誰のため?
バトルリングの翌日、キークはトランク署長に呼び出された。
「キャラダイィィン! 貴様あ! 昨夜はあぁ! どこにぃいたあぁ!」
「いやあ、相変わらず見事なシャウトですね、トランク署長」
「……殴られたいのか、貴様は」
「いえいえ、そんな……署長はハードパンチャーですからね」
キークはのらりくらりとした応対でかわす。
トランク署長は、大陸で無茶な命令を降す上司を殴り倒し、エメラルドシティに左遷された男である。直情的で、口より先に手が出るタイプであるが、同時に部下の面倒見は良い。しかし……。
キークのことは、明らかに好いていなかった。
「貴様という奴は……せめて私に見つからないようにサボるということができんのか?」
「いやあ、不器用なもんですから……」
キークはのほほんとした表情で答える。
「貴様という奴は……普段なら、この場で殴り倒しているところだ!」
「いや、それはご勘弁願います」
「……夕べ報告があったのだが、エバン・ドラゴという男が脱獄し、エメラルドシティに潜入したらしいのだ」
「はあ、そうですか」
キークは相変わらず、のんきな様子で返す。
「……貴様には、事の重大さが全くわかっとらんようだな。知らんようだから教えてやる。ドラゴはな、大陸では知る人ぞ知るギャングの大物だ」
「んな奴、ほっときゃいいじゃないですか。ほっといても何もできませんよ」
「貴様という奴は……」
キークはまたしても説教されるのであった。
その日、クリスタル・ボーイは不機嫌だった。
昨夜、バトルリングにわざわざ足を運び、ガロード対コニンの試合に十万ギルダンを賭けたのだ。
ボーイが賭けたのは、言うまでもなくコニンの勝ちの方である。
にもかかわらず、コニンは負けたのだ。そして、ボーイは十万ギルダンを失った。
一方、キークはガロードに賭けて、五千ギルダン儲けたらしい。
「ったく、しみったれた奴だな……」
ボーイは誰にともなく呟いた。
「ボス、なにか言いましたか?」
「言いましたか?」
ボディガードの愚兄弟が、心配そうに顔をのぞきこんでくる。
「いや、何でもない」
ボーイは軽いイラつきを感じながらも、何とかこらえた。
これ以上、愚兄弟につきまとわれ、いろいろ聞かれてはかなわないからだ。
ボーイは前を向き、歩き始めたが――
ふと、足を止める。
キークが一人で、妙な動きをしているのが目に入った。
キークは歩き続けた。
任務遂行のために。
さっさと任務を終わらせて、ガロードとルルシーに血液の入ったビニールパックを渡さなければならないのだ。
前を歩く男は『虎の会』の売り出し中の若きギャング、ジョニーである。
やがてジョニーは、人気のない裏通りへと進んで行く。
ここで始末する。
キークはさりげなく右手を上げる。
と同時に、何気ない仕草で周りを見ると――
「……」
ボーイが数メートル離れた所に立ち、訝しげな表情でこちらを見ていた。
さらに、その後ろからは――
「ボス、待ってくださいよお」
「よお」
愚兄弟がドタドタと、騒々しい音をたてて走ってきた。
キークは思わず、天を仰いだ。
「キーク、お前こんな所で何やってんだ?」
そう言いながら、ボーイはキークに近づく。
近づきながら、付近の様子を素早く目だけで確認する。
向こうで、一人の男がこちらを見ている。
あの男は、確か……『虎の会』の……。
だが、なんだってあいつとキークが……。
ボーイの視線を避けるように、ジョニーは早足で遠ざかって行った。
「なんだよボーイ、邪魔すんな」
キークが残念そうな口調で言った。
「邪魔? 何のことだ? そもそも、お前ここで何してた?」
ボーイは不信感を露にする。
「おいおい、どうしたんだよ? オレたち仲間じゃないか――」
「オレは誰も信じてない、そう言ったのはお前だろうが」
ボーイはそう言いながらも、キークの表情をじっくりと見る。
「……そうだったな。ま、大したことじゃない。あのジョニーって奴から、小遣いせびれないかと思っただけだよ」
「……」
ボーイは無言のまま、キークの目を見た。
キークは、恐らく嘘をついている。
だが同時に、嘘をついていることを証明する手段がない。
いや、それ以前に――
この男は何が目的なんだろう?
