13/06/22(3)自宅:ないすぼおと
御飯が炊きあがるまで一休み。
美鈴が姉貴に昨日の話をする。
つまりはシノさんの話題。
聞き終えた姉貴が一言放った。
「美鈴ってババ専?」
姉貴が信じられないものを見る様な目を美鈴に向ける。
でも、その機会を作ったのはお前だろうが。
「シノさんって姉貴より若いぞ?」
「私は七歳だと言ってるだろうが。それに精神年齢はシノの方がババアだ」
姉貴が幼児頭脳なだけじゃないか、とは口が裂けても言えない。
「愛があれば年の差なんて!」
美鈴が拳を握りしめる。
だけどお前のそういうポーズはつくづく似合わない。
姉貴が冷ややかな目で美鈴に問う。
「美鈴のタイプは私じゃなかったのか? 私とシノは全く顔が違うぞ?」
お前は本人を目の前にして、そういう無神経な事を言うか。
「あんな綺麗な女性の前でタイプ云々言う方が失礼です」
「ほう、その論理で言うと私はシノよりも劣るということになるな。タイプですら好きにならなかった私と、タイプが異なっても好きになったシノ。この二人の間には女性として、決して埋められない差があるということになるよな?」
姉貴が自嘲する。
その内面はいじけまくってるに違いない。
相変わらず面倒くさい。
「そんな、もちろん観音さんもシノさんと同じくらい綺麗です」
美鈴が慌ててフォローする。
美鈴からすれば本音もあるだろう。
でも俺の目には、更に面倒くさくなるのがわかってるから、慌てて逃げようとしている様にしか映らない。
「美鈴、無理すんな。どう考えても姉貴よりシノさんの方が上だ──ぐぶっ」
言った瞬間、ボディに一撃を食らった。
「殴るなよ! 反省したんじゃないのかよ!」
「顔はだめだが腹はいいんだ。古来からの格言に言うじゃないか。『顔はやばいからボディーにしろ』と」
「姉貴はどこの田舎ヤンキーだ!」
格言じゃないし、意味も違うだろ!
「ふん、私がシノより優れているのは自覚している。かと言って美鈴に告白されても受け入れられない。仕方ないから同じ顔の小町を代わりに差し出して、私の自尊心だけは満足させようと思ったのに」
「最低だな」
大体シノさんより優れてるっていうなら、どうして姉貴は人気で負けてるんだよ。
まずはそこから説明してみろ。
ああ、もちろん聞く気はないけどな。
「それに年齢差がありすぎるのも辛いぞ。一つの話をしてやろう」
「どうせまた長ったらしい嘘八百のつまんない話なんだからやめろよ」
「その昔だな……」
スルーして話し始めやがった。
「平安の世、とある大臣の家にそれはそれは綺麗な娘が産まれたそうな。その娘は時の春宮妃、今で言う皇太子妃となり、春宮との間で一女をもうけたのだが春宮はおなくなりになってしまったそうな。やがては皇后としての地位が約束されていた美貌溢れる賢明で誇り高く貞淑な女性を世の男性がほっとくわけもなく、当時麗しき美少年で名を馳せたとある貴族が熱心に言い寄り、ついに彼女を落としたのじゃ。しかし、その二人は七歳離れておった。年上であることに引け目を感じる元春宮妃は美少年貴族を拘束しようとするも、彼はその締め付けに疲れて別のはかなげでたおやかな女性に惹かれて元春宮妃の元から離れていってしまったのじゃ──」
「はあ……」
美鈴が話を遮るかの様に溜息をついた。
そして、やれやれとばかりに首を振りつつ続ける。
「それって六条御息所じゃないですか。源氏物語の。観音さんはシノさんが嫉妬に狂った生霊とでも言いたいんですか?」
あーあ、オチを先に言っちゃった。
しかも話を遮ってまで。
案の定、姉貴はムッとした表情。
きっと「嘘八百以外でも長ったらしい話ができるんだぞ」ってドヤ顔したかったに違いないのに。
しかし、姉貴はすぐに表情を戻した。
そしていかにも気にしない振りをしながら、再び話し始める。
「──しかし、その美少年貴族が逃げ込んだはかなげでたおやかな女性は、実は計算高くしたたかで現代に言う『びっち』だったのじゃ。元春宮妃から美少年貴族を奪うために好みの女を演じただけで、実の姿は気性が激しく独占欲の強い女じゃった。一方、美少年貴族の本性は度を超えた『まざこん』じゃった。真なる本命は二人のどちらでもなく母親にそっくりな女性だったんじゃよ──」
微妙に雲行きが怪しくなってきた。
光源氏は母親の幻影を追い続けたわけだからマザコンと言えなくもない。
だけど、夕顔の君がビッチはないだろう。
さすがにひどすぎる。
それとビッチやマザコンを柔らかく発音したところで、外来語は外来語だからな!
