バトルリング
その日は朝から大忙しだった。
警察署に出勤すべく歩いていたキークは、いきなりゴメスの部下たちに囲まれたのだ。
「キークの旦那……マークの死体を見つけたのは、あんたですよね?」
トレホが凄む。
「ああ、そうだよ」
「旦那……絞殺されてたって話だがな、もうちょっと詳しく聞かせてもらえねえかな」
そう言いながら、トレホは顔を近づけていった。
「おいおい、勘弁してくれよ。朝からお前の顔のドアップはきついぜ」
そう言いながら、顔をそむけるキーク。
「旦那……ふざけてもらっちゃ困るんだよ。なあ、ウチの者が殺られたら、黙ってられねえんだ! 誰が殺ったのか、見当は――」
「ついてない。ついてないが……妙だよ、あれは」
キークは訳知り顔で、呟くように言った。
その言葉に、すぐさま反応するトレホ。
「ああ?! どういう意味だ?!」
「いや、絞殺だぜ絞殺。銃だって刃物だって、何だっていい……いや、殺すならそっちの方が手っ取り早いよな。なのに絞殺だぜ。あれは……いや、やめとこうか。下手なことは――」
「何だよ?! もったいないぶるな!」
「わかったわかった。あくまでオレの考えだが……絞殺ってのは、昔の処刑方法だな。つまり……単なる殺しじゃない、これは処刑だとアピールする狙いがあるのかもしれない」
「なるほど……」
もし、この場にマークの霊がいたとしたら、キークに取り憑き、呪い殺していただろう。
だが、マークの霊はここにいなかった。
そしてトレホは、とんでもない方向に誘導されつつあった。
「なあ、トレホ……オレも下手なことは言えないが、昔の処刑方法を使うってことは……昔気質の人間かもしれない。例えば、タイガーの所の奴とか」
「ああ……お前の言うことも一理あるな。わかった。この件で何かわかったら、真っ先に知らせろ」
「わかった」
トレホはケータイを取り出し、しゃべりながら歩き出す。
その後を、数人の部下が付いていく。
マークを殺した真犯人をそのまま残して。
「ふう……バカの相手は疲れるな」
そう言いながらも、キークは満足げな笑みを浮かべていた。
だが、笑っていられたのはその時だけだった。
キークが署に着くと同時に――
「キャラダイン! 貴様なんだこれは!」
トランク署長が怒鳴りつける。
「いや報告書ですが」
「……この部分を読んでみろ」
「あー、そこですか。『発見場所:たぶん地下道 死因:たぶん絞殺』何か問題でも?」
「何だと……貴様あ……たぶんとは何だ! たぶんとは!」
この後、キークはたっぷり説教された。
その頃、ガロードはようやく目を覚ました。
ベッドから起き上がり、周りを見る。
殺風景な、決してオシャレとは言えない部屋。
だが、そんなことはどうでも良かった。
初めて手に入れた、自分の家だ。
思えば、ルルシーを連れて大陸を逃げ出し、どうにかこうにか、この街にやって来たのだ。
群れからはぐれて、転がり続けた末ではあったが――
ようやく、幸せをつかめるかもしれない所にきたのだ。
ルルシーと二人、ずっとここで暮らす……。
想像しただけで、心がはずんだ。
しかし――
ガロードの手は、自らの胸に触れた。
錆びついたナイフにインクを付け、無理やり刻み込んだ刺青。
帰らぬ奴ら。
その仇を討つまでは、自分の新しい人生は始まらないのだ。
今の自分は、あの時死んだ者たちと……ルルシーによって生かされているのだから。
ガロードは水を一杯飲むと、まずストレッチを始めた。
今日の夜は、初のバトルリングが待っている。
突発的に始まるケンカとも、あるいは路上で待ち伏せてからの暗殺とも、全く違った緊張を感じる。
どちらの方が怖い、というものではない。全く違った種類の怖さだ。
だが、ガロードは緊張は感じているが、恐怖は感じていない。いや、感じていないと言えば嘘になる。しかし、その恐怖はコントロールできるものだ。
どんな奴が相手であろうと、ガロードは負けるわけにはいかなかった。
この家を、完全に自分の物にするために。そして、ルルシーとの生活を守るために。
やがてストレッチを終えると、ガロードは軽いシャドーボクシングを始めた。これはトレーニングではなく、体に異常がないか確かめるためのものだ。
足首、膝、腰、肩、手首……どこも異常はない。
シャドーをしながら、ガロードは自分に言い聞かせた。
今夜の闘いは、絶対に勝つ。
負ければ死ぬかもしれないが、勝てばこの家の頭金を得られるのだ。
