ギリヤーク
クリスタル・ボーイはもともと、メルキアに住んでいた。
札付きの不良高校生だったボーイ。しかし、そんな彼はある出来事をきっかけに更正し、さらには大学にも進学した。
だが、また別の出来事が起こり、ボーイは裏の世界に入った。その後、彼はエメラルドシティに渡り、現在に至っている。
そしてボーイは、彼の人生に大きな影響をもたらした人物――ハイゼンベルクの前に来ていた。
「よう先生、具合はどうだい」
「……」
ここはメルキアの病院である。ハイゼンベルクは病室のベッドで寝ていたのだが、ボーイの姿を見て体を起こした。
「君か……また痩せたな。どんどん体重が落ちてないか」
「あんたに言われたくねえよ」
ボーイはそう言いながら、ベッドの横にある椅子に座った。
ハイゼンベルクはボーイの顔をじっと見つめ、口を開いた。
「ジェシー……君に一つ聞きたいことがある。金はどうやって――」
「クリスタル売って金にしたんだよ。他に何ができるってんだ」
「私がいないのに、薬を作れるのか?」
「なあ、あんたがオレに化学を教えてくれたんだぜ。しかも、あんたが作るのをずっと手伝ってきたんだ。一人でも何とかなる」
「……」
ハイゼンベルクは、ボーイから目を逸らした。
「私は……君の人生を狂わせてしまったのか……」
「バカ言うな。あんたごときに狂わされるほど、オレの人生は安くねえ。それに……あんたがいなかったら、オレはうだつの上がらねえチンピラ……いや、それ以下だったろうな」
病室を出た後、ボーイはため息をついた。
ハイゼンベルクは高校の化学の教師である。ボーイはその時の生徒だった。その後は不治の病に冒されてしまい、入院している。
ボーイにとって、ハイゼンベルクは本当の意味での恩師だった。札付きの不良だったボーイ……だが、そんな彼の優秀さを見抜き、一から勉強をやり直させ、さらに進学をさせたのがハイゼンベルクだったのだ。
ボーイは初め、相手にしていなかった。
しかし、ハイゼンベルクは想像以上のしつこさだった。ボーイに根気強く接し、化学の面白さを説き、そして進学を勧め続けたのである。
ボーイは根負けした形で進学した。
そして大学を卒業し、製薬会社に入社する。
順調であった。
だが、ある日ハイゼンベルクと再会する。
全く予想だにしなかった形で……。
裏通りで、チンピラ連中に叩きのめされている男がいた。
近道しようと裏通りを歩き、その現場に遭遇してしまったボーイ。
素知らぬ顔で通り過ぎようとした。
だが、その時――
「なあ、頼む! 私は君らと取引したいんだ!」
リンチされている男が叫んだ。
その声を聞き、愕然とするボーイ。
かつての恩師の声だった……。
もしあの時、裏通りを行かなければ……
ボーイは頭を振る。
今さら無意味だ。
ガロードは、大型ライフルを持ち、棺桶を担いで廃墟の中に侵入した。
キークから得た情報によると、ギリヤークは今夜ここで兄のラルクと会うらしい。
となると、必然的に二匹を片付けなくてはならないということだ。
厄介な話である。
だが、必要とあらばやってのけるしかない。
新しい人生を始めるために。
廃墟の奥に地下室があった。
陽の射さない、暗闇の支配する場所。
ガロードは背負っていた棺桶を降ろす。
そして蓋を開けた。
棺桶から体を起こすルルシー。
「ガロード……ちょっと早すぎるように思うのです……」
ルルシーの声は、普段より硬さが感じられる。
だが、無理もない。
何せ、ギリヤークはルルシーと同じ吸血鬼なのだから。
それも二匹である。
「待ち伏せるためだ、仕方ないだろう。今日で全て終わらせてやるさ」
ガロードの声も、わずかながら震えている。
いや、声だけでなく体も震えている。
今までとは違うタイプの人外を相手にしなくてはならない緊張感……そして隠しきれない恐怖。
そんなガロードを見て、ルルシーは微笑む。
