ゆらめく影
「ちょ、ちょっと待て……落ち着けガロード! お前は何を言ってるんだ?」
「だから、オレをここで雇ってくれと言ってんだろうが! わかんないのか! オレは何でもする!」
土下座しながら怒鳴るガロード。
天パ頭をポリポリ掻きながら、困った顔をしているジュドー。
さらにその様子を遠巻きに見ている、アイザックとカルメン。
「ちょっとアイザック……何なのアレ?」
「雇ってくれ、だとさ」
アイザックはため息をついた。
開店前の『ジュドー&マリア』。
みんなで準備をしている時、いきなり乗り込んで来たガロードの第一声は、
「ジュドー! オレを雇ってくれ!」
だった。
「いや……ウチ、人手は足りてるしな――」
「だから何でもするって言ってるだろうが!」
ジュドーのめんどくさそうな言葉に反応し、怒り出すガロード。
まるで脅迫するかのような勢いである。
困り果てたジュドーは、ひとまず言いくるめ、追い払うことにした。
「よしわかった。まずは今夜、みんなで相談して、そのうち連絡する。それまで自宅待機だ。いいな!」
ジュドーのこの言葉を聞き、ガロードは満面の笑みを浮かべ、
「おお自宅待機か! わかった! ありがとう!」
と答えた。
上機嫌で帰っていくガロード。
その後ろ姿を見送り、ため息をつくジュドー。
その横には、アイザックがいる。
「ジュドー、お前、雇う気ないだろ……適当なこと言いやがって。あいつ、また来るぞ……どうする気だ」
アイザックはそう言いながら、ジュドーを小突き、睨みつけた。
ジュドーは顔をしかめ、髪をかきむしる。
「う……仕方ないだろ! 今度来たら、お前が何とかしろ! ブッ飛ばして追い払え!」
「断る」
ガロードを追い返し、ジュドーはようやく店を開いた。
だが開店と同時にやって来たのは、愚兄弟を引き連れたクリスタル・ボーイである。
ボーイは暗い顔で、まっすぐジュドーのそばに歩いてきた。
そして――
「死神が殺られた、って噂が流れてる」
その日ゴメスは、腹心の部下であるトレホを連れて外出していた。
ふだん外出する時は、最低でも三人のボディーガードを連れて行くゴメスであった。だが、今日はトレホ一人である。
なぜなら、今から会うのはタイガー本人だからだ。向こうも二人で来るという話である。
そのため、トレホと二人で待ち合わせ場所に来ていた。
ゴメスは岩のようないかつい外見と、それにふさわしい凶暴さを持った男ではあるが、同時に慎重さと計算高さも兼ね備えている。
また、危険を察知する能力にも長けている。そうでなくては、この街で長い間ギャングのボスとしてやっていくことなど、できはしない。
しかし、能力も使わなければ衰える。
ゴメスの最近の仕事と言えば、書類のチェックと金の計算くらいである。
肉体的にも精神的にも、なまくらになっていた。
一方、トレホは頭の良くない男である。しかし四十近い年齢になった今も前線に立ち、現場を仕切っていた。
危険を察知する勘は、全く衰えていない。
だから、タイガーとの待ち合わせ場所であるZ地区の廃墟――言わば中立地帯である――に来た時、トレホは真っ先に違和感を覚えたのだ。
「ボス、何か変ですよ……今日のところは引き上げませんか……」
トレホは静まりかえった廃墟の中で、ゴメスに言った。
「は?! 何言ってるんだよ、お前。いいか、タイガーとは上手くやっていかなきゃならないんだ。ビジネスの鉄則ってのはな、相手に弱みを――」
「ゴメスさん、すみませんね。タイガーは今日、こちらには来ません」
言葉と同時に現れたのはギャリソンだった。
普段はスーツに身を包んでいるが、今は作業服のようなものを着て、ご丁寧に手袋まではめている。
「ギャリソン……それはどういうことだ?」
ゴメスが怒りを露にし、ギャリソンに詰め寄っていった。
ゴメスは完全なミスを犯した。
来るはずのタイガーが来ない。さらに、今のギャリソンの醸し出している雰囲気は異様だ。明らかに普通ではない。
