表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

第3話

 次の曲に入る前にクリスとアレックスが言葉を交わすと、ジョディは打楽器をタンバリンに持ちかえた。コンガの男は後ろに下がって姿を消し、ベースの熊さんはクリスに話しかけていたがクリスは応じていないようだった。クリスとアレックスが同時に曲をはじめ、曲の音程を確認するためだろう、熊さんがアレックスの手元を覗きこみながらそれに続いた。すると横にいたキミちゃんがいきなり声をあげて笑いだした。どうしたんですか、とボクがたずねると教えてくれたのは、これはビリー・ジョエルの「アップタウン・ガール」という曲で、どう考えてもラテンな曲ではないのが可笑しくて仕方ないのだそうだ。コンガ叩いてへんやん、ノリがラテンちゃうし、となおも笑うキミちゃんの横から、ごめーん遅くなって、とサヤカさんが現れた。二人は手を取りあって店の中に入っていき、雑賀さんのいる席に着くと三人はすぐにケータイとカメラを取り出し、ステージではなく自分たちをお互いに撮りはじめた。

 アレックスが再び赤いエレキギターに持ちかえた。ジョディがミネラルウォーターをひと口飲み、クリスは自分の顔の前にマイクを置いた。ドラムを叩きながら歌うのかな、と思っていたら先ほどのアレックスのギターをコンガの男が構えた。あれ、またラテンじゃない曲か、と、ギターの悲しげな響きが聴こえてきた。アレックスではなくコンガの男が弾いているのは、そう、この曲なら知っている、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」だ。まさか、ここでこの曲を聴くことになるなんて。ボクはその場に突っ立って動けなくなった。

 ホテル・カリフォルニア。大学のレポートの締切が迫ったときに苦し紛れでテーマに選んだことがあり、限られた時間の中で資料を読みあさったのだが、間接的には七〇年代の肥大化したロック産業とそこに集まって甘い汁を吸おうとする者への告発であるらしいことを知った。それよりも歌詞だ。まるで昔よく読んでいたスティーヴン・キングのホラー小説のようだった。いや、それよりも怖かった。夏の夜闇に浮かび上がる豪華なホテル。ティファニーにメルセデスベンツ。「ある者は思い出そうとして/ある者は忘れようとして」ひたすら踊り狂う。氷の上に注がれるピンクシャンペン。「自らの企みに/とらわれてしまった囚人達」は「チェックアウトしても/ここを立ち去ることはできないのです!」

 ボクは思わず振りかえった。スロットのコーナーはアメリカからと思われる中年の団体客で満員だった。ルーレットの周りをヒスパニック系の女性たちが10人ぐらいで取り囲み、参加している3人の友人を大声で応援していた。その横を中華系の顔立ちの集団がぞろぞろと並んで通り過ぎていたが、ほぼ全員が服やバッグのブランドのロゴが入った紙袋をさげていた。ここはまるでマカオにある実在のホテル・カリフォルニアだ。いや、そんなカッコいいものじゃない。ここは、ボクが今いるのは、クレジットカードとスロットのメダルとルーレットのチップで建てられた虚栄のホテル、ホテル・ヴァニティ・マカオじゃないか。ひたすら眼がくらむような輝きに満たされているくせに、どこを探しても本物が見つからない虚飾と幻影の城だ。

 ボクはステージに眼を移した。アレックスはCDどおりの正確な演奏だったけど、何か瞑想するかのように軽く眼を閉じていた。クリスは意外なぐらい大きな声でコーラスをとり、ジョディはしっかりと前をみて同じようにコーラスに加わっていた。ベースの熊さんはなぜか前後に大きく体を振ってノっていたが、それを見てジョディが苦笑し、クリスは首を横に振った。曲の後半にさしかかり、アレックスが一歩前に出る。コンガの男がギターを弾きながらアレックスのいた位置に出てくる。アレックスの長いソロが始まった。彼のギターの音は、表現がおかしいかもしれないけど、まるで人が泣き叫ぶ声のようだった。左手は弦を自在にひねり、引っぱり、右手は滑らかに弦の上を滑っているかのようで、でも聞こえてくる音はボクの耳と、その先につながった心を激しく揺さぶった。このホテルに何か本物が、何物にも代えがたいものがあるとしたら、あのアレックスのギターの音色だけじゃないか。ボクは彼に見入った。

 ところが、そのアレックスの横にベースの熊さんが近づいてきた。両足でぴょんぴょん飛び跳ねながらしきりにアレックスに声をかけつづけ、困った様子のアレックスがリズムに合わせて足を踏み鳴らす仕草をしてみせても納得できないらしく、なおも飛び跳ね続ける。ベースから伸びたケーブルがあちこちに振り回され、慌てたジョディが自分のマイクスタンドを持って数歩下がった。根負けしたアレックスは熊さんといっしょにステージの中央まで出ていって、同じように飛び跳ねはじめた。熊さんは今度はクリスのほうを向いて叫び、クリスは一瞬顔をしかめたがすぐにドラムのテンポを速くした。バンド用語だと倍テン、2倍のテンポというらしいが、一気に激しくなったビートに合わせて熊さんと、もうどうにでもなれ、とあきらめ顔のアレックスが飛び跳ねる。同じフレーズを繰り返して終わるこの曲だからこんなお遊びが出来るのか、と気づいたのはしばらくしてからだった。するとアレックスがまたボクのほうを見た。きっとその時のボクは困ったような、呆然とした顔をしていたのだろう、彼は口をへの字に曲げて眉を寄せた。こんな姿は見ないでくれよ、と言われているようだった。何人かのお客がグラスを片手にステージの前で踊っていたが、よく見てみるとその中に雑賀さんとキミちゃんがいた。サヤカさんはテーブルにいて、新しく買った化粧品でお色直しをしていた。

 「ホテル・カリフォルニア」はクリスが何度もドラムで合図を送り、してやったりという表情の熊さんが元の位置に引き下がってようやく終わった。客席からは大きな拍手が起きた。コンガの男が勢いよくビートを叩きだして次の曲が始まったようだったが、ボクは振り向くと足早にその場を去った。バンドの音はしばらくの間は聞こえていたが、やがてスロットやルーレットの騒音とその前で一喜一憂する人たちの声にかき消された。


部屋に戻ってベッドにもぐりこんだが、3時間ぐらいしたら眼が覚めてしまった。水ではなくビールが飲みたくなったが部屋の冷蔵庫には無かったので、仕方なく眠い目をこすりながら部屋を出た。しばらく歩いた先に見つけた販売機にハイネケンを見つけ、ポケットから出した小銭を確かめていたときだ。廊下の少し先のほうで何やら数人で言い争う声が聞こえてきた。英語とポルトガル語が、男と女が混ざり、キャリングケースを転がすような車輪の音も聞こえた。誰かが先を行き、それを数人が追いかけているようだった。ハイネケンの缶を手に取り、おっかないな、とつぶやいて部屋に戻ろうとしてからふと気づいたのだが、その声に聞きおぼえがあった。女の声はさっきのバーで歌っていたジョディだ。アレックスの声も聞こえる。低くくぐもった男の声は分からないけど、それに一番激しく食ってかかっているのはクリスのようだ。さっきのバンド、『ヴォルケイノ』に何か起きているらしい。ボクはこのまま部屋に戻ろうか少し迷ったが、意を決して声のする方に歩いていった。ボクはなんの役にも立てないだろうけど、その時は彼らを放っておけない気がした。といっても彼らの前に姿を見せるのはためらわれたから、廊下の角から気づかれないように覗くことにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