偽りの愛
ゴドーは、ヤク中ではない。
だが、その代わりに仕事中毒ではあるが。
エメラルドシティにおいて、何でも揃うと評判の、『ゴドーショップ』のオーナーであり、食堂『ジュドー&マリア』の共同経営者でもある。
さらに、近頃は別の商売にも手を出している。
それこそが『バトルリング』である。
金網の中に設置されたリング(ロープはないが)に二人の男(女の場合もある)を閉じ込め、どちらかが死ぬまで闘わせる。
その死闘を、観客に見せる。同時に賭けも行われており、観客はどちらか好きな方に賭ける。そして両者の死闘を安全な観客席で、ビールなどを飲みながら眺めるのだ。
その日も、ゴドーは昼間からバトルリングの会場に行き、さまざまな雑務をこなしていたり、指示を出したりしていた。
そこにフラッと入ってきたのは、キーク・キャラダインであった。
ゴドーはキークを見て、露骨に顔をしかめる。
「おうおう、不良警官が何の用だ?!」
ゴドーは、キークのことを好いてはいない。
金をせびることしか考えていない上に、何の権力も持っていないという、ゴドーから見ればどうしようもなく使えない男だった。
しかも、最近来たばかりのはずなのに、エメラルドシティの裏事情に妙に詳しかったり、あちこちに首を突っ込み、いろいろ嗅ぎ回っているのも、気に入らなかった。
「まあ、そう嫌わないでくれよ、ゴドーさん」
キークは馴れ馴れしい態度で寄って行く。
「寄るんじゃねえ! この寄生虫が! どうせ小遣いせびりにきたんだろうが! それとも――」
「なあ、一人いいのがいるんだが……バトルリングに出してもらえないかと思ってな」
「ああ?!」
ゴドーの表情が変わり、商人の顔になる。
「元軍人で、腕は中々のものだ。歳は二十歳。どうだよ?」
「どうするかな……今はまだ何とも言えん。ちょっと考えさせてくれ。もしかしたら、近いうちに出てもらうかもしれんが」
ゴドーはそう言いながらも、視線をリングやオッズ表に向けている。
そして、思案を続けている。
「言いたいことはそれだけだ。じゃあな、ゴドーの親父さん」
「お前に親父さんとは呼ばれたくない!」
キークは立ち去りかけて、ふと立ち止まる。
「ゴドーの親父さん、申し訳ないが、一つ頼みがあるんだよ」
「金なら貸さんぞ!」
吠えるゴドー。
しかし――
「金じゃねえよ。商談だ。あんたに一つ売ってもらいたいものがある」
「商談だと?」
「家を探してる。できれば地下室があって、電気水道ガスのライフラインがしっかりしてる場所だ」
その頃。
ガロードはルルシーとともに、宿屋の一室にこもっていた。
「ガロード……たまには一人で遊びに行くといいのです」
「行きたくないな。面倒くさい」
「……」
ルルシーの顔が、わずかにゆがむ。
「あなたの暗くて陰気な顔を見ていると、不快になるのです。こっちまで陰気になるのです。さっさと外に出て、若い巨乳女でもナンパするといいのです」
「お前は何を言っているんだ?」
「あなたは長い間、軍にいたのです。人殺ししかできない人間なのです。それは良くないのです。普通の仕事をして、ちゃんと普通の恋も――」
「しなくていい!」
言葉と同時に、ガロードはルルシーの肩を両手で掴む。
「オレはな――」
「ガロード……愛してる、なんて言ったらブッ飛ばすのです。私とあなたとは愛し合えないのです。あなたの心にあるものは、偽りの愛なのです」
ルルシーは寂しげに笑った。
「愛だと……そんなもん知らない! そんな使い古された言葉で語るな!」
ガロードはいきなり、その太い腕でルルシーを抱き締める。
「離すのです、ガロード……でないと、首に噛みついてやるのです」
