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13/06/01(1) 神宮球場:そうなんだけどスルーさせてくれないのが観音さんなんだよね

「あの、観音さん」


 俺と同じくらいの身長の女性が、澄み渡った響きある声で姉貴に問いかける。


「なんだ?」


「なんで私はこんなところで行列に並んでるんですか?」


 ここは神宮球場。

 六大学野球の最終戦K大対W大の、一般席チケットを求める行列の中。


 問いを発している女性を見ながら俺も思う。

 なんでこの人がいるんだろう。


「私が誘ったからに決まってるだろ?」


「そんな事はわかってます。なんで私が休日の朝からこんな行列に並んでいるのかと聞いているんです」


「都を誘ったら『なんでどちらのOBでもない私がそんなの観に行かなければならないの』と断られたからだ。お前は無関係じゃないだろうが」


「ああそうですか。そうですね。私はW大卒ですから無関係じゃないですね。そのW大卒の部下を騙してK大側で観戦に付き合わせるのはパワハラとか言わないんですかね」


「騙すなんて人聞きの悪い。誘ったら喜んで『行きます!』って叫んだじゃないか」


「それは『弥生も来るぞ』って聞いたからです! 弥生は一体どこなんですか!」


 姉貴が、ちっちと人差し指を振る。


「シノ。情報機関の職員たるもの、言葉は正しく理解しないといけない。私は『弥生もK大だし』と言っただけで、誘うとも来るとも言った覚えはない」


 そう、俺の目の前にいる女性はシノさん。

 姉貴の部下の魔乳美女。

 同時にみつきさんを巡る姉貴の恋敵。

 シノさんの方は知る由もないが。


 しかし姉貴の言葉は絶対ウソだ。

 「K大だし」の前後には「誘う」とか「来る」という言葉を並べたに違いない。

 だって姉貴はそういうヤツだから。


 しかし姉貴もろくな事をしない。

 だってこれ、巨人ファンの人を阪神側応援席に連れてきたようなもの。

 しかも来ると思っていたみつきさんまでいない。

 そりゃシノさんも怒るわ。

 もうこんな女に絡んでしまった我が身の不運を呪ってもらうしかない。


「弥生を驚かせようと重箱いっぱいにお弁当作ってきたのに……」


 シノさんががっくりとうな垂れている。

 おっぱいも一緒にうな垂れている。


 この大きな包みはお弁当だったのか。

 そうだろうとは思いつつも本当にそうだとは思わなかった。

 だってそのくらいに気合が入ってる大きさだもの。


 でもシノさんにも聞きたい。

 どうして何故みつきさんに一言確認しなかったのか。

 驚かせるにしても本人いないと意味ないだろ。


「別に弁当を作らせるためにシノを呼んだわけじゃないから安心しろ。決して私がお弁当を作れないからというわけではない」


「自分がお弁当を作れないから私を呼んだ様にしか聞こえませんけどね!」


 姉貴って職場では料理できないことにしてるらしいからなあ。

 まあ、いかにも干物女っぽいイメージだし。

 平たく言えば弁当云々は口実。

 きっと、単にシノさんと遊びたかっただけだ。


 そろそろ止めよう。

 そうでなくても周囲の男全員シノさんに注目してるのに。

 恥ずかしくて仕方ない。


 シノさんの腕をちょいちょいとつつき、ひそひそと話しかける。


「初めまして。そしてごめんなさい。あれは姉貴なりの照れ隠しなんです。普通にシノさんを誘いたかったんでしょうけど恥ずかしかったんですよ」


 シノさんが俺の耳に顔を近づけてきた。

 うわぁ、いい匂い。

 清潔感ある石鹸っぽい香りがする。

 これがクロエ・オードパルファムか。


「小町君初めまして。大丈夫だよ。観音さんの事はわかってるし慣れてるから。私も本気で怒ってるわけじゃないから安心して──」


 小さいながらも透き通る、優しげな声。

 安心して頷くと、シノさんが更に続ける。


「──ただ、わかってはいるけどさ。慣れてもいるけどさ。色々と湧き上がる感情はそれとはまた別の話でね……」


 やっぱそうだよなあ。


「姉貴は基本構ってちゃんのレス乞食。スルーするのが付き合うコツですよ」


「そうなんだけどスルーさせてくれないのが観音さんなんだよね」


 そこで姉貴が俺達に向かって一言。


「何だよ。そこの二人くっついて。『若い』っていいよなあ。仲良くなるのも早くて」


 このクソ姉貴……。


 気づくと拳を握りしめてしまっていた。

 シノさんを見る。

 ぷるぷる震えている。


 なるほど、確かにスルーさせてくれない言動だ。

 どうして次から次へツッコみたくなる台詞を思いつく。

 これもぼっちマスターゆえの才能か?