そして――
勝ち続ければ、フォックスともいずれは闘える。
フォックスは現在、バトルリングで五連勝だというのだ。
相手は人外ではあるが、ガロードには秘策がある。フォックスを仕留められる秘策が。
キークに言われたことを思い出す。
「ガロ、バトルリングに出ろ。生き延びれば、家の頭金くらい一試合で稼げる。それに……フォックスの奴も、バトルリングの選手として登録している。いずれは奴と闘うこともできるんだ。しかも、バトルリングで奴を殺せば、大金が手に入る。まさに一石二鳥ってヤツだよ」
フォックスを殺すまでは、絶対に勝ち続ける。
クリスタル・ボーイには、一つの習慣がある。
昼食は必ず『ジュドー&マリア』で食べるということだ。愚兄弟を連れて、三人仲良く昼食を食べる。
この習慣は、ジュドーが店を開いて以来ずっと続けているものだ。
今日もまた、ボーイは愚兄弟を連れて、食事にやって来た。
一番奥の席に愚兄弟を引き連れて座る。
だが――
奥の扉から、アイザックが出てきた。
「ジュドーが呼んでる。悪いけどな、二階の事務所まで来てくれ」
ボーイが事務所に入ると、ジュドーは真剣な表情で椅子に座り、何やら物思いにふけっているような様子だった。
やがて、視線をボーイに向ける。
「昨日な、キークが店にきたんだ」
「んだと……あの野郎、いったい――」
「説教しやがったんだよ、オレにな」
「……何をだよ」
「ベリーニが死んだのは、お前らの認識の甘さが原因だ、みたいなことを言いやがった」
「あんの野郎……」
ボーイは怒りで体を震わせる。
だが、ジュドーは苦笑いを浮かべた。
「いや違うんだよボーイ、何が腹立つって、全くもってその通りだってことなんだよな」
「……ジュドー、お前なに言ってんだ? あれはお前の責任じゃ――」
「いや、オレの責任だ。少なくとも、責任の一端はオレにある。オレがもう少し用心深く動いていればな……今さら遅いが」
「……」
ボーイは何も言えなかった。
ベリーニという男とボーイは、何の関係もない。
ただ、ベリーニを殺した連中とボーイとは、それなりの因縁があった。
ボーイは昔、一人で一キロのクリスタルを運んでいる時に何者かに襲われ、クリスタルを奪われたことがあった。
その犯人、さらにベリーニをさらい拷問し、自殺に追い込んだ者、どちらもゲドウ会の人間だった。
「ところでボーイ、そのキークのことなんだがな……本当に妙なんだよ」
「何かわかったのか?」
「何もしてないんだ」
「何も?」
「そう。何て言うか……普通、エメラルドシティに飛ばされてくる警官て、何か不祥事おこしてるか、扱いづらいか、とにかく、何か問題のある人間が多いんだよ。ところが、奴には問題がない。少なくとも、ここに来るまでのあの男には、何の汚点もないんだ」
「……バカ言うな。キークのここでの評判を知ってんのか? 寄生虫だの給料泥棒だのと、さんざん言われてんだぞ」
「それは全部、ここに来てからなんだよ。まあ、ここに来てから人間が変わったという線もあるが――」
そこまで話した時、扉が開き、褐色の肌の女が入って来た。
「ジュドー……またあいつが来た」
ジュドーとボーイが下に降りると――
キークは愚兄弟と同じテーブルにつき、そして愚兄弟と遊んでいた。
「ほーら見てろ……この手のひらのコインが消えるからな……ほら消えた」
キークは手のひらを閉じたり広げたりした。
愚兄弟の目が輝き、筋肉が震える。
「コインが消えた! すげえすげえ!」
「すげえ!」
愚兄弟は感極まったのか、突然立ち上がり、店の中でピョンピョン飛びはね、さらにゴリラのように胸を叩いた。
他の客から、笑い声が洩れる。
「おい兄弟、店の中で暴れるな」
エプロン姿のアイザックが止めに入る。
「ゴメンよアイザック。でも、キークはすげえ」
「すげえ」
兄弟は口を揃えて、アイザックの前でキークを称える。
「……」
アイザックは、キークを凄まじい目つきで見た。
今にも、殴りかかって行きそうな雰囲気だ。
「おいおい、そんな怖い目で――」
「てめえ、こんな所で何やってんだ?」
二階から降りてきたボーイが間に割って入り、キークを睨む。
「いや、大したことじゃない。ただ、今夜のバトルリングにな、ガロード・アリティーが出る。奴のデビュー戦だからな、ジュドーさんたちにも見てもらおうかと思ってな」
「はあ?! あのバカガキがバトルリングに?! いつか殺そうかと思っていたが、手間が省けたな」