「やれるもんなら、やってみろ。オレは恋も愛も知らない。知りたくもない。ただ、お前がいればいい」
「……あなたは、本当に世話の焼ける子なのです」
一方、クリスタル・ボーイは――
大衆食堂『ジュドー&マリア』の二階にある事務所に来ていた。
室内には机にテレビ、テーブル、ソファー、さらに金庫が設置されており、ボーイはソファーに座り、タバコを吸っていた。
室内には、ボーイ一人きりである。
人口の九割が犯罪者であるエメラルドシティにおいて、金庫のある部屋に客を一人きりとは、ありえない事態だ。
だが、部屋の持ち主は、ボーイを信用していた。
そしてボーイも、部屋の持ち主であるジュドーを裏切るような真似はしなかった。ボーイにとってジュドーは、この街において数少ない、本当に信用できる友人だったからだ。
タバコ一本が灰に変わる頃、ジュドーが部屋に入ってきた。
相変わらずの黒いスーツに赤いワイシャツ、青いネクタイと、何とも言いがたい服装で、天然パーマの頭をポリポリ掻きながら、ソファーに座る。
「ボーイ、景気はどうだよ? 儲かってるか?」
「いや全然。そういやあ、連中がいなくなってだいぶ経つな。半年くらいになるか?」
「ああ、そんなもんだ」
『連中』とは、マリアが通りで拾ってきた(とジュドーが言っていた)七人の妙なグループである。
ボーイも何度か顔を合わせたことがあるが、全員、どこかエメラルドシティに似つかわしくない雰囲気を漂わせていた。
もっとも、そのうちの一人カツトシ(典型的な筋肉バカだった)と、ボーイのボディガードである愚兄弟とは妙に気が合い、マリアも交えて四人で遊んでいる光景がよく見られた。
さらに、時にはジュドーのボディガードであるアイザックも交え、五人でトレーニングをしている姿も見られた。
「奴ら、けっこう面白かったな……ウチの兄弟なんか、奴らとの送別会の時、泣き出したからな……あれには参った」
「そんなこともあったな……ところでボーイ、何の相談だ?」
「え……」
「とぼけんな。お前のツラ見れば、何か相談しにきたんだろうな、ぐらいのことはわかるよ」
ジュドーはそう言うと、顔を近づける。
「何があった?」
「お前には勝てねえな」
ボーイはそう呟くと、今おかれている状況を、包み隠さず語り始めた。
「なるほど……しかし恐ろしい奴だな、そのキークって野郎は……」
全てを聞き終えた後の、ジュドーの第一声がその言葉だった。
「ああ……ハイゼンベルクのことも、タイガーの競りの内容も知ってやがった……ジュドー、お前ならわかるだろ、タイガーの部下が、よその人間に情報を洩らしたらどうなるか……」
「ああ」
かつて、ジュドーはタイガーの仕事を引き受け、一人の能力者を始末するためにアイザックとカルメンを差し向けた。
ところが、その情報が筒抜けであったため、アイザックとカルメンは待ち伏せされたのだ。
どうにか始末したものの、アイザックは重傷を負わされた。
それを聞いたジュドーはあちこち動き、情報を洩らしていた者を突き止め、タイガーにつき出した。
その件には、ボーイも関わっている。
「ジュドー、お前に頼みがある。まず、キーク・キャラダインという男の情報を集めてくれ。あいつは並の警官じゃない。得体の知れない奴だ」
「……つーか、しばらくオレが張りつくか? そのキークって奴によ」
ジュドーは真顔で、そんなことを言った。
「いや、今のお前にそこまでは頼めない。お前はただ、キークに関する情報を集めてくれればいい」
「わかった。できるだけ調べてみる。ついでに、ガロードとルルシーって奴のことも、もうちょっと調べてみる」
「ありがとう。助かる。あとな……万が一、キークやガロードたちが妙な真似しやがったら、お前に始末を頼みたいんだが……もちろん金は払う」