昔のゴメスなら、捨て台詞の一つも残し、さっさと引き上げていただろう。
「ボス! 今日は引き上げましょう!」
即座に発せられたトレホの言葉に従っていたはずである。
しかし、ゴメスはこの状況に対し、完全に間違った対応をしたのだ。
「トレホ、てめえは黙ってろ!」
ゴメスはトレホを怒鳴りつけ、そしてギャリソンの方を向いた。
「ギャリソン……どうなってるんだ? タイガーの方から呼び出しておいて、来られなくなったじゃ済まねえだろ……」
言いながら、ゴメスはギャリソンに近づくが……
ギャリソンの手が動き、突然、腹に何かを押し付けられた。
銃口の感触。
そして銃声――
ゴメスは腹を押さえ、崩れ落ちる。
「ボス!」
トレホの咆哮が、廃墟に響き渡った。
そしてトレホもまた、ミスを犯した。さっさと一人で逃げていれば良かったのに、ゴメスを助けようとしてしまった。
ゴメスへの忠誠心……それが、彼の運命を決めてしまったのだ。
トレホはハンドガンを抜きながら、ゴメスに駆け寄るが――
ギャリソンのハンドガンが火を吹く。
続けざまに弾かれるトリッガー。
複数の銃弾は、容赦なくトレホの体を貫き――
トレホの命を一瞬で奪い去った。
「ト、トレホ……」
薄れゆく意識の中、ゴメスが見たものは……
トレホの恐ろしい死に顔だった。
「お前は……何て怖い顔をしてんだ……カタギにゃなれなかったな……」
ゴメスはそう呟きながらも、最後の力を振り絞り、ハンドガンを抜こうとしたが……
「あんたの出番は、もう終わった。あとは退場するだけだ」
聞き覚えのある、若い男の声。
それと同時に、銃口が額に突きつけられ――
ゴメスが最後に見たものは、エバン・ドラゴの顔だった。
ジュドーとボーイは、二階の事務所であちこちに電話を掛けていた。
その結果、わかったことは――
死神は殺されたという噂は流れているが、真偽は不明。
タイガーとゴメスは今、話し合いの席を設けていて連絡がとれない。ギャリソンも同席しているのだという。
バー『ボディプレス』は本日閉店。その他の、タイガーの息のかかった店も全て閉店している。
「確かめようがないが……コイツはおかしいぜ。まずはタイガーと連絡をとらないと」
ジュドーの顔から、普段の軽薄さが消えている。
だが、無理もない。
こんな状況は聞いたことがないのだ。
「仕方ねえ……キークの野郎に聞いてみる。奴なら、何かつかんでいるはずだ……」
ボーイはケータイを取り出すが――
その前に、ジュドーのケータイが鳴った。
「誰だよ……こんな時に……!」
ケータイを取り出した瞬間、ジュドーの表情が一変する。
慌てた様子で操作し――
「タイガーさん! いったい何が起きてるんですか! つーか今どこ! ……わかった!」
ジュドーはケータイをしまうと――
「ボーイ! すまないが、今からタイガーの所に行かにゃならん! あとはよろしく!」
そう言い残し、慌てて飛び出して行った。
「……」
呆然として、ジュドーを見送るボーイ。
だが、ボーイのケータイも鳴り始めた。
混乱した状態で、ケータイを耳に当てるボーイ。
だが、その電話はさらにボーイを打ちのめした。
五年前……。
製薬会社に勤めていたボーイは、高校時代の恩師であるハイゼンベルクと再会した。
ハイゼンベルクはチンピラに叩きのめされ……
それでも何事かを叫び続けていた。
騒ぎが収まった時、ボーイはハイゼンベルクを助け起こし、何があったのか話を聞いた。
ところが、それはとんでもない話だった……
先日、ハイゼンベルクは末期のガンの宣告を受けたのだ。
余命は二年から、長くて五年だという。
そしてハイゼンベルクには、妻と子供がいた。
残されることになる家族……その家族に、せめて金だけは残したい……
ハイゼンベルクは考えた――
結論。
自らの化学の知識を生かし、ドラッグや化学兵器を造ろう。それらを売れば、大金を稼げるはず……。
そう考えたハイゼンベルクは、とりあえずクリスタルを造った。
ところが、ハイゼンベルクにはクリスタルを製造する知識はあったが、売る知識は0に等しい。