「シノさん、ツッコんじゃ負けですよ」


 「若い」を強調してる辺り、「観音さんこそ『若い』ですよ」って言ってもらいたいに違いない。

 ここにツッコんだら俺達の完全敗北だ。


「うん、わかってる。任せて」


 姉貴はいかにも物欲しそうな目つきで俺達を見つめている。

 シノさんはついっと目をそらし、美鈴に話しかける。


「美鈴君? 初めまして比治山東雲です。今日はよろしく」


「毘沙門美鈴です。よろしくお願いします。僕も『シノさん』でいいですか?」


 シノさんが優しげに目を細める。


「うん。みんなそう呼んでるし、美鈴君もそうしてくれると嬉しいな」


「噂には聞いてましたけど……シノさんって本当にお綺麗ですね。見とれてしまいます」


 美鈴は俺と違って噂ではなく、実物を見てるわけだが。

 その場所が姉貴に監視させられた瀬田温泉。

 口にするわけにはいくまい。

 瀬田温泉でもそうだったけど、美鈴にしては珍しく興味を惹かれてる様子。

 シノさんの容姿は本心で認めているのが見て取れる。


「美鈴君こそ可愛い。男性には見えないし同性でもここまでの人はそう見ない──」


 シノさんが手で自らの口を抑える。

 「しまった」と自らの失敗に気づくがごとく。

 男に対しては必ずしも褒め言葉にならない事に気づいたのだろう。


「──って、そんな事言っちゃっていいのかな?」


 恐る恐る申し訳なさそうにつけ加え、美鈴に確認する。


「大丈夫ですよ。素直に褒め言葉としていただきますので」


 美鈴が邪気のない笑みを浮かべる。

 これは多分本当に気にしていない。


 それどころかむしろ驚きだ。

 初対面のみんなが真っ先に見せるのは好奇の目。

 俺も美鈴も「仕方ない」と割り切っちゃいるが、イラっとするのもまた事実。

 そこを気遣ってもらったなんて初めての経験だもの。


 一方は冷酷顔の構ってちゃんのぼっちマスター。

 一方は超美人の魔乳の気遣い上手。

 どう見ても姉貴に勝ち目ありませんが……。


「でも美鈴君って一年生だよね。だったら一般席より学生席で観た方がよくない?」


「いいんです。別に僕、愛校心なんて欠片もないですから」


 もともとは俺と美鈴で来るはずだった。

 美鈴が「一回くらいは話のタネに観ておきたいから」と。

 そこに姉貴がくっついてきて、さらにシノさんまで巻き添えになったわけだが……。

 一般席なのは美鈴の意向。

 騒々しいのがイヤだからという理由だけど、愛校心がないというのも本当だろう。

 だってK大選んだ理由は俺がいるからってだけだし。


「そっか。私も愛校心という程のものはないけど──」


「シノ、愛校心無いならK大側で見たって文句ないだろうが」


 姉貴がムリヤリ会話に割り込んだ。

 いつまでも構ってもらえないので業を煮やしたっぽい。


 シノさんは少しだけ瞼を伏せ、「うざいよ」と言わんばかりの視線を送る。


「それとこれとは話が別でしょうが」


「ほう? どう違うんだ?」


「例えを出しますよ? 巨人の応援席にカープファンが一人で投げ込まれたら、そのカープファンはどんな気持ちだと思いますか?」


 それは嫌すぎる。

 きっと席に座らず、振り切って家にUターンする。


「大声張り上げて『それいけカープ』を歌って見せるよ」


「姉貴はそりゃそうするだろうよ! 一般人と姉貴を一緒にするんじゃねえ!」


 ついでにお前の歌も聴きたくねえ!


「この人に聞いた私がバカだった……」


 またおっぱいがうな垂れた。

 美鈴が申し訳なさそうな上目遣いでシノさんを見つめる。


「シノさん、ごめんなさい。僕のせいで巻き添えにしてしまって……」


「ううん。せっかくだし今日は一緒に楽しもうね。それにこの人をW大側に投げ込むと一人でもK大の応援歌を熱唱しそうだし、私がK大側に行く方がいいと思う」

 

「知らない歌は歌えないだろう。私はK大どころか、六大学全てに縁がないんだし」


(じゃあ何で来るんだよ!)


 俺達三人は、きっと心の中で同じ事を思いつつ姉貴を睨んだ。


「そんな目で見なくてもいいじゃん。観音ちゃん、のけ者にされたくなかったんだもん」


 首を振りながら姉貴が幼児化する。

 キモイ、そしてウザイ。

 シノさんの目は冷ややか。

 お前は部下からそんな目で見つめられて恥ずかしくないのか。


 開門した。

 大きな子供は放っといて、さっさと球場に入ろう。


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