そして寄り添い、手を握った。
「ガロード、心配ないのです。死ぬ時は一緒なのです……」
「ああ……」
ガロードの震えが治まった。
ボーイは今、メルキアにあるウッドシティを歩いていた。
病院を出て、久し振りにのんびりと一人で歩いている。
愚兄弟は、今日だけと言う約束でジュドーたちに頼んでいた。
愚兄弟は、普通の街では生きられない。
かといって、エメラルドシティに骨を埋める、ってのもな……
兄弟はガロードとルルシーに任せよう。
オレはもう無理だ……
クリスタルが売れなくなった今、オレはただのチンピラだ。
エメラルドシティでは生き延びられない。
かといって、キークをゴメスに売る気にはなれないしな。
それをやったら、オレはゴメスと同じ、本物の外道だ。
外道にだけは、絶対になりたくねえ……
さて、そろそろ戻るか……
日が沈み、闇が支配する時間。
ガロードとルルシーは、廃墟の中に潜んでいる。
息を殺し、標的が来るのを待ち伏せていた。
これまでの連中と違い、吸血鬼は鼻が効くわけではない。
だからこそ、不意を突いての攻撃ができる。逆に、勝ち目があるとすれば、そこだ。
不意に、ルルシーがつついてきた。
どうやら来たらしく、足音が聞こえてきた。
二人分の足音。
ガロードはライターを取り出した。
ボールのように丸めた紙――中に石が入っている――に火を点ける。
そして、火の点いた紙ボールを足音のする方向に投げつけた。
火の玉は飛んでいき、ギリヤークたちのいる所に落ちる。
その瞬間、周囲に大きめの炎が吹き上がった。
ガロードは、あらかじめ地面に油を撒いておいたのだ。
その油を撒いておいた場所に、ギリヤークたちが足を踏み入れるのを、じっくり待っていた。
だが、相手は人間ではなく吸血鬼である。
それも純血種の。
火傷を負いながらも、何とか火柱からは逃れる。
しかし、ガロードも黙って見ていたわけではなかった。
二人めがけ、ライフルを連射する。
銃弾は二人の吸血鬼に命中するが――
二人は体を銃弾が貫通していくのを、平然とした顔で見ている。
しかも、直径数センチはありそうな銃創が、一瞬にして塞がっていく……
そしてギリヤークとラルクの視線は、ガロードを捉えた。
二人の吸血鬼の目に、凶暴な光が宿る。
次の瞬間、二人はガロードに襲いかかった。
ガロードはライフルを捨て、杭打ち機を手に取る。
銀色に鈍く光る杭を見た吸血鬼は――
動きを止め、間合いとタイミングをはかる。
ギリヤークの美しい顔は怒りでゆがみ、銀髪は逆立ち、白い肌にはわずかながら赤みがさしている。
犬歯と鉤爪は鋭く伸び、臨戦態勢に入ったことが見てとれた。
その横には、そっくりな顔をしたラルク。
ラルクはゆっくりと動いた。
ギリヤークがガロードを牽制し――
ラルクは円を描くように動き続ける。
ガロードはラルクの動きに注意しつつ、ギリヤークへの接近を試みる。
しかし、ガロードが前に動けば、ギリヤークは下がり、さらにラルクが回り込む。
完全に前と後ろを挟まれた形となった。
吸血鬼の兄弟は、勝利を確信した笑みを浮かべた。
前後から、一気に襲いかかるが――
突然、紫の髪の何者かが出現、凄まじいスピードで兄弟に迫る。
そして、ガロードの背後から接近しようとするラルクに――
飛び込みざまの、強烈な一撃。
ラルクは吹っ飛ばされた……かに見えたが、あっさりと体勢を立て直す。
だが、ルルシーの攻撃は止まらない。
間髪入れず、凄まじいスピードで襲いかかる。
迎え撃つラルク。
吸血鬼同士の、凄まじい殺し合いが始まった。
ギリヤークは、突然乱入してきた何者かに気を取られ、わずかながら反応が遅れた。
その遅れを見逃すほど、ガロードは甘くない。
杭打ち機を構え、突進するが――
ギリヤークはすんでのところで杭を掴み、攻撃を阻む。
そして――