ビルとテッドの二人は、恐ろしく頭が悪かった。
頭が悪い上に、異常な能力の持ち主でもあった。
天は二物を与えず、というが、ことこの二人に関する限り、天は二物を与えるべきだった。
自らの行動の是非を判断できる知能、あるいは弱者を思いやる優しい心のいずれかを。
ビルとテッドには、そのどちらもなかった。
あるのは異常な能力と悪い頭、そして常に自分たちを被害者と考える、ねじくれた心だった。
しかも彼らは、大陸を脱出し、エメラルドシティに来てしまった。
あとはもう、お決まりのパターンだった。
彼らは、略奪と強姦、さらには殺人を繰り返した。天が授けた異常な能力と、大陸で受けた差別とが、彼らから罪悪感を奪い、ある種の選民思想すら、彼らの中に芽生えさせていた。
この世は結局、弱肉強食である。
ならば、強い自分たちが弱い者から奪うのは当然の権利だ。
しかも自分たちは、大陸にいる間は差別され、自由のない生活を強制的にさせられた。弱者であるはずの連中に。
ならば、ここでその復讐をしてやる。
ここにいる弱者共に。
全く理不尽な考えであるが、彼らはそれを、至極まともだと思っていた。
日が暮れ、夜になる。
暗闇に包まれたシン地区の大通りを、二人の男が歩いていた。
片方は短髪で大柄な筋肉質の男。もう片方は腰まで伸びた長髪の、背は高くないがガッチリした体格の男だ。
「なあビル、この辺の連中ってのは、どうにもパッとしないな! そう思わないか?!」
「本当だな! 核爆弾でも落として欲しそうなツラした奴ばかりだぜ!」
「おいおい、核爆弾なんか落としたら、オレたちまで死んじまうじゃねえかよ、ビル!」
「おお! そういやそうだな、テッド!」
ビルとテッドの二人は、上機嫌で歩いていた。
彼らがエメラルドシティに来て、まだ一月にもならない。
にもかかわらず、彼ら二人の悪名はすでに、この近辺に響き渡っていた。
付近の住民は家にこもり、ドアを閉め、鍵をかけ、銃を持っている者は銃を抜いた。
だが、そんな二人の前に――
一人の少女が姿を現したのだ。
年齢は十三から十五歳くらいか。透き通るような白い肌、大きくてつぶらな瞳と小さめの高い鼻、紫の髪と赤いドレス……有り体に言って、エメラルドシティには似つかわしくない雰囲気の少女であった。
少女はにっこりと笑い、手招きする。
「おいおい、逆ナンだぞ逆ナン」
「行こう行こう」
普通の人間なら、あり得ない不用心さである。
いや、普通でなくても、こんな場所に娘が一人で現れ、手招きするという状況を前にしたら、多少は警戒するであろう。
しかし、彼ら二人は頭が悪かった。
さらに、このエメラルドシティのことをまだわかっていなかったのだ。
自分たちなどより、ずっと強い者がいるということを、彼らは全くわかっていなかった。
二人は少女の後をついて歩く。
少女はチラチラ後ろを振り返りながら、崩れかけた建物が立ち並ぶ裏通りに入る。
二人も裏通りに入って行く。
少女は少し歩き――
振り返る。
そして、ニヤリと笑う。笑った口元から、鋭く伸びた犬歯が見える。
さらに、手の指からは――
鋭く尖った、猛獣のそれにも似た鉤爪が伸びる。
さすがの二人も、怯んだ様子だ。
そして――
「ビルとテッドだな……死んでもらうぜ」
後ろから声がした。
振り向くと、大柄な若い男が、ゆっくりとこちらに歩いてきていた。
ガロードは一気に間合いを詰める。
そして、全体重を乗せた右のストレートを放つ。
右の拳は、正確にテッドのアゴをぶち抜いた。
だが、テッドは一瞬ぐらついたものの、すぐに体勢を立て直す。
そして次の瞬間――
