悲しみが離れない
「キャラダイン! 貴様! こっちへ来い……嫌そうな顔をするな!」
朝から、トランク署長の怒鳴り声が響き渡る。
キークは面倒臭そうな顔で、署長の前に出た。
「キーク貴様……まあいい。監査官のモンテウエルズさんが、街を視察したいと言っている」
「ほお……いいじゃないですか。やらせとけば」
「お前を案内係に、と言っている!」
「はあ?! なんでオレを?!」
「知るか! 本人に直接……さっさと行かんか! わかんないのかコノ!」
そしてキークとティータニア・モンテウエルズは、シン地区を連れ立って歩いていた。
「ティータニアさん、どちらに行かれますか?」
「『ボディプレス』という店に行きたいわ。案内してちょうだい」
「え……あんな店に行ってどうするんです? 第一、まだ開いてませんよ」
「……」
ティータニアは黙ったまま、キークを見つめる。
「わ、わかりました。今すぐに行くとしましょう」
バー『ボディプレス』はまだ開店していない。バーテンのサコン、ウェイトレスのココたちが開店準備をしている。
そこに入って行った、キークとティータニア。
明らかに迷惑な存在であった。
アンドレなどは、露骨に不快な表情で二人を睨みつけている。
まだ、キーク一人だったら少しはマシだったかもしれないが、横にティータニアがいるせいで、余計に不機嫌になったようだ。
「ちょっと何なのよアンタたち! 今から準備しなきゃなんないのよ!」
アンドレに怒鳴られ、困った顔をするキーク。
仕方なく、ティータニアの方を見る。
「と、言ってますので……引き上げますか」
「何を言ってるの!」
今度はティータニアがキークを怒鳴る。
二人に挟まれたキークは仕方なく――
「すまんアンドレ、トイレ貸してくれ。腹痛い。頭も痛い」
「ふざけんじゃないわよ! この女連れて、さっさと帰りなさいよ! この税金泥棒!」
「何ですって! あなたは治安警察を――」
女監査官と女装巨人の言い争いが始まった。
キークはその横で、困った顔をしていた、ように見えた。
だが、カウンター席にさりげなく座ると――
「おいサコン、ビール……はヤバいから、コーヒーくれ」
その時ガロードは、家で一人、食事を摂っていた。
ルルシーは今、地下室で眠っている。あと三十分は目覚めないだろう。
ようやく、フォックスを仕留められた。
残るは……ギリヤークただ一人。
そして、ギリヤークを殺せば……。
やっと、復讐が終わるのだ。
群れからはぐれて、転がり続けてきた人生だったが……。
ようやく、落ち着くことができそうだ。
ここに来て、できた仲間たち……
キーク。
ジョーガン。
バリンボー。
ジュドー。
ボーイ……はちょっと微妙だが。
そして、ルルシー。
全てが終わったら、ここで楽しく、平和に暮らしたい。
人殺しは……もう……嫌だ……。
食べ終えたガロードは、後片付けをするために立ち上がった。
その時、ドアをノックする音。
そして――
「ガロード、遊ぼ」
「遊ぼ」
外から聞こえてくる、愚兄弟の声。
ガロードの表情が、一気にほころんだ。
午後三時過ぎ。
ボーイとジュドーは、ガロード宅に寄って愚兄弟を預けた後、虎の会の競りに参加していた。
「では、次の仕事は五百万からのスタートです」
「五百!」
「四百八十!」
「四百七十!」
裏の仕事師たちの声が飛び交う。
しばらく様子を見た後、ボーイはおもむろに口を開いた
「四百」
周りがざわつくが、それ以上下げようという声はかからない。
だが、それも当然の話だった。
何せ、競りの標的となる相手は――
能力者が三人だったからだ。
「では……この三名の命、クリスタル・ボーイ様が四百万ギルダンにて落札しました」
ギャリソンの声が、会場に響き渡る。
「今回の的は……この三人だ」
タイガーが言い、死神が写真を渡す。
「そのうちの二人は脱獄犯だ。現在、エメラルドシティでゲバルという能力者に匿われているという情報を得た。わかっているのはそこまでだ」
「ゲバル……ですか」
それまでヘラヘラ笑っていたジュドーの顔つきが、その名前を聞いた瞬間に一変した。
そんなジュドーの表情の変化をタイガーは見逃さなかった。
「どうしたジュドー? ゲバルがどうか――」
「いや、そんなに大したことはないです」
ジュドーはたちまち、元の表情に戻る。
タイガーは目を細め、ジュドーの顔をじっと見ていたが――
「では、これが前金だ。頼んだぞ。なるべく早く仕留めてくれ」
タイガーはそう言うと、金を取り出した。
「ティータニア、お前は先に署に戻ってろ。オレはここから単独行動だ。まず地下道に潜り、その後はガロ……いやアリティーたちと仕事の打ち合わせだ」
「わかった。署長には、お前が途中で帰ってしまったと言っておく」
「ああ頼む」
「それから……今報告を受けたが、ハイゼンベルクはもう長くないらしい。かかりつけの医師がそう言っているようだ」
「何……じゃあ、ボーイの奴は完璧に廃業か?」
「そうとも言えない。ハイゼンベルクほどではないが、クリスタル・ボーイもそれなりに化学の知識はあるようだし、今まで一緒に造っていたんだ。質は落ちるが、奴一人でもクリスタルは造れるだろう」