細身の肉体からは想像もつかない凄まじい腕力で、杭打ち機ごとガロードを振り回す。
ガロードは体重が九十キロあり、さらに服や所持品を加えれば、百キロを超える重さだ。にもかかわらず、軽々と振り回され……
そして、飛ばされる。
ガロードの体は宙を舞った。
思わず、杭打ち機から手を離す。
地面に体を打ちつけた。
全身を走る、強烈過ぎる痛み……
「ゴホォ!」
内臓から発せられるような、奇妙な声が洩れた。
ギリヤークは杭打ち機を投げ捨て、倒れているガロードに近づく。
その顔は、既に勝利を確信していた。
ギリヤークはガロードを見下ろす。
そして――
ルルシーは鉤爪の伸びた指を振るい、ラルクに攻撃を仕掛ける。
だが、ラルクは体勢を立て直すと、反撃に転じた。
ルルシーの攻撃を簡単に見切り、ぎりぎりでかわすと――
彼女の手首を掴み、簡単に放り投げる。
ルルシーの体は宙を舞った。
だが、ルルシーも吸血鬼である。
人間には不可能な動きで体勢を立て直し、素早く着地した。
しかし、着地した瞬間にラルクの一撃。
ルルシーはラルクの凪ぎ払うような横殴りの打撃をまともに喰らい、一回転して倒れる。
倒れたルルシーにのしかかるラルク。
鋭く伸びた牙の生えた口を開け――
ギリヤークはガロードの喉に噛みつこうとしたが――
突然、口の中に何かを突っ込まれる。
そして次の瞬間、蹴り飛ばされたギリヤーク。
すると、口の中の物が爆発し――
ギリヤークの頭は粉々に吹き飛んだ。
だが、頭がなくなったにもかかわらず、ギリヤークの体はまだ動いている。
いや、それ以前に、本来なら体の半分は吹き飛ばせるはずなのに……
吹き飛んだのは頭だけだった。
その上、吹き飛んだはずの細かい肉片が地を這い、ギリヤークの体に戻り、頭を再生させている……
肉片が次々とギリヤークの体に集まり、新しい頭を造り出す……
その時、ガロードは杭打ち機を拾い上げ、荒い息でギリヤークの心臓に狙いを定めた。
「き、貴様らに……喰われた……者たちの怨み……お、思い知れ……」
銀色の杭が、ギリヤークの心臓を貫いた。
ラルクはルルシーに噛みつこうとしたが……
動きを止めた。
首にワイヤーが巻きつき――
後ろから、凄まじい力で引っ張られる。
ラルクは引っ張る力に抵抗しつつ立ち上がり、後ろを振り向いた。
治安警察の制服を着た男が、冷酷な表情でワイヤーを操っている。
「貴様!」
ラルクは男――言うまでもなくキークである――に叫んだ。
そしてワイヤーに手を掛け、引きちぎろうとするが――
次の瞬間、ワイヤーは音もなくキークの腕時計に収納される。
そしてキークは腰のハンドガンを抜き――
トリッガーを弾く。
続けざまの発砲――
銃弾は全てラルクに命中するが、彼には何のダメージも与えていない。わずかに顔を歪めただけだった。
しかし、その隙にルルシーは立ち上がる。
後ろから、ラルクの背中に飛びつき――
鉤爪を食い込ませ、さらに牙を首に打ち込む。
ラルクは凄まじい声を上げた。
背中のルルシーを振り落とそうと、凄まじい勢いでもがき、あがく。
だが、ルルシーは離れない。鉤爪と牙を打ち込んだままだ。
ラルクの動きが、鈍り始めた時――
「ルルシー! 離れろ!」
ガロードの声。
そして次の瞬間、杭打ち機を構えたガロードが突進していく。
ルルシーが飛び退くと同時に――
ガロードの杭が、ラルクの心臓を貫いた。
この時のガロードとルルシーは、何も知らなかったのだ。
ラルクは街で死神と呼ばれ、タイガーのボディーガードをしている男であることを……
しかも、単なるボディーガードではなく、タイガーの力の象徴であったことを……ラルクの吸血鬼であるがゆえの力と不気味さが、部下たちの不満を押さえていたことを……
そしてラルクが死んだことにより、タイガーの築き上げた王国『虎の会』は、崩壊寸前の段階に来てしまったということを……