口から炎を吹いた。
ルルシーはガロードの姿を確認すると同時に――
一気にビルの巨体に飛びつく。
ビルは、飛びついたルルシーを振り落とそうと暴れるが、鉤爪がガッチリ食い込み、振り落とせない。
ルルシーはビルの太い首めがけ――
鋭く伸びた犬歯を突き刺す。
ビルの悲鳴が、裏通りに響き渡る。
だが、ルルシーは容赦せず――
体内に毒を流しこむ。
ビルは凄まじい勢いで痙攣を始め――
息絶えた。
ガロードは、テッドが炎を吹くことなど知らなかった。
だが、数々の修羅場をくぐり抜けて培われた、野生の勘とでも言うべき何かが、ガロードに危険を察知させた。
ガロードは素早く飛び退くと同時に――
両手を回すように動かし、炎の勢いを弱める。
そして次の瞬間、前転し――
浴びせ蹴りを見舞う。
しかしガロードの踵は、テッドの顔面をかすめただけに終わった。
だが、彼の攻撃はやまない。
ガロードは素早く立ち上がり、テッドに背後から組み付く。そして、テッドの長髪を、テッド自身の首に巻きつけ――
一気に絞め上げる。
テッドは必死でもがいたが――
やがて、その動きも止まった。
ガロードは息をはずませながら、ルルシーの方を見た。
ルルシーはビルの首に噛みつき、夢中で血を吸っている。
その姿は、まさに吸血鬼そのものだ。
ガロードは目を逸らし、そっと物陰に隠れた。
改めて、自分の無力さを感じた。
その三十分ほど前。
キークは地下道にいて、人を待っていた。
やがて、一人の男が降りてくる。
「あんたがキークさんかい? オレに何の用だ?」
「マークさんだね……あんた最近、えらく有名だよ。ゴメスさんとこの若手じゃ、あんたがトップクラスだって噂だが」
「まあな……ところで、オレをこんな臭いところに呼び出して、一体どうしたんだよ? この臭さに見合う話なんだよな?」
「それはな……」
言うと同時に、キークは右手を振る。
腕時計から、糸が飛び出し――
マークの首に巻きつく。マークは驚愕の表情を浮かべ、糸を外そうと狂ったようにもがく。
だが糸は外れない。首に食い込み、頸動脈と気管をじわじわ絞め上げる。
キークが、右手を大きく動かす。
マークは白目を剥き、崩れ落ちた。
「やっと来たか……遅いんだよ、キーク」
二人を仕留めた後、三十分近く経ってからやっと現れたキークに、ガロードが文句をつけた。
「仕方ないだろう……来る途中に死体を見つけちまったんだからな。これでも一応、警官なもんでな」
そう言いながら、キークは体のあちこちに消臭スプレーを吹き付けた。
「しかし、能力者を素手で仕留めるってのはな……正直キツイ。何とかならないのか」
ガロードはさらに文句をつける。
「お前の銃を使った死体が増えると、あとあと面倒なんだよ。刃物もダメだ。素手の傷だったら、後でいくらでも言い訳できる。だから、素手でやれ」
「だったらいっそ、最初からあんたが殺れ。鉛弾丸ブチ込めば早いだろう」
「それじゃあ、何のために金出してんだ……金払う以上、仕事はやってもらうからな」
「……わかったよ」
吐き捨てるように言った後、ガロードはルルシーのそばに行く。
「帰るか、ルルシー」
「ガロード……私に気を使う必要はないのです。物陰にいなくてもいいのです。あなたに見られても、私は何とも思わないのです」
「……」
ガロードとルルシーの間に、何とも言えない空気が漂う。
「……お前ら、何か知らんが帰ってからにしろ。それと……ガロ、遅れた詫びをしたいんだか……明日会えないか? フォックスの情報を教える」
ガロードの表情が一変する。
「次はフォックスだぜ、ガロ」
「なあキーク……あんたどうして――」
「優秀な手駒にボーナス出すのは当然だろ?」