ボーイは吐き捨てるように言った。
「……ボーイ、お前なんだって、あいつに突っかかるんだ?」
キークはボーイをじっと見つめた。
さっきまでの、ふざけた表情が消えている。
「ああ?! 決まってんだろうが! 女のために軍の施設を吹っ飛ばすようなキチガイと、どうしたら仲良くなれんだ! オレはあいつを見てると虫酸が走るんだよ!」
「そうか……前にも言ったが、仲良くやれ、とは言わない。ただ、あいつはあいつなりに、惚れた女と幸せになろうとしてるんだ。そのために、精一杯やってんだ。それは認めてやってもいいんじゃないか」
キークは穏やかな口調で、諭すように言った。
「……知るかバカ! んなことよりメシだメシ!」
ボーイは、さらに不機嫌そうな顔になる。
キークはボーイから視線を外し、ジュドーの方を見た。
「あんたも来てくれよ。それと……昨日はすまなかったな」
キークはそう言うと、軽く頭を下げた。
「……いや、あんたの言う通りだからな、あやまることはない。そいつの試合、見させてもらうよ」
その夜。
地下に造られたバトルリングの会場は、今日もかなりの数の観客が入り、盛り上がっていた。
そして選手の控え室に、ガロードがいた。
ガロードは入念なストレッチをした後、セコンドの構えるミットにパンチを叩き込んでいる。
このミット打ちは、体のエンジンをかけるためのものだ。それと同時に、軽く汗をかくことで、緊張をほぐすという役目も果たしている。
ちなみにセコンドは、キークだった。
ガロードの重く、そして早いパンチがミットに当たる度に顔をしかめる。
やがて――
「おいおい、これじゃあオレの関節がイカれる。もうこのへんでいいだろう。そろそろ時間だし」
しかし――
「ダメなのです! まだガロードはエンジンがかかってないのです! キーク、我慢するのです!」
ルルシーの激が飛ぶ。
「やれやれ……ガロ、打ってこい」
キークがうんざりした顔をしながら、それでもミットを構える。
その時、ゴドーが入ってきた。
「おいガロード! それにキーク! 時間だぞ! 来い!」
歓声の中、ガロードは金網の中に入る。
同時に、相手の選手も金網に入る。
相手の名はコニン。それ以外のことは何も知らされていない。
ただわかるのは、コニンにセコンドがいないということだ。
つまり、この闘いは、相手を殺さなくては終わらない。
バトルリングのルールは単純だ。
どちらかが死ぬか、セコンドがタオルを投げるか……。
ただ、そのセコンドを付けるには、登録料十万ギルダンをゴドーに払わなくてはならない。
しかも、試合の度に、である。
払えない、もしくは払いたくない者は、負けたら殺される。というより、死以外の、はっきりした敗北の形がないのだ。
コニンにはセコンドがいない。
だから、殺さなくてはならない。
ルルシーとの、幸せな生活を築いていくために。
そして、フォックスを仕留めるために。
二人が入ると同時に、ゴングが鳴る。
ガロードは身構えながら、相手の周囲を廻る。
コニンはガロードより大きい。百九十は超えるだろうし、体重も百キロはあるだろう。
そして、耳がつぶれている。構えも低い。
となると、組み技が得意なグラップラーだ。
ならば――
打撃で殺す。
ガロードは牽制の左ジャブを突く。
左ジャブを突きながら、時おり、右のローキックをコニンの左太ももに当てていく。
コニンはガロードの左ジャブをガードしながら、タックルの隙をうかがう。
だが、コニンのタックルのモーションは大きいため、ガロードに簡単に読まれ、タックルの間合いを外されてしまう。
コニンの左足に、ローキックのダメージがたまっていく。
やがてコニンは、意思とは無関係に、足が動かせなくなる。
足を引きずる動きが目立つようになる。
ガロードは勝利を確信した。
あとは、苦しまずに死なせてあげること……それがせめてもの情けだ。
獲物を襲う肉食獣のように、ガロードは猛然と襲いかかった。
顔面にパンチを叩き込み――
頭を脇に抱え、一気に絞め上げる。
コニンの意識は、一瞬にして途切れた。
だが、まだ終わらない。相手の命を奪うまでは終われない。
ガロードはそのまま絞め続けた。
凄まじい歓声――
観客は笑っていた。
楽しんでいた。
一人の人間の死を肴に酒を飲み、横にいる恋人と語らい、喜びに満ちた表情でリングを見ている。
そんな観客たちの顔を見た時に――
ガロードは、たまらない切なさを感じた。