源氏物語もどきが姉貴の口から蕩々と語られ続ける。
「ある日、びっちは布団の中で『お母さん』と寝言を言った美少年貴族に激昂し、刀で刺し殺してしまった。そこに偶々びっちから美少年貴族を奪い返そうとした元春宮妃が現れてな。びっちは『この方の稚児を妊んでおります』と春宮妃に言い放ったんじゃ。それを聞いた元春宮妃は『確かめさせて下さい』とびっちを刺し殺し腹をかっさばいたんじゃよ。臓物を手に取った元春宮妃は『中に誰もいませんよ』と表情も変えずに一言残したでな。元春宮妃は美少年貴族の頭を首から切り取り、舟に乗り込んでその頭を愛おしく抱きしめながら『やっと……二人だけですね』とはっぴぃえんどを迎える事ができたのじゃ。それ以来、純愛を遂げた恋物語を『ないすぼおと』と称え賞賛する様になったんじゃよ。ここは試験に出るから覚えておくといいよ」
姉貴のなが~い話がや~っと終わった。
美鈴と視線を合わせる。
俺は姉貴へついっと視線を差し向け、美鈴に合図する。
お前から行け、と。
「紫式部に謝って下さい! それのどこがハッピーエンドですか! 元々は『年齢差があると辛い』って話じゃなかったんですか!」
俺も続く。
「数年前に流行った最終回放映中止を食らったアニメの話にすり替わったかと思えば、最後はやっぱり大嘘じゃねーか!」
この女、美鈴のツッコみで無理矢理話を変えやがった。
「Nice boat」はこの場合「猟奇的エンド」の代名詞だろうが。
「私をシノより下扱いするからだ」
姉貴が手を腹にやって口を開け、息を大きく吸い込む。
「美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね、美鈴死ね!」
……言葉で弾幕を張りやがった。
どこまでも面倒くさい。
肺活量だけは感心するがうざったい。
負けじと美鈴が叫ぶ。
「シノさんをヤンデレ扱いしないで下さい! 観音さんの方がよっぽどヤンデレじゃないですか!」
姉貴はもう、ヤンデレさんというよりヤンデルさんだろ。
「何を言う。私は藤壺の君だ。愛する人を見守りながら秘めた恋を貫く私にぴったりじゃないか。それにお前はシノの本性を知らない」
はあ……。
「姉貴達と違って源氏物語は相思相愛じゃないか。むしろ痩せこけて女としての魅力に欠けるあたりは末摘花だろう。髪だけは綺麗だし──痛い痛い! 頭ぐりぐりしないで!」
「言うに事欠いて何を言う。私の鼻は真っ赤でもないし世間知らずでもないわ」
美鈴が冷ややかな目を姉貴に向ける。
「言うに事欠いてるのは観音さんの方じゃないですか。部下をよくもそれだけ悪し様に言えますね。シノさんの側は観音さんをあんなに慕ってるというのに」
「上司としてはな。女としては違うぞ。あいつからは時々、洒落にならない殺気を感じる。はっきり言うと、美鈴がシノとくっつくのはもちろん嬉しい。しかしそれはみつきさんの恋敵がいなくなるという点よりも私の身の安全を守るという点でな」
「無茶苦茶言ってますね」
「だからと言って具体的な協力は何もできないし、する気もないけどな」
「姉貴、えらく冷たいじゃないか」
「恋愛は当事者同士の問題。下手に第三者が介入すると、マイナスになりこそすれ決してプラスにならん」
「確かにその通りですね」
耳年増な二人がわかった様な事を言う。
この場にいるのは全員が年齢イコール恋人無しだというのに。
「シノが仕事を早くあがれる日とかくらいなら教えてやる。他はシノの趣味嗜好とかだな。それ以外はケースバイケース。せいぜい上司権限で日吉に仕事へ行かせるくらいか」
……十分すぎるほど介入してるじゃないか。
上司権限って何だよ。
「それだけでも十分です。僕も誘いやすくなりますし」
ここで姉貴が腕を組み、右手人差し指を口に当てる。
いかにも何か考えあぐねてる様子。
そして幾ばくかの間の後、重々しそうに口を開いた。
「しかしだな……美鈴がシノを口説くなら、巨大な壁が難関として立ちはだかるぞ」
「何ですか?」
姉貴が少し言いにくそうに口ごもりつつ、美鈴の問いに答えた。
「シノはデブ専。つまりシノ好みになるというのなら、美鈴はデブにならなければいけない──」
美鈴の顔が瞬時に青ざめた。
姉貴は目を伏せ気味にしつつ、言葉をつなぐ。
「──どうする? 引き返すなら今の内だぞ? もちろん美鈴がデブになるというのなら、不本意ではあるが協力してやる。本来ならデブは我が家に出入禁止だが、あえてそれも見逃してやろう」
美鈴が考え込む。
無理もない。
恋をとるか、美に拘る自らの信条をとるか。
美鈴にとっては究極の選択だ。
しかし決心したらしい。
美鈴は弱々しげにぼそりと呟いた。
「やります」
姉貴が座卓をバンと叩く。
「お前の決意はその程度か! シノへの想いはその程度か!」
そして大袈裟な身振り手振りを交え、キメとばかりに美鈴を指さした。
この自分に酔う性格はどうにかならんのか。
見てる方が恥ずかしくなる。
「やります!」
「まだまだあ!」
「太ります! デブって見せます! 誰がみてもピザデブと認めるくらいの、恥ずかしい脂肪の塊になってみせます!」
「良く言った! ならば私も覚悟を決める。その男気を買って、美鈴が理想のピザデブになれるべく全力で応援しようじゃないか」
「はい!」
「その返事やよし! ちょうど御飯も炊けた。まずはカレーで五.五合の白飯を平らげるがよい!」
「はいっ!」
この二人は何かを間違えてる。
そう思いつつも言うべき言葉が思いつかない。
「太るには食べてすぐ寝る事だ。美鈴は今から寝ろ。明日も日中は何も食べるな。夕食だけにしろ。スポーツドリンクだけ飲む事を許してやる」
「はいいいっ!」
「よし。小町、布団を敷いてやれ」
布団を敷き終えると、美鈴は素直にすぐさま寝てしまった。
夕べは夜更かしして遅かったしな。
さあ、俺も寝るべか。
「姉貴、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
朗らかな姉貴の笑み。
昨日のことは許してくれたんだな、と心から実感できる。
明日もバイトは休み。
たまには目覚ましを掛けず、存分に寝ることにしよう。