一方、ガロードは何となくすっきりしない気分で目覚めた。
既に日は高く、昼は過ぎている。
昨日の試合――そして結果が、まだ心のどこかに残っている。
コニンには何の恨みもない。
にも関わらず、殺さなければならなかった。
ガロードにとって、人殺しは珍しいことではない。これまでにも、何人か(何匹か)殺した。だが、それは身を守るため、あるいは復讐のためだった。そこに罪悪感はなかった。
しかし、昨日の試合は違っていた。
大勢の観客の、狂ったような表情――
そして、あの目。
殺しを期待する、あの目。自分たちは絶対に安全な場所にいて、そこから二人の獣が殺し合うのを、神にでもなったかのような気分で見ている、あの目……。
あの不愉快な目には見覚えがあった。
五年前――
まだガロードが軍に入って間もない頃、偶然、強盗事件に遭遇した。
相手はナイフを持っていたが、ひ弱な若者であり、ガロードは取り押さえ、警察に突き出した。
警察でありのままを話し、それで終わりかと思っていた。
しかし、裁判で状況を説明することになり、出廷した。
そして――
あの不愉快な目の持ち主たちに出会った。
傍聴人たちは、妙に楽しそうな顔で裁判を見ていたのだ。
被害者がどんな目に遭い、加害者がどんな目に遭わされるかを、まるで子供がヒーローショーか何かを観るような雰囲気で見ていたのだ。
ここには被害者がいて、加害者がいる。
断じて、ショーではないのだ。
ガロードは吐き気に近い何かを感じた。
証言が終わり、ガロードは引き上げようとした、その時――
加害者の少年が、反省の言葉を述べていた。
その少年の母親らしき女が、傍聴席ですすり泣いていた。
他の傍聴人は、好奇心と嫌悪感の入り混じった表情で、少年と女を交互に見ている。
ガロードは、その場にいる全員を殴り倒したい衝動に――
だが、それは一瞬のことだった。
ガロードには、何もできないのだ。
ただ、その状況から一刻も早く離れたかった。
あの時の傍聴人と昨日の観客は、ほとんど同じ目をしていた。
ただ、昨日の観客の方が、自分の欲望に忠実で、それを隠さなかっただけだ。 あんな連中のために、オレは人を殺した……。
ガロードはやりきれないものを感じ――
拳を固め、自らの憤りごと壁に叩きつける。
あのリングには、もう立ちたくなかった。
壁を殴りつけたことで、少しは気が紛れた。
そう言えば、ルルシーはどこだ?
地下室か?
地下室に行ってみると、ルルシーは眠っていた。
ルルシーは昼間に、一時間ほど眠る。ただ、普通の睡眠ではない。意識不明の状態になるのだ。その間、何をしようが目覚めない。両腕を切り落とされても眠り続けるのだ。
今のルルシーは、そんな状態だった。
眠り続ける彼女を、そっと見守るガロード。
リングで闘わなくてはならない。
彼女を守り、彼女と生きるために。
そして、奴らと戦い、殺すために。
生きるために闘い、戦うために生きる。
ガロードは、改めて誓った。
その時――
何かを叩く音がする。
誰かがドアをノックしているのだ。
ガロードの表情が一変する。
誰が来たのだ?
