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13.06/22(1)毘沙門宅:俺いればいいじゃん

「……それで僕の家ですか?」


 美鈴が呆れ顔をしながら布団を敷く。


「夜遅くに転がり込んでごめん」


 時計は既に零時を回っている。

 美鈴だって押しかけられて気分いいわけがない。

 ここは頭を下げないと。


「僕だって共犯なんですから、そこは構いませんけど」


「漫画喫茶に泊まろうとも思ったけど、独りで過ごす気になれなくてさ」


 美鈴にもかかわることだから、早めに話した方がいいと思ったし。


「独りが嫌なら添い寝でもしましょうか?」


 美鈴がくすくすと笑い、ちょうど敷き終えた布団に手を指し示す。


「悪いけど冗談に答える元気はない」


「もう。少しは落ち着きましょうよ」


「落──ち着いてられるわけないだろうが」


 声を荒げかけるも、慌てて小声に。

 ここは夜中の他人様の家だった。

 まずいまずい。


「小声にできるくらいには落ち着けた様ですね。はい寝間着」


 差し出してきたジャージを受け取る。

 美鈴は自分のベッドに腰掛けた。


「ありがと。この顔じゃ明日はバイトにも出られないな」


 着替えてから布団を座布団代わりに座り直す。


 美鈴は既に寝間着。

 ごく普通の白いシルクのパジャマ。

 それなのに、こいつが着ると女性物にしか見えないのは相変わらず。

 ゆったりサイズでだぶついてるせいもあるだろう。


「明日出勤した時に『小町さんは休み』と伝えておきます。明後日も無理でしょうから夏風邪ということで」


「重ね重ねすまん」


「元々小町さんが休むためにバイト入ってるわけだから」


 美鈴がおどけてみせる。


「しかし、どう思うよ? 三発も殴りやがって」


「やりすぎの感はありますけど、小町さんが悪いですよ」


 即座にさらっと返しやがった。


「お前だって同罪なんだから、他人事みたいに言うのは止めてくれ」


「旭さんを乗せた一件については他人事のつもりなんてありません。明日バイトが終わったら観音さんの元に出頭します。それとはまた別の話ですよ」


「どういうこと?」


 美鈴がこほんと咳払いする。


「小町さんにそんな甘ったれた事言われれば観音さんだって殴りたくもなりますよ」


「甘ったれたって、そんなの年下から言われたくない」


「幾つだろうと甘ったれは甘ったれでしょう。小町さんは誰のおかげでK大行けてると思ってるんですか」


「母さん。仮に姉貴が学費出さなくたって、母さんからその分の金はもらってるし」


「捻くれるのはやめましょうよ。小町さんのお母様を説得してくれたのも、小町さんの生活費を出してくれてるのも、全て観音さんじゃないですか」


 この辺りの事情は美鈴に話している。

 しかし、まさか美鈴に説教食らう日が来るとか。


「バイトだってしてるし」


「逆に言えば、土日にバイトするだけで済む生活送れてるのは観音さんのおかげじゃないですか。仕送りゼロで生活費稼ぐために毎日バイトしてる学生なんて、お坊ちゃまだらけのK大でも決して珍しくありませんよ?」


「だからと言って公安庁は腐りすぎてるだろ」


「そんなの多かれ少なかれどこの役所だって同じです。霞ヶ関には、もっとひどい話がいくらでもあります。あえて言うなら腐ってるのは日本の社会であり官僚システムです」


「そこまで大上段に構えられても」


「僕が言いたいのは、大人はその中で必死に現実と向き合って生きているって事ですよ」


「お前ほど世の中なめきった奴に言われたくねーよ」


 美鈴の目が険しくなる。


「世の中をなめても大人をなめた事はないつもりですけどね──」


 そして語気を強めた。


「──少なくとも僕は父やその職場をバカにしたことありませんよ。会計検査院が弱小官庁だの、財務省の植民地だの、他官庁からの圧力や横槍でまともな検査ができないだの、色んな話を聞こうとも」


「だからって──」


 美鈴が反論させないとばかりに続けてきた。


「観音さんが小町さんには役所の事話さないみたいですから僕が話すのもどうかとは思います。だけど、それでも、あえて言わせてもらえますか?」


「うん」


 えらい大仰な前置きだな。


「公安庁の現場が腐ってるのは事実ですよ。閉鎖的な役所で内実は殆ど知られる事はないからやりたい放題。スパイ工作なんて労多くして成功の見込みの無い仕事だから誰もが言い訳つけてさぼる。他の職員が成功しそうになれば足を引っ張るのなんて当たり前。それも直属の上司が『おたくの○○が公安庁の○○と○時に○○で会う』と敵対組織に電話をかけるのだからどうしようもない。特に関東局は『魑魅魍魎の住まう世界』とまで呼ばれ本庁すら手を出せない有様ですって」


 ……何それ。


「組織として機能してないじゃん。税金返せどころじゃないぞ」


 命綱がないどころか、つけてても外される様な環境でスパイ工作とか。

 俺なら絶対やりたくない。

 むしろそんなのやる奴いるのかよ。


「そんな中でも観音さんは腐らずに真面目に働いて抜けた実績をあげてるんですよ。観音さんが小町さんにこんな事を愚痴った事あります?」


「……ない」


 せいぜいみつきさんがダブルスパイの言いがかりをつけられたって話くらいか。

 今聞いた話に比べると、これすらまだまともな気すらする。


「どんなに職場でストレスがかかっても、小町さんにそんな生臭い話を聞かせたくないんですよ。それだけ観音さんって小町さんが可愛いんじゃないですか」


 そこまで言われると黙り込むしかないじゃないか。


 ……ん? でも何かおかしくない?