「そうか……まあいい。とにかく、オレは地下道に行く。後は頼んだぞ」
無人のはずのビル。
その中から、ティータニアが憤然とした様子で出てきた。
そして、ケータイを取り出し、掛け始める。
「署長! あのキャラダインという男は一体何を考えているのですか? あなたは部下にどういう教育を……先に帰ってしまったんですよ!」
ティータニアはケータイにわめきちらしながら、歩いて行った。
その頃、ガロード宅では奇怪なショーが開催されていた。
「ガ、ガロード……何をやっているのです?」
目覚めたばかりのルルシーは、信じられない光景を目の当たりにし、二の句が次げないようだった。
パンツ一丁の愚兄弟が、ガロードの前で奇怪なポーズを――
その二人を、微笑みながら見ているガロードだったが、ルルシーの声に反応して振り向く。
「なあルルシー、ジョーガンとバリンボー、どっちの筋肉が凄いと思う? オレは――」
「どっちでもいいのです! 私は兄弟の筋肉など、見たくないのです!」
ルルシーは怒りを露にし、怒鳴りつける。
「う……ごめん」
「ごめん」
シュン、となる愚兄弟。
「……仕方ない、外で遊ぼうか。ルルシーも起きたことだし」
ガロードがそう言った途端――
「おお! 外で遊ぶ!」
「外で遊ぶ!」
愚兄弟はパンツ一丁で、外に出ていこうとするが――
ルルシーが行く手に立ちふさがる。
「服を着るのです!」
ルルシーは小さな体で仁王立ちしていた。
愚兄弟はその迫力に圧倒され、服を着始める。
「ルルシーは、お日さま嫌いなのか?」
「嫌いなのか?」
シャツを着ながら、愚兄弟はルルシーに尋ねる。
「え……あ、べ、別にそう言う――」
「窓閉めてる。外でない。ルルシー、お日さま嫌いなのか?」
「嫌いなのか?」
愚兄弟は不器用な手つきで上着を着ながら、再び尋ねる。
「いや、あの――」
「ルルシーは病気なんだ。お日さまを浴びると、火傷するんだよ」
口ごもったルルシーに、ガロードが助け船を出す。
「え! 本当か!」
「本当か!」
叫びながら、ルルシーに近づく愚兄弟。
そして――
「ルルシー……可哀想だ……」
「可哀想だ……」
ルルシーの手を二人で握った。
「ううう……ルルシー可哀想だ!」
「可哀想だ!」
さらに、いきなりの大号泣。
「お、おいお前ら……な、泣くなよ……」
ガロードはなだめにかかるが――
愚兄弟の涙に刺激されたのか、一緒になって泣き出す。
「……あなたたちは、本当に世話が焼けるのです」
ルルシーは微笑んでいたが、その瞳は憂いを帯びていた。
突然、吸血鬼に……怪物に変えられてしまった心の痛み……
愚兄弟はもちろん、ガロードにも絶対に理解できないであろう。
理解してもらおう、とも思わない。
こんな痛みを、ガロードたちに理解させたくはなかった。
その頃――
ボーイとジュドーは、ガロードの家に向かい、のんびりと歩いていた。
日は沈みかけ、夕暮れ時の寂しさが街を覆いつつある。
「ところでボーイ……キークの野郎はどうするんだ? お前に任せる、とは言ったが……このままうやむやにはできないぜ」
「わかってる……だが、もう少し待ってくれ」
「あのな……オレたちはゴメスから、金を受け取っているんだ。ゴメスは甘くないぞ」
「……めんどくせえ仕事させやがって。ゴメスの奴、あの場で殺しときゃ良かったよ」
ボーイは歩きながら、毒づいた。
その言葉を聞いた途端、ジュドーの動きが止まる。
そして、ボーイの腕を掴み、止まらせる。
「ボーイ……お前どうしたんだ? あいつを……キークをかばって、ゴメスとやり合う気か? それはおかしいぞ――」
「オレは、奴に借りがあるんだよ」
ボーイは暗い目で、ジュドーに答える。
そんな目をしたボーイをジュドーは見たことがなかった。
「……わかった。しばらくは、お前に預ける。それよりも……」
ジュドーは言葉を止め、写真を取り出す。
「今は、こいつらの情報収集が先だ」
その夜。
ガロード、ルルシー、キーク、ボーイの四人はガロード宅の地下室に集合していた。
愚兄弟は上のリビングに待たせている。
ゲバル。
かつてはギャングのボディーガードをしていたが、今は逃げてきた能力者、および犯罪者たちと組んで、小さくとも侮れない勢力を築いている。エメラルドシティでもトップクラスの異能の持ち主らしい。
ギルモア。管理体制を嫌い、要人の暗殺を企てたが失敗。逮捕されたが脱獄し、エメラルドシティに逃げ込んで来た。
ゲイリー。典型的な粗暴犯。人体を素手で引きちぎることが可能な腕力と、小口径の銃弾を受けてもびくともしない獣のごときタフさが特徴。
今回の標的は、その三人である。
「……という訳だ」
ボーイはやる気と覇気が全く感じられない声で説明した。
「そうか。じゃあ、明後日あたりにでもやるか」
キークもまた、やる気と覇気のない声で返す。
「おい、何なんだお前ら! やる気あんのか!」
唯一、何も知らないガロードだけが元気だった。
そしてジュドーは――
ゲバル、か……。
まさか、三年前のケリを今になってつけることになるとはな。
ベリーニ、お前の仇は必ず……。
そして、キーク……
お前は絶対、このままにはしておかないからな。
お前はオレが殺す。