仕方なく、地元のギャングに売りつけようとして――
袋叩きに遭った。
その袋叩きの場面に遭遇してしまったのが、ボーイだったのである。
ハイゼンベルクから話を聞いたボーイは、しばらく考えた。
メルキアでクリスタルをさばくのは難しい。
いや、メルキアだけでなく、クメンでもギルガメスでも無理な話だ。地元のギャングと話をつけ、警察の目をかいくぐり、クリスタルを大量にさばき、わずかな期間に大金を作る……
非常に難しい。
しかも、最近ではドラッグに対する刑は非常に重くなっている。売買目的で大量に所持していた場合、死刑になる国もある。メルキアでも、かなり厳しくなってきている。
となると……
次の日、ボーイは会社を辞めた。
そして、身の回りの物を売り払い、借りられるだけの金を借り、ハイゼンベルクの製造したクリスタルと共にエメラルドシティに渡った。
大陸の知り合いに聞いたジュドーという男と会い、その男の後ろ楯を得る。
さらに、偶然の出来事から愚兄弟と知り合い、仲間に引き込んだ。
そして、ボーイはクリスタルを売り始めた。質が良く安いクリスタルは飛ぶように売れ、ボーイはまたたくまに大金を手に入れた。その上、エメラルドシティの有力者の仲間入りをしていた。
全ては順調である、かに見えた。
しかし――
エメラルドシティでの生活は、ボーイの神経をすり減らし、精神を蝕んでいたのだ。
この街で、ボーイは何人もの人間を殺した。自分の身を守るため、生きていくために仕方なかったのだ。その生活はあまりにも過酷なものだった。
大金を得ることには成功したが、この街ではやっていけない。
しかし、ボーイは売人を続けた。
ハイゼンベルクに金を送るために。最低で最悪のチンピラだった自分を更正させてくれた恩人の、最期の願いを叶えるために。
キークの話に乗ったのも、そのためだった。ハイゼンベルクに金を送るため、ボーイは殺し屋になったのだ。
そのハイゼンベルクが……
けさ亡くなった、との連絡がきた。
その知らせを聞き、ボーイが最初に思ったことは――
安心した。
やっと、この街から出られる……そう思った。
次の瞬間、襲いかかってきた罪悪感。
ハイゼンベルクは恩人である。
その恩人が亡くなり、自分は安心してしまった。
これじゃあ、オレは外道と代わりねえ……。
オレはいつの間にか……本物のクズ野郎になっちまったのか。
ケータイが鳴る。
今度はギャリソンからの呼び出しだった。
ボーイは放心状態で電話を切り、ガロードの家に向かった。
愚兄弟を預け、ギャリソンからの呼び出しに応じるためである。
普段のボーイなら、おかしいと思ったはずだ。少なくとも、用心はしたはずだった。
だが、ハイゼンベルクの死が、ボーイの判断力を鈍らせていた……
その頃。
ゴメスの組織がアジトとして使っていたマンションでは――
とんでもない騒ぎが起きていた。
三メートルほどの、灰色の皮膚をした人型の不気味な何かが、ゆっくりと進んでいる。
進んでいると言っても、壁をよじ登っているのだ。
その背中には、一メートルもない、スーツ姿の小さな男が捕まっている。
やがてその者たちは、四階に着くと、窓を叩き割って侵入した。
騒ぎを聞きつけた男たちが、数人駆けつけてくる。
しかし、四つん這いになった灰色の男が、獣のような吠え声をあげた。
駆けつけてきた男たちは、その異様な光景に呑まれて動きを止める。
それを見て、小男がニヤリと笑う。
「オレはマスター。そしてこいつはブラスターだ。覚えておけ」
マスターと名乗った小男――顔つきから見ると三十代から四十代――は、部屋の大型金庫の前に行く。
そして怒鳴った。
「ブラスター! こいつを外せ!」
するとブラスターは金庫に近づき、扉を掴み――
軽々と、こじ開けて見せる。
するとマスターは金庫に入っていた札束を、男たちに向かって投げつけた。
そして言った。
「今日から君らのボスは、このマスター&ブラスターだ」




