エバン・ドラゴ
「ボス、遅いな……」
「遅いな……」
愚兄弟はガロードの家で呟いた。
クリスタル・ボーイは二日前、ガロードに愚兄弟に預けると、そのままどこかに行ってしまった。
以来、連絡が途絶えている。
さらに、ジュドーも店を閉めたままだ。
その上、キークも顔を見せない。
「一体、何が起きているんだ……」
さすがに、ガロードも異変に気付いた。
この状況は、明らかにおかしい。
しかし、ガロードにはどうすればいいのかわからなかった。
「あなたたち、元気を出すのです。ボーイさんは必ず戻ってくるのです。戻って来るまでは、ウチにいるといいのです」
ルルシーはいつになく優しい態度で、愚兄弟に声をかける。
「わかった」
「わかった」
愚兄弟は不安そうな顔をしながらも、ルルシーに答える。
「しかし、おかしいのです……ボーイさんは、ここまでいい加減な人ではないはずなのです」
思案顔で腕を組むルルシー。
「ルルシーもそう思うだろ……オレ、ちょっと行ってみる」
そう言うと、ガロードは立ち上がる。
「探すって……どこに行くのです?」
「まず、警察署に行ってみるよ。キークから探してみる。ルルシーは兄弟と一緒に待っててくれ」
マスター&ブラスターがゴメスの後釜になったという話は、既に街中に広まっていた。
さらに、街にはこんな噂も流れている。
タイガーは何者かの襲撃を受け、部下を見捨てて真っ先に逃げ出したと。
そして今――
「諸君! 部下を見捨てて逃げるような女に、まだ従う気なのか!」
エバン・ドラゴは『虎の会』の主だった人間を競りの会場に集め、演説している。
傍らには、タイガーの忠実な部下だったはずのギャリソンが立っていた。
ドラゴはさらに演説を続ける。
「諸君! 部下を見捨てて逃げ去るようなクズの時代はもう終わりだ! ここに約束しよう。オレは必ず、諸君たちに今以上の物を得られるようにしよう! 付いてきてくれるな?!」
ドラゴは言葉を止め、皆の反応を見る。
「おう!」
「オレは、あんたに付いて行くぜ!」
「タイガーを見つけたら、ぶっ殺してやる!」
あちこちから聞こえる、賛同の声。
ドラゴはニヤリと笑い、全員の顔を見渡した。
死神とギャリソンを失ったタイガーの味方をする者は、ただの一人もいない。『虎の会』は今、完全に崩壊したのだ。
そして――
「諸君! 今から諸君らは我が『ドラゴン』のメンバーだ! もう一度言う! オレは約束しよう! 諸君らが、今以上の富と権力を手にすることを!」
ドラゴの声が、会場に響き渡った。
その頃。
ガロードは警察署の前で押し問答をしていた。
「だから、キーク・キャラダインさんに会わせて欲しいんです!」
「休んでるんだよ……オレに言われても困るんだけどよお……」
入口で応対している警官のバニラは、苦り切った顔をしている。
バニラの話によると、キークは昨日から休んでいるという。
ちなみに、その理由は……持病の悪化。
「持病って何ですか? 説明してください!」
食い下がるガロード。
「知らねえよ……持病は持病だ。もう勘弁してくれ。やっと最近、街も平和になってきたのに……」
困った顔を通り越し、泣きそうな顔になっているバニラ。
しかし、ガロードは容赦しない。
「だったら、せめて連絡先だけでも!」
「だから……無理だって……もう勘弁して――」
「もういい! あんたじゃ話にならない! 中に入れろ!」
ついに我慢できなくなったガロード。
バニラの襟首を掴み、力ずくで脇に投げ飛ばす。
道路で一回転し、派手に転んだバニラは、
「痛え! やったな! 暴力振るったな! 逮捕してやる! 逮捕だ!」
と、子供のようにわめきちらした。
しかし、ガロードは構わず進んで行こうとするが――
「ガロードさん、少しお待ちを。ここで騒ぎを起こしても、良いことはありませんよ」
後ろから、呼び止める声がした。
振り返ると、そこにいたのは――
グレーのスーツを着た、背の低い小太りの中年男である。
「あんたは――」
「私はジャン・ドテオカといいます。ガロードさん、あなたにお話があるのですがね……」
ガロードを連れ、ジャンは歩いて行く。
そしてジャンは立ち止まる。
「ガロードさん、ちょっと待っていてください。車が来ますので……」