ガロードはゆっくりと、そして静かに動いた。
家の扉が確認でき、なおかつ身を隠せる場所――そこから声を出した。
「誰だ?」
「ジュドーだ。ジュドー・エイトモートだよ。ボーイとは友達、キークとも知り合いだ。なあ、奴らから聞いてないか?」
「聞いてない。オレはあんたを知らない。帰れ」
「おいおい、そりゃないだろ……じゃあ、後でまた来る。そん時は、ボーイと一緒に来るからな」
そのボーイは愚兄弟を引き連れ、キークのあとをつけ回していた。
いや、付け回すというより、金魚のフンのようにくっついて歩いていた。
「……ボーイ、なんで付いて来るんだ?」
キークは困った顔で尋ねる。
しかし、
「一緒に散歩すんの、嫌なのか?」
「嫌なのか?」
デカい体と、悲しそうな目で迫る愚兄弟。
「え……いや、そんなことはないよ。お前らイイ奴らだしな」
キークは困った顔で、そう答える。
「イイ奴だってよ!」
「だってよ!」
巨体を震わせ、嬉しそうにはしゃぎ回る愚兄弟。
「ぷぷぷ……」
ボーイが笑いをこらえている。
その時、ボーイのケータイが鳴った。
「おうジュドー、どうした……お前の頼みでも、それは無理……いや、それは……わかったよ! これは貸しにしとくからな!」
そして――
ガロードとルルシーの家は、窮屈な状態になっていた。
ガロード、ルルシー、キーク、ボーイ、ジュドー、そして愚兄弟。
全員、なんとも言えない雰囲気で顔を付き合わせている。
「ようガロード、初勝利おめでとう。お前のおかげで儲かったぜ」
口火を切ったのは、ジュドーだった。
「……どういうことだ」
ガロードは不信感を露にした顔で返す。
「いや、オレはお前に十万賭けてたんだ。おかげで五万儲けたぜ。ところで、そこのお嬢ちゃんは?」
ジュドーがルルシーを見たとたん、
「私はルルシーです。私はガロードの保護者――」
「誰が保護者だ!」
ルルシーの言葉を遮るガロード。
すると今度は――
「ガロード、お前の試合見たぞ。お前強い」
「お前強い」
愚兄弟は、目をキラキラさせながらガロードに迫っていく。
「え……」
困惑するガロード。
思わず、助けを求める視線をルルシーに向ける。
だが、ガロードは左右から愚兄弟に挟まれてしまった。
少年のような瞳で、愚兄弟はガロードを見つめる。溢れんばかりの、尊敬の眼差しだ。
ガロードと愚兄弟、そして一人を除く全員が、笑いをこらえている。
「ガロード、お前アイザックと闘ったらどっちが強いんだ?」
「強いんだ?」
愚兄弟はそんな空気を全く感知せず、強い者に対する純粋な尊敬の念を全身で表現しながら、ガロードに迫る。
「え……いや、あの……アイザックって誰――」
「クソ! オレはてめえのせいで大損だ!」
ガロードの言葉の途中で、ボーイが吠えた。
そして、なおも言葉を続けようとしたが――
「ボーイ、その辺にしとけよ。ガロードとルルシー、オレはジュドー。ちょっと離れたバク地区で食堂をやってる者だ。昨日はガロードのおかげで儲けさせてもらったよ。よろしくな」
そう言って、笑みを浮かべるジュドー。
ガロードは、返事に詰まった。
「あ、ああ……」
キークは一人、歩いていた。
さっきまでガロードとルルシーの家で、あれやこれやの話をしていたのだ。
ガロードはほとんど発言せず、みんなの話を真面目な顔で聞いていた。
ボーイは、そんなガロードをけなすことに専念し――
ルルシーは、そんなボーイをけなすことに専念していた。
愚兄弟はその間で、困った顔をしていた。
ジュドーは面白おかしい話をして、雰囲気をなごませる。
キークはひたすらフォローに回りながら、皆の話を注意深く聞いていた。
そして夜がふけ、解散となる。
その去り際に、ガロードに言われた言葉――
「あの、血を……持ってきてくれて……ありがとう。あんたの……あんたのおかげで……助かった。あ、あんたが……いなかったら……本当に……あ、ありがとう」
慣れないのであろう、ガロードはぎこちない口調で何度も言葉につまりながらも、真剣な表情で感謝の気持ちを伝えてきた。
その瞳は、純粋な感謝の気持ちに溢れていた。
ありがとう、だと?!
ふざけるな!
オレは……。
オレはただの、組織の犬なんだよ。
お前らを助けたのも、任務遂行のためだ……。
組織のために、オレはやったんだよ。
この先、命令が降れば……お前とルルシーを始末しなけりゃならないんだよ、オレは……。
そして、このままいけば、ほぼ確実にそうなるんだよ……。
だが安心しろ。
その時がもし来たら、一思いに殺してやるよ。
苦しまずに、あの世に旅立たせてやる……。
二人一緒にな。
一方、ボーイと愚兄弟そしてジュドーは、連れだって歩いていた。
「クソ! あのガキ本当にムカつくぜ!」
悪態をつきながら歩くボーイ。
オロオロしながら、付いて歩く愚兄弟。
「……なあ、お前をそこまで怒らせるってのも、ある意味すげえよな」
ジュドーがポツリと呟いた。
「何言ってんだよ! それだけあのガキが――」
突然、ボーイのケータイが鳴る。
「ああ?! 誰だよ!」
語気荒くケータイを取り出すボーイ。
だが――
次の瞬間、その表情が一変する。
「……はい……はい、わかりました。明日の三時ですね……はい、必ずうかがいます」
ボーイはケータイをしまうと、ジュドーの方を向いた。
「タイガーからの呼び出しだよ……」