「美鈴」


「何でしょう?」


「なぜお前がそんな話を知ってる?」


 美鈴にしては珍しく言い淀む。


「巨大掲示板を読んで……」


「役所内の事情についてはそうかもしれない。だけどさすがに、姉貴の職場の成績までは知りようないだろう」


 一息吸い込んでから続ける。


「そして姉貴が本当に職場で活躍してるなら、姉貴は絶対に自分の口から言わない。それは俺にも、お前にも、その他の人にも」


 なぜなら姉貴はそういう人だから。


「えーと」


 美鈴が目線をそらす。

 気まずそうな、言いにくそうな。


「さっさと言え。ここまで喋って隠すこともないだろうが」


「……シノさんです」


「はい?」


 いや、姉貴でも旭さんでもなければシノさんか都さんしか考えられないのだが。

 その都さんも美鈴に話すくらいなら俺にも話してるだろう。

 だからシノさんしかいないのだが。

 それでもまさか本当にシノさんの名前が出てくるとは思わなかった。


「実は野球観戦の時にメアドを交換しまして」


「なぜ?」


「『なぜ?』はないでしょう」


「じゃあどうして?」


「『どうして?』はないでしょう」


 イラっとしてきた。

 大声は出せないので、声のトーンを下げる。


「ちゃっちゃと言え。ちゃんと聞いてやるから」


「あんなお姉さんがいたらなあ、って思っただけです。だから、僕からお願いして……」


 美鈴が照れくさそうにはにかむ。


 驚いた。

 シノさんからメアドを聞き出した事よりも、美鈴がこんな表情を見せる事に。

 間違いなく恋する乙女、いや男の表情。


「やるなあ」


 思わず茶化したくなった。


「いや、そんなんじゃないです。本当に」


 ぶんぶん両手を振って否定する。


「そうだよな。シノさんはみつきさんが好きなわけだし」


「……そうなんですよね」


 美鈴の表情を暗くなる。

 思い切り「そんなん」じゃないか。


「でも!」


 美鈴が顔を上げて言い放つ。


「やってみないと何も始まらないじゃないですか。僕は『シノさんが幸せならそれでいい』などと言うつもりはありません。こうなったら何が何でも観音さんとみつきさんをくっつけます!」


「しーっ!」


 気勢をそぐのは申し訳ないが、夜中だ。

 人差し指を口につける。


「あ……」


「そうか。姉貴もそれは喜ぶだろうな」


「そうあってほしいですね」


 まさか姉貴の冗談半分の目論見が本当に実現しようとは。

 これを聞いて一番驚くのは姉貴じゃなかろうか。


 とは言え、姉貴に話していいものなのかな?

 確認しておこう。


「姉貴には言っちゃっていいの?」


「いいですよ。特に内緒にし合ってるって話じゃないですし、僕が黙っててもシノさんがその内言っちゃう可能性がありますから」


 美鈴はつまらなさそうな顔。

 そうだよなあ。

 好きな人となら秘密って共有したいだろうしなあ。


 さらに美鈴は自らに追い打ちをかける。


「何よりシノさんは……みつきさんに夢中ですし……」


 全否定してやりたくともできない。

 ここは目先を変えよう。


「そもそも年齢差ありすぎだしなあ。シノさんっていくつ?」


「二七歳です」


 姉貴の二つ下か。

 一回り近く違うじゃないか。

 どう考えても美鈴が相手にされるわけないのだが、決して口には出せない。


 これがラノベだと、アラサー女性キャラは大抵「結婚したい」と騒ぐ女教師。

 むしろ向こうから飛びついてくるだろうが。

 ラノベを読む度にいつも思う。

 リアルで美人には彼氏がすぐ見つかるのに、なぜラノベでは見つからないのだろうか。

 姉貴だって、人格があれだけ破綻したるくせして、求愛自体は引く手あまた。

 モテすらしないのはありえないと思うのだが。


「デートとかしたの?」


「デートって程じゃないですけど、一回だけ食事とお酒に」


 それは普通デートって言うだろ。

 ま、そこはいいや。


「シノさんもお前にそんな事話してまずくね?」


「観音さんの話はともかく、本当にそれ以外はネットにも転がってる話ですって。それこそマスコミがどうして報じないのかわからないレベルで」


 そんな話がごろごろ転がってしまってる時点で、姉貴の職場が終わってるのは理解した。


 もう職場の話はいいや。

 美鈴に光を与えるべく目先を変えよう。 


「シノさんは、どうしてお前に愚痴るんだろうな?」


 それは美鈴が頼りがいあるからだよ、と遠回しに言ってやる。

 しかし、それは思わぬ答えで全否定された。


「僕は小町さんしか友達と呼べる人いませんから。悲しい事に観音さんもシノさんにそう言ってたらしくて」


 美鈴が自虐気味に目を伏せる。

 あのバカ姉貴が。


「まあ、その、なんだ」


「ん?」


「俺いればいいじゃん」


 そう言いたくなってしまった。


「そうですね」


 美鈴が微笑む。

 が、すぐ神妙な顔に切り替わった。


「それで観音さんの事ですけど……」


「もういいよ。お前とシノさんの話聞いてる内に、ムカついてるのも馬鹿馬鹿しくなってきた。明日の夜には帰宅して姉貴に謝る」


 姉貴が俺に怒るのは俺を大切に思ってくれるからゆえ。

 殴られようとなんだろうとそれは認めなければいけない。

 やりすぎとはやっぱり思う。

 だけど、俺が悪いのは事実だ。


「それがいいです。僕もバイト終わり次第、小町さんの家に出頭します」


「また二人で土下座するべさ、おやすみ」


「そうしましょうべさ、おやすみなさい」


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