向く。
どうするか。
そう思ったところで、旭さんが手をツンツンつついてきた。
続いて自らを指さす。
「私に任せてください~」ということらしい。
「美鈴君、こんばんわ~。旭です~」
〔旭さん?〕
「はい~。今、小町さんと一緒に溝の口で焼肉食べてたところなんです~。それで、よろしければなんですけど、美鈴君も一緒にいかがかなあと思いまして~」
〔すみません、今晩は観音さんと先約があるものでして。それに、そんなところに僕が顔を出すわけには〕
俺だって事情が事情でなければ「来るな」って叫びたいよ。
「いえ、実はシノさんの件を小町さんから伺いまして~。もし美鈴君さえよければ、もっと詳しくお話させてもらえないかなあと~」
〔お話?〕
「私は庁内でシノさんファンクラブ『イーストクラウド』を率いてます~。きっと美鈴君のお役に立てると思うんですけど~」
〔行きます! 今すぐ行きます!〕
「では店は……」
旭さんが場所を説明して電話を切った。
「これでよしですね~」
「ちなみにイーストクラウドというのは?」
「シノさんの本名は比治山東雲。東に雲で『しののめ』、それじゃ呼びづらいから『シノ』なんです~」
そうだったのか。
すっかりシノが本名なのかと。
ものすごくどうでもいいけど。
「ありがと。何から何まで」
旭さんは首を振った。
「むしろ、ごめんなさいです~」
「ん?」
旭さんは気まずそうな顔。
「自分から食事に誘っておいて、他の男性交える形になって~」
「それはさすがに違うかと。今回は美鈴のためだし」
しかし旭さんは首を振る。
「わかっていても自分で納得できないんです~。マナー違反には変わりありませんので~」
難しいものだなあ……。
「じゃあ今度は俺から誘う。その時『うん』と言ってくれたら、それでいいよ」
「はい~、その時は是非是非『うん』と言わせてもらいます~」
旭さんの顔が華やいだ。
これで正解だったか。
「じゃあ美鈴を待とうか」
「では美鈴君の食べる分を取り分けちゃいますね~」
本話のゴールデンウィークの出来事について詳しく知りたい方は「キノコ煮込みに秘密のスパイスを 13/05/01(3) 横浜喫煙室:あなたがデブ専のシノさんですか」を御参照ください。
また「キノコ煮込みに秘密のスパイスを 番外編集 13/06/06:マルセ神奈川県本部前~シノ視点」でシノの心情を直接描いています。