「あんたは誰だ? 何が起きている?」
「それは……キーク・キャラダインさんに聞くべきですね」
食堂の『ジュドー&マリア』は今、防弾仕様のシャッターが閉められ、ひっそりと静まりかえっている。人の気配がまるきり感じられない。
だが、店には地下室があった。
その地下室では――
「タイガーさん、何か食いたい物あります?」
「何でもいい……好きにしてくれ」
「タイガーさん! 食わないと体に毒ですよ!」
語気を荒げ、迫るジュドー。
だが、タイガーは反応しない。
虚ろな表情をしたまま、ジュドーの方を見ようともせず、テレビの画面に顔を向けている。
昨日、Z地区に潜伏していたタイガーと合流したジュドーは、アイザックらに協力してもらい、どうにか秘密裏に連れて来ることに成功した。
タイガーの話では、死神が死んだと聞かされ、その真偽を確かめに出向いたところ、待ち伏せを受けた、とのことである。
連れていた二人のボディーガードは死亡、タイガーもどうにか逃げのびたのだという。
「……わかりました。タイガーさん、ちょっと情報仕入れてきます。おとなしく待っててください」
ジュドーは、そう言って立ち上がった。
その途端――
「もういいよ、ジュドー……もう止めよう」
タイガーの虚ろな声。
ジュドーの動きが止まった。
ゆっくりと振り向く。
「もう……いい……私は終わりだ」
タイガーはそう言って、力のない笑みを浮かべる。
「今の私には、もう何の力もない……ただの女だ……いや違う」
タイガーの指が、自らの顔に触れた。
顔を横切る醜い傷痕を、そっと撫でる。
「ただの女……以下だ。ただの……醜い女――」
「タイガーさん! いい加減にしなよ!」
たまりかねたジュドーは怒鳴りつけ――
両肩を掴んだ。
タイガーの表情が、ようやく反応を見せる。
「こんな街を仕切れるのは、あんた以外に誰がいる! やっと街らしくなってきたんじゃねえか! オレも手を貸すから! また一からやり直そう!」
ジュドーがそう言った瞬間――
タイガーの瞳から、涙が溢れた。
「手を貸して……くれるのか? 今の私に?」
「当たり前です。オレを誰だと思ってるんですか? 必殺の商売人ですよ!」
そう言って、胸を張るジュドー。
「お前の言うことは……本当に意味不明だ」
タイガーの顔に、やっと本物の笑顔が戻る。
「オレは外で情報収集してきます。だから、ここを動かないでください」
ジュドーは出て行こうとしたが――
扉を叩く音。
「誰だ」
ジュドーが尋ねる。
「アイザックだ……表にエバン・ドラゴが来てる」
アイザックの声。
気のせいか、裏稼業をやっていた時代の声に戻っているように聞こえた。
ガロードとジャンは、Z地区の掘っ立て小屋……のようなものの前でタクシーを降りた。
「ではトラビスさん、また後で連絡しますので、帰りもお願いしますよ」
「それは約束できねえな……何たってオレは、二十年間無敗のタクシードライバーだからよ。んじゃ、行くぜ」
名物タクシードライバーのトラビスはそう言うと、モヒカン頭を振るわせながらタクシーに乗り込み、走り去って行った。
「……変わった男ですね、彼は。さてガロードさん、こちらです。この中に入ってください」
「この中? 何で――」
「ガロ、時間がない。さっさと入れ」
キークの声だった。
「キーク?! あんたは一体――」
「時間がない。早く入れ」
掘っ立て小屋の中は、昼間だというのに薄暗い。
明かりはもちろん、テーブル、椅子、その他生活感のある物がまったく無かった。地面にはホコリが積もり、器官の弱い人間が足を踏み入れたら、たちどころに咳き込むだろう。
そんな場所で、キークは直接床に座り、こちらを見ていた。
普段の軽薄そうな表情は微塵も無い。
代わりに浮かんでいるのは……壮絶な裏の仕事師の表情だった。
「キーク! ボーイがいないんだ! ジュドーも店を閉めてて連絡がとれない! 一体何が――」
「ガロ、静かにしろ。まずオレの話を聞いてくれ」
あわただしく喋り始めたガロードを制するキーク。
そして、ガロードの目を見つめる。
「ガロ……ルルシーと兄弟をこの小屋に連れて来い。ほとぼりが冷めるまで、街には近寄るな。この先、エメラルドシティはとんでもないことになる。お前らは関わるな。今のオレに言えるのは、ここまでだ」
