1. 春宵
「雛は、素直じゃないね。」
夕方に入った喫茶店でお茶を飲みながら、何の話をしていたのだろう。不意に春市がそう言った。冗談ではない響きがした。
その言葉にすぐに泣いたり怒ったりできたなら良かった。そうすれば、余計な言葉を費やすことなく彼の言い分を否定することができたから。でも、私にはできなかった。咄嗟に心に湧き上がったのは僅かな違和感と、恋人に嫌われるかもしれないという恐怖だけ。そんな私にできたことは、せめてこれ以上に彼を不機嫌にさせることが無いようにと俯いて身を縮めることくらいだった。
小さくなった私の前で春市は長いため息をついた。苛立ったため息ではなく、力の抜けたため息だった。仕方がないな、と笑ってくれるかと甘えた期待は続いた彼の言葉に砕かれた。
春市は淡々と私を愛しいと思えなくなった理由のようなものを述べた。そして彼なりの誠意を尽くして二人分の伝票をもって去って行った。
叱られることも、詰られることもないまま、呆気なく彼は去った。私が泣きも怒りもしないとの同じように、春市も私を責めなかった。静かすぎて、これが二人の終わりなのだと信じられない。
残された席で一人ぼんやりとしていると、いつの間にか窓の外の藍色が濃くなり、生ぬるい夜が大きな窓の向こうからこちらを覗き込んでいた。