10. 白南風
「さぼりなんて珍しいじゃない。」
春市との電話の後、少しばかり寝過ごして一コマ授業に出そびれた。慌てて飛んできた最後の授業で小塚くんが隣に座る。彼とはあれ以来、同じ授業ですれ違う都度、何かしら軽口を交わす。
「寝過ごしたの。」
「ますます珍しい。」
笑いながら小塚くんは配布されたプリントを見ている。
「彼氏と別れたの。」
「へ?また?」
振り返ると、小塚くんは目を真ん丸にしていた。授業中だけかける眼鏡がずれている。
「よくある話でしょ?」
口が笑ってしまいそうになるのを堪えて言うと、彼は私を見つめて目を眇めた。
「海に行きたいの?今日は車じゃないんだけど。」
堪え切れずに吹き出してしまった。
「違うよ。ただのご報告。」
「はあ?」
まるで分からないというように小塚くんは高い声をあげる。
「今度こそちゃんと別れたから。その節はご心配をおかけしました。」
小塚くんは椅子の背もたれに寄りかかったままずるりと沈んだ。だらしない姿勢で眼鏡だけを直す。
「そういうことね。」
「そういうこと。」
彼はよいしょ、と椅子に座り直してこちらに顔を向けた。
「じゃあ、もうどこへ行くのも自由だね。」
「は?」
今度は私が高い声をあげる番だ。
「今度、特別サービスで海に連れて行ってあげよう。もう飛び込まれる心配もないし、安心だ。」
妙に偉そうなものいいに言い返そうとしたら、教授がやってきてしまった。しょうがないので軽く睨むと、小塚くんはにやにやと笑っていた。
春市との恋は格好悪い恋だった。
告白された日には動転してコーヒーをひっくり返したし、別れを告げられてから一か月も泣き暮らした。悲劇のヒロインみたいに落ち込んでいたら自殺するかと心配された。付き合っている最中だって、自分たちはうまくやっているつもりだったけれど、本当は遠慮し合ってばかりだった。お互いを気遣いあい、顔色をうかがいあいっているうちに、いつの間に相手どころか自分も見失ってしまった間抜けな恋だ。
それでも、私にとってはたくさんの初めてが詰まった大事な恋だった。
きちんと終えることができたお祝いをしても良いかもしれない。
「あのときの堤防に上りたい。」
ノートの端にそれだけ書いて見せると、小塚くんは指でOKサインを返してきた。