キークはそう言うと、立ち上がった。
そのまま出て行こうという素振りを見せるが――
血相を変え、呼び止めるガロード。
「ちょっと待ってくれよキーク! ボーイはどこに行って――」
「ボーイはもう帰らない。奴のことはあきらめろ」
「何だと?! どういう事だ!」
「ボーイは……エバン・ドラゴに連れ去られた。オレもどこに監禁されているかはわからん――」
「ふざけるな!」
ガロードの強烈な左フック――
キークはそれをまともに喰らい、吹っ飛んだ。
だが、ガロードはそこで止める男ではない。
キークの襟首を掴み、引き寄せながら――
「ボーイは仲間だろうが! 仲間を見捨てる気か?! お前は――」
「ガロードさん! 今はそんなことをしている場合ではありません!」
ジャンが止めに入る。
「ガロ……お前、ボーイを助けたいのか?」
キークは唇から血を流しながら、ガロードを見つめた。
「当たり前だ! あいつは仲間だ! それに、ジョーガンとバリンボーは、ボーイの帰りを今も待っているんだぞ!」
「……わかった。オレが探し出す。お前は一旦、家に帰れ」
「しかし――」
「お前が動くと面倒なことになる。オレを信じて、今日は帰るんだ」
キークはガロードにそう言うと、次にジャンの方を向いた。
「あんたはどうする気なんだ?」
「私は……ドラゴたちの側には付きません。奴らに付くくらい賢ければ、初めからこんな街に来てやしませんよ……」
ジャンは自嘲気味に笑って見せた。
そして、付け加える。
「ただし、あなたたちの味方もしません。私にできるのはここまでです」
その少し前。
『ジュドー&マリア』は本日休業、のはずだった。
しかし……
店内には、エバン・ドラゴがいる。
その後ろには、ギャリソンと三人の部下。
ドラゴは店の椅子に座っており、ギャリソンと他三人は立ったままだ。
そしてドラゴは――
カウンターで座っているジュドーを、にこやかな顔で見ている。
一方のジュドーは……
冷酷そうな表情で、ドラゴをじっと見ている。
ジュドーの横にはアイザック。さらに、その後ろにはカルメン。
二人とも静かな表情をしてはいるが、殺気を漂わせている。
「君たち……タイガー女史はここにいるのだろう? こちらに引き渡してほしいのだが?」
口火を切ったのは、ドラゴだった。
「ドラゴさん、そんな者はここにはいない――」
「ジュドー、つまらん嘘をつくな」
ジュドーの言葉を遮り、親しげな口調で言ってきたのはギャリソンだった。
「……」
ジュドーの目が、スーッと細くなる。
「ジュドーさん、あんたはオレなんかよりずっと前からここにいる。オレはあんたに敬意を抱いている。ほんの……欠片ほどのものだがな――」
「失せろ。タイガーなんて奴はいねえ」
ドラゴの言葉を遮り、ジュドーはそう言い放つ。
そのとたん、後ろの三人の表情が変わる、
一人の男など、敵意をみなぎらせた顔つきで前に進み出ようとするが――
「落ち着きたまえ」
ドラゴの一言。
男は動きを止める。
そしてドラゴは、相も変わらぬにこやかな表情で話を続ける。
「ジュドーさん……あんたとは、この先仲良くやっていきたい。あんたらのチームが加わってくれれば、この地区は安泰だ――」
「失せろ、って言ってるのが聞こえないのか?」
「ジュドーさん、そんなことを言っていいのか?」
ドラゴはそう言うと、後ろを向いた。
すると、男の一人が持っていたカバンから何かを取り出し、ドラゴに渡す。
ドラゴはからかうような素振りで、受け取った物を高く上げて見せつける。
ボーイの改造拳銃……
「そいつは……どういうことだ? 何でお前が?」
ジュドーの混乱したような声。
「クリスタル・ボーイといったな、彼は。彼はどういう状況か……この先は言わなくてもわかるな?」
「……オレは、何をすればいいんだ?」
ジュドーの悲痛な声。
「まずは、タイガー女史を引き渡し……我が『ドラゴン』の傘下に入ってもらおう」
「……」
「今すぐ返事を……と言いたいところだが、オレも忙しい。他にもやることが山積みだ。三日間の猶予をやろう。返答次第では……ボーイは公開処